第8話 墓穴の戦姫


「貴様は、どうしてここに来た?」


 その言葉を認識し返答を考え始めるまでにたっぷり3秒ほど時間を要した。答えに窮したわけでもなく、連邦標準語の文法を度忘れしてしまったわけではない。恥ずかしながら、目の前で氷のような視線をこちらに投げかける少女の姿に見惚れてしまってという他なかった。

 そして件の少女は呆けている自分を他所に、おもむろにシャングリラ継承国の正三角形と目玉の意匠を縫い付けた黒い官帽にグローブに包まれた手を伸ばし、脱いだ。

 途端に、それまで彼女を包んでいた触れるものを凍てつかせるような重圧が、太陽の輻射熱で溶ける雪のように解けていった。心なしか、座り込んだ自分を見やる視線も数段穏やかなものに変わったような気がする。


「あの、大丈夫、ですか?」


 はて、いったいこれはどう言うことだろう?困ったように形の良い眉を八の字型にゆがめた少女の口からこぼれた音声は、同一人物であることを疑うほど様変わりしていた。

 漆黒の女王とも表現すべき雰囲気は文字通り霧散し、後に残ったのは黒尽くめの妖精といった儚さに全ステータスを振ったとしか思えない少女。多重人格、というやつか?


「あ、ああ。大丈…づぅ⁉」

「だ、ダメですよ!動いちゃ…」


 身体を起こそうとするが、断絶した筋線維や折れた骨によって傷つけられた神経系から帰ってきた激痛の信号に、生の実感をいやというほど叩き込まれ悶絶してしまう。

 情けない悲鳴を上げる自分に、目の前の少女は持っていた剣と帽子を放り出し、血相を変えて近づき、たどたどしく損傷を調べていく。


「XW-Atypeの白兵戦能力は折り紙付きです。あれだけ嬲られて、五体満足なのが奇跡ですよ」

「XW?ああ、ゼノモーフ・ウォリアーか、アレ」

「正確には、それの失敗作ですけど。あ、ナノマシンの治癒はうまく働いているみたいですね」


 彼女の言う通り、軍用ナノマシンの身体修復機能がフル回転し時間がたつにつれて痛みが退き始めている。実際のところ完治するまでは相応の時間がかかるが、自律神経系を制御し移動ができる程度には鎮痛作用が発現していた。

 はた目からでも分かるのか「よかった」と安堵するように、ほにゃりと微笑みを浮かべる少女。本当に、あのゼノモーフ・ウォリアーを不意打ちとはいえ一瞬で片づけた少女なのか、白昼夢でも見ていたのかと思ってしまう。


「傷は軽くはないですけど、あまり長居するのもお勧めできません。立てますか?」


 立ち上がった彼女が差し出した手を握る。黒いグローブに包まれた手は、想像していたよりもずっと小さかった。







「あの、此方こなたが言うのも何ですが、少々軽率ではないかと…」


 体内のナノマシンによる鎮静作用で騙し騙し体を動かしながら今までの経緯をざっと説明するシンに対して放たれた言葉は、おどおどとした声色に反して先ほどの剣技に勝るとも劣らない鋭さを持っていた。


「返す言葉もない」

「あ、いえ、責めているわけでは…すみません」


 しょぼんと顔を伏せてしまう彼女に強烈な罪悪感が沸き上がる。これが軍港の食堂や談話室なら、10人中11人が自分が悪いと指を指すだろう。なお、最後の一人は自分だ。

 土地勘があるらしい彼女の後に続いて、人気のない通路を内火艇に向かっていく。通信機は破壊され、ゼノモーフ・ウォリアーの出来損ないのおかげで少々遠回りをすることになるが、目的地には行けるようだ。


「そういえば、名前を聞いていなかった。僕はシン、シン・ルックナーだ。わけあって駆逐艦の艦長をやっている」


 艦長の言葉に反応したらしい青氷の視線が襟に縫い付けられた階級章へと向けられ、わずかに細められる。ついで、こてんと首を傾げた。


「え?でも、その階級章って」

「連邦艦隊少尉のものだよ、身分不相応だということも自覚している。敗残兵の寄り合い所帯さ。君は?」


 ほとんどダメ元で問いを投げ掛ける。シャングリラ人はその技術と歴史に比例するようにプライドが高く、他の星間帝国の知性体ですら「下等」として扱い本名を名乗ることなど滅多にない。外交においては”外交官殿””弁務官殿”など役職で呼ばせるのが通常だった。

 彼女の襟にはついているはずの階級章は見たこともない形式――シャングリラ軍は友軍であっても謎だらけだ――で階級で呼ぶことも出来ない。かといって名無しでは不便であるため、聞くしかなかった。

 名を聞かれた彼女は少し驚いたようなきょとんとした表情を浮かべたかと思うと、今度は外見年齢相応の悪戯を思いついた童女のような笑みを浮かべた。「ふふ、下等なシリウス人に名乗る名などありません」予想通りの答えが帰ってきたが、すぐ後に続いた言葉が彼の予想を大きく砕いた。


「と普段なら言うところですけど、今回は特例です」


 ハッとして前を見ると、自分を先導していた少女は立ち止まり此方を振り替える。先ほど化け物を両断した両刃の剣はすでに腰のベルトに固定されており、小脇に抱えていた帽子をキッチリと被り直し、片手を胸元へ当てる。

 その仕草はどこか様になり、帽子を被った直後から再び湧き出した冷たい雰囲気に、気品を付け加えた。

 自己紹介と言うよりはある種の宣誓のように、先ほどまでの気弱な少女のような側面を拭い去った彼女は言の葉を紡ぐ。


「私の名はルキア。シャングリラ航宙軍名誉中将、ルキア・A・アトランティス」


「よろしく」と反射的に言いかけるが、直後に名前の最後尾につけられた文字列に反応してしまい、嫌な汗が吹き出した。

 気がつけば、目の前の彼女――ルキアからは厳かな微笑は掻き消え、此方の慌てぶりを待ち望むかのような十数秒前の人の悪い笑みが浮かんでいた。


「………いやいやいやまてまてまて!アトランティスだと?アトランティスと言えば、シャングリラ家王族の分家筋。継承国の武門の代名詞じゃないか」


「そうだ」気が付けば、彼女の口調は最初の時のように固く、男性的なものに変わっていた。それも、他人が狼狽えている姿を見るのが楽しくて仕方がない人種のものに。


「この銀河で有数の伝統と権威あるアルカディア家の人間だ。ま、そんなことはどうでもよろしい。ルキアと呼ぶことを許すぞ?」

「いや、提督、それは」


 名誉階級とはいえ中将閣下、しかもシャングリラの皇族軍人で将官クラスなぞ雲の上の存在だ。反射的に提督と呼んでしまったが、なぜか彼女は不愉快そうに眉をひそめた。


「何を勘違いしている。これは許可ではない、命令だ。わかったな?艦長」

「…了解。ルキア様」

「貴様、まだ脳髄に血が行ってないんじゃないのか?私はルキアと呼べと言ったはずだ。敬称も、敬語も不要、いいな?」


 此方の最大限の譲歩はおきに召さなかったらしく、ピクリと方眉が上がり剣に添えられた手が柄の部分をサラリとなでる。これでは、不敬罪で処刑されるよりも先に、彼女の手によって私刑が執行されそうだ。


「わかったよ、ルキア」観念して一つため息を吐き、名前を口にした。「よろしい」と満足げに一つ彼女が頷く。


「……二重人格、というやつか?」

「帽子は単なるスイッチだ。アルカディア家の一人娘が、あんな性格では外に示しがつかんだろう?生来の性格は治せんが、外面を取り繕うことはできるからな。まったく…我ながら難儀な性格だよ」


 煩わしそうに髪をかき上げ、一つ舌打ちをする。そして徐に剣を抜き放ち、空いた手で適当に背中の中ほどにまで達する絹糸のような髪を纏め、そして。


「貴様、何のつもりだ」

「いや、さすがにそれはどうなんだ?」


 ギロリ、とルキアの双眸がシンに掴まれた利き手の手首に注がれる。自らの髪を断ち切ろうと振り上げられた剣は、シリウス人の手によって完全に静止してしまっていた。


「仕方なかろう。ハサミもナイフも無いのだからな。それとも何か?結ぶものでも持っているのか?」

「んん………あ」

「む?」

「いや、何でもない」

「何でもないことはないだろう?さっきの”あ”は何か見つけたニュアンスのものだろう?」


 彼女自身、出来るのならば野蛮な方法で髪を断ち切ることは避けたいのか「あるなら出せ」と態度で示され、退路を断たれる。

 しかたない。それに、いい機会かもしれないな。

 上着の内ポケットに手を突っ込み、取り出したモノをルキアへと手渡す。少女の手の差舞ったのは特に何の変哲もない、よくある黒いリボンだった。


「ほう、用意がいいな。借りるぞ」

「いいや、持て余していたんだ。もらってくれると嬉しい」

「ん、そ、そうか」


 少し戸惑ったように口ごもるが、次の瞬間には手慣れた様子で黒いリボンを使って一つ結びを作っていた。一般に流通している、まとめた髪が広がらずキツクまとまる簡易的な整髪力場を発生させるものであるため、随分すっきりした印象を受け、よく似合っていた。


「そういえば、大事なことを忘れていた」

「なんだ?」

「助けてくれてありがとう。君がいなければ、死んでいた」


 今度こそ、本当に面食らったように彼女が硬直する。何かを言いかけるように何度か口を開閉させた後、ゆっくりと帽子を脱ぎ、柔らかい笑みを浮かべて首を横に振った。


「いいえ、お礼を言うのは此方の方です。貴方が来てくれなければ、此方はこのステーションが崩壊する時まで、あのままだったでしょう」









「船務長、いかがです?」

「……ダメだな。レーダーの誤作動じゃない」

「ううむ、マジですか。では、ご唱和ください」

「「どうしてこうなった」」

「何やってるんですか、あなたたちは…」


 補給作業中のトラウゼン艦橋で、真顔で顔を見合わせ何の役にも立たない”感想”を同時に口に出す副長代行と船務長に、マール航海長の呆れた視線が突き刺さる。


「いやー、仕方がないじゃないですか。やばいのは事実なんですから」

「推進剤の補給はどう計算してもあと1日はかかる。だが、レーダーの反応では夜半球、つまり風下側から駆逐艦サイズのIFFに応答しない不明艦4隻が接近中で、接触まで12時間。さっきのIFFを連邦以外にした調査ドローンの実験の結果から、ステーションの防衛システムはだんまり決め込んでやがる」

「艦長はステーションの中でバイオハザって音信不通。送り込んだ陸戦隊も艦長が戻るまでここを動かないの一点張り。トドメに、大気がやたら不安定になって自動航行モードじゃ100パー突破できない乱流に包囲されており、気象コンピューターの予想では14時間後、今周囲を囲んでいるシールドが役に立たなくなるほどの巨大な嵐が直撃する可能性があります。…あらやだ、もしかしてこの艦詰んでます?」

「降伏の用意でもしておくかぁ」


 言いたい放題の問題児2人に思わず頭痛を覚える。事実は事実だが、それを簡単にぶちまけるんじゃないと声を大にして言いたい。しかし、この艦が危機に陥っていることを無視するほど愚かになったつもりはなかった。


「ラインムント砲雷長、停泊した状態でも戦えますか?」

「まともに使えるのは艦首の76㎜連装対艦レーザー2基とエンジンポッドの130㎜対艦レーザー4基だけだ。宙間魚雷とミサイルは風に流されて制御はできない。レーザー兵器も大気が濃すぎて射程は20%以下。火器の発砲は可能、なれど戦闘は不可能。それが、砲雷科の結論だ」


 苦々しくこぼし、一つ大きな溜息を吐く。ラインムントはどちらかと言えば宙間魚雷やミサイルなどの誘導兵器を用いた戦闘よりも、レーザー砲などを用いた砲撃戦が好みであった。しかし、いくら砲撃戦の方が好きだと言っても、機動力を封じられた駆逐艦のしょぼい対艦兵器で砲打撃戦なんぞやりたくない。

 的を撃つのは大好きでも、的になるのはまっぴらごめんだった。


「航海長、12時間分の燃料でどこまでいけますか?」

「一応は十分カンダルヴァ前哨基地まで航行可能です。ただ…」

「その先には行けねぇんだな?」


 ルジュの言葉に重々しくマールが頷く。


「カンダルヴァが星系要塞レベルの堅牢な防御拠点であればそれでよいでしょう。しかし、あそこは最低限の港湾施設しかない前哨基地です。防御システムはあるにはありますが、駆逐艦が数隻と巡航艦がいれば、1日と持ちません」

「陥落してれば、俺たちはガス欠になりながら敵さんの基地に突っ込むわけか」

「殴りこむなら、せめて推進剤ぐらいは腹いっぱいで突撃したいもんですねぇ」

「どうする?副長代行」


 ラインムントの言葉につられるようにマールとルジュが、形式上、現在の艦の運営責任者となっている菌類人に視線を向ける。各科の長と話を聞いていたらしき艦橋の乗員たちからの視線を受けたアルジムは、数十秒触手を組んだり解いたりしながら試案を巡らせ、数度目を点滅させた。


「仕方ないですね。船務長、この際予備推進剤タンクリザーブも使いましょう」

「は?いやしかし、リザーブにはポンプはあっても惑星大気から推進剤を生成する装置はつけられていませんが」

「ええ、その通り。ですが、主推進剤タンクメインには装備されていますよね?」

「……なにをお考えで?」


 悪だくみをしているようにしか見えないアルジムに、マールの胡乱な視線が向けられる。ついでに、何か面倒ごとを押し付けられそうだと直観したルジュが小さくほほを引きつらせた。


「お弁当を持っていくことにしましょう。いや、キャンプの準備といった方が適当ですかね。船務長、機関長と相談してちょろっとトラウゼンを改造してみましょうか」

「はぁ、そんなことだろうと思ったよこん畜生。船務科ウチもそんな余裕あるわけじゃねぇからな?」

「何なら、砲雷科から何人か引っ張っていってください。いいですね?砲雷長」

「異存はない」

「これなら、もろもろの準備を含めて3時間ぐらいは短縮できるはずです。艦長が帰ってくるころには、出航準備が完了しているようにしておきましょう」


 了解、と3人から敬礼し各部署へ連絡を飛ばしていく。その様子を眺めながら、触手の先端で通信手用コンソール仕事場をサラリとなでた。


「全く。とっとと帰ってきてくださいよ、艦の責任者なんてガラじゃないんで」


 菌類人の小さな願いは、活気というよりも殺気を帯び始めた環境の空気に即座に希釈されてしまった。








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連邦艦隊奮戦記 クレイドル501 @magnetite

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