09 先生?



「アタシは先に戻っとくよ」

 そう言い残し、鷲尾わしおさんはドアの向こうに姿を消したのだった。


「さて……」

 音無おとなしさんはベッドで眠っている。この間に、保健室の観察を済ませておこう。繭由まゆゆが念のため調べておくようにと言っていた。

【参照URL→https://fuyukikaku.web.fc2.com/school.html】


 保健室の出入口は一箇所だけだ。ここから室内を見渡すと、右手の奥に保管庫の入口が見える。出入口の正面奥には事務机、その横に洗面台。部屋の左手にはベッドが三つ並んでいる。


 ベッドはカーテンで仕切れるようになっていて、今は音無さんが休んでいるベッドだけにカーテンが引かれている。


 保健室の南側にはグラウンドが窓越しに見える。今はホームルームの時間なので、誰も外には出ていなかった。


 反対を向くと、今度は窓越しに中庭が見えた。音無さんは、ここから鷲尾さんの姿を目撃したんだろう。窓に近付くと、中庭の池がよく見える。


 顔を上げると、左手にある廊下の窓が視界に入った。俺の前にある窓とは直角の位置関係なので、もしかしたら飛び移れるのでは? なんてことを考えた。


 思い立ったらすぐ実行。俺は保健室の窓によじ登り、廊下側の窓に手を伸ばした。

 ……駄目だ、届かない。飛び移るのは無理みたいだ。


「お主、何をしておる」


「うわっ!?」

 いきなり後ろから声を掛けられて、危うく池に落ちるところだった。

「びっくりするじゃないですか。いきなり出没しないで下さい」

 振り向くと、養護教諭の服部はっとり先生が立っていた。


「うむ、拙者は忍びの者だからな」

 は自分が忍者だと信じて疑わない。意識しているのか、喋り方や身のこなしもそれっぽいし。長い黒髪に切れ長の目、白衣の下に体のラインがはっきりわかるボディスーツという姿は、まさに対魔に……いや何でもない。


外園ほかぞの氏よ、顔色が悪いぞ。どうだ、拙者が調合した薬など」

「いりません」

 全力で即答した。

 服部先生は、独自の製法で薬草を調合するのが趣味だ。それを事あるごとに勧めてくるんだけど、そんな得体の知れないものを飲めるわけがない。先週も、担任の大原おおはら先生に風邪薬だと言って飲ませたら、担架で近所の病院まで運ばれる事態になったのだった。


「そうか。ではまた次の機会に」

 二度とその時が来ないことを祈るばかりだ。


「して、患者は音無嬢か?」

 服部先生はカーテンで仕切られた区画を見る。

「はい。また気分が悪くなっちゃったみたいで」

不憫ふびんな。またしても心労であろう。繊細な奴よ」

 カーテンの隙間から中を覗いて、先生はそう言った。


「本当、そう思います」

 2年A組はアクの強い生徒が多いから、線の細い生徒には刺激が強過ぎるのかもしれない。

「しばし寝ておれば回復するであろう、大事だいじない。拙者に任せておくがよい」

 変な人だけど、面倒見の良さは折り紙つきだ。生徒からのウケもいいし、なんだかんだ言って服部先生は信頼されている。


「お願いします」

 頭を下げてから、ついでに聞いてみた。


一昨日おとといもこうして音無さんが保健室に来てましたよね」

「うむ。三時限目の終盤だったな」

「その時に、何か変わったことはありませんでしたか?」

「ふむ……」

 腕組みして考える服部先生。大きめの胸が強調されてしまうので、目のやり場に困る。


「思い当たるふしは無いな」

「そうですか」

 服部先生からは、事件の当日にも話を聞いている。今の答え方からすると、有益な追加情報は得られそうにない。


「あの日は拙者も用事があってな。四時限目の間は保健室に居なかったのだ」

 これも前回聞いた話だ。

「何の用事だったんです?」

 事件とは関係ないかもしれないけど、とりあえず尋ねてみた。


「薬草の栽培だ」


 コケそうになった。彼女は大原先生の一件以来、りるどころか益々やる気を出してしまったらしい。これ以上、犠牲者が増えなければいいのだけれど。

「どこでやってたんですか?」

「昇降口前の花壇だ」

 先生が言っているのは、昇降口の両脇にある花壇のことだろう。確かに最近、厳重なトラップの仕掛けてある一角ができたと思ったら、そういうわけだったのか。


「え、てことは」

 そこでピンときた。

「四時限目の間に、誰か昇降口を通りませんでしたか?」

「そのような者はおらぬ」

 やっぱり! 俺は一条の光を見た気がした。

 昇降口を通った人がいないなら、四時限目の間に校舎の中へ入った生徒が特定できる。これで真相に近付いた。あとは繭由に言われた通り、購買部のおばちゃんから話を聞けばいい。その内容次第では、俺の推理が確信に変わる。


「ありがとうございました。じゃ、音無さんをお願いします」

 と言って保健室を出た。あと少しで一時限目の授業が始まるけれど、きっと集中できないだろう。

 何故なら、いま俺の中では着々と、真相へ至る論理が組み上げられつつあるからだ。





 待ち遠しかった放課後になると、俺は早々に帰り支度を始めた。

 そんなとき、日直からの伝言が。担任の大原先生が、俺を呼んでいるらしい。早く繭由に自分の推理を聞かせたいのはヤマヤマだけど、心当たりがあるから仕方ない。


 俺は職員室に向かうことにした。

 大原先生が聞きたいのは、財布の窃盗事件についてだろう。この三日間で、俺が嗅ぎ回っていることは校内に知れ渡っているはずだ。校内で起こった問題が、今どんな状況にあるのか、一番詳しい俺から事情を聞いて全容を把握したいという意図が見える。


 職員室に入るなり、大原先生から声を掛けられた。先生の席の横に椅子が用意されていたから、促されるままに座った。

 その向かいに、ドスンと音を立てて大原先生が座る。まだ三十代前半だというのに、大きなお腹を抱えた完全メタボの男性教諭は、その外見にたがわずのっそりした口調で話し始めた。


 俺を呼んだ趣旨は予想通りだった。うちの学校では、生徒会による自治権が認められているので、その代わり生徒間でのトラブルは、教師側が一切関知しないことになっている。ただこれは、問題解決の為に教師が手出ししないことを定めたものであって、知らんぷりしてもいいという意味ではない。


 例えば校内で刑事事件があれば、警察の捜査に協力するという名目で、教師による介入も有り得るのだ。今回の窃盗事件は、場合によっては警察への通報が必要になるから、担任としても詳しい事情は知っておきたい。大原先生が話したのは、大体こんな内容だ。


「まー、そういうわけだー。俺も担任だしー、綾小路があんな状態じゃなー。気にはなってるんだよー」


 録音した音声を二分の一倍速で再生したような話し方は、のんびりした性格をよく表している。


 大原先生は決して積極的な教師ではないけれど、それは生徒を尊重していることの裏返し。個性派揃いの2年A組を一つの集団にまとめ上げるようなことはせず、それぞれの考え方や行動を重んじる。


 先生は先生で、みんなもう大人みたいなものだし、それぞれの分野で実力を認められている生徒ばかりだから、敢えて自分がどうこうしようとは思わないと考えているそうだ。

 見ようによっては自分の生徒を放置しているみたいだけど、綾小路あやのこうじさんの変化をちゃんと知っているところからすると、見るところは見ているんだなという安心感がある。


 俺も大原先生を信用している派だから、自分が調べて分かったことは全部話した。

 すべてを聞き終えても、先生の日向ひなたぼっこをしているような表情は変わらない。少しして、先生はこんなことを言った。


「まー、誰が犯人であれ、『物』は帰ってきたんだよなー。だったら犯人は、もう反省したんだろー。俺はそう思うよー」

 大原先生は性善説の支持者らしい。俺もまた、先生の言う通りであって欲しいと願っている。


「まー、何だ。綾小路から警察に被害届は出てないみたいだしー、あとは任せるよー君たちに」

 先生の話はそれで終わりらしかった。

 俺は職員室を出て、昇降口に向かう。


 そこでふと思った。

 先生の言う『君たち』とは、誰を指したものなんだろう?

 俺と繭由か、それとも綾小路さんや疑われている当事者か、はたまたクラス全員のことなのか。

 今となっては確かめようもなかった。

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