第5話 逃避行


 ”セクション制圧完了”


 エバーマクラル軍港中央部に位置する指揮所の統合モニターに、次々と敵地制圧のメッセージが表示されては消えていく。IFFを偽装した奇襲はほぼ完全に成功し、味方の損害は皆無に近い。連邦軍士官学校ということもあり、警備はそれなりに厳重であったが開戦同時攻撃に耐えられるほどの防衛能力は存在しない。中央指揮所を落としてしまえば消化試合もいいところだ。


「提督、軍港の全セクション制圧完了。捕虜はいかがなさいますか?」


 軍港の指揮官席で待っていた報告を受けたのは少将の階級章―アタナイ中央評議会航宙軍の物―を付けたヒューマノイド型知性体。手足は2本ずつで全体的なシルエットは人に似るが、口の周りには頭足類をほうふつとさせる触手がぶら下がっている、軟体動物から進化した軟体人だった。年齢は彼らの基準ではまだ若く、新進気鋭のエリート将校であり、この作戦には抜擢という形で割り当てられた。


「連邦艦隊士官候補生は本国へ送れ、民間人もだ」

「名目はいかがされますか?」

「無知蒙昧なる連邦からの保護とでもしておけ。間違っても連合帝国、いやエリュシオンに敵愾心を抱かせるな」

「了解。それと」

「脱出したサリアン級か?」


 報告を持ってきた巨大なキノコといった風貌のラーチャズ覇権国出身の中尉が言葉を濁し、一つうなづく。彼らの風貌を見ていつも思うのだが、頭部の巨大な傘は重くないのだろうか?それと、ことあるごとに胞子のようなものをまき散らさないでほしい。


「はい。追跡なさいますか?」

「フン、捨て置け。奇襲が成功した今、駆逐艦1隻逃げようが何になる。それに、乗っているのは士官候補生が高々60人だ。わざわざ追跡し、殲滅する必要もなかろうよ。ダミア、ウォルトンは初期ロットの老朽艦だ。沈んだところで痛くもかゆくもない」

「はい。しかし、老朽艦とは言え2隻の駆逐艦を1隻で撃沈した相手です。残しておけば後々の禍根になるのでは?」


 中尉の進言に、腕を組み首をかしげ眉間にしわを寄せる。確かに、1隻の駆逐艦にわが艦隊の所属簡2隻が手もなくひねられたのはプライドを大きく刺激された。しかし、かといって個人的な恨みを晴らせるような余裕もないのが現実。


「上からの命令は軍港の制圧だ、軍港戦力の殲滅ではない。それに、いま手元にあるのは巡航艦1隻、駆逐艦2隻、コルベット6隻だ。コルベットでは6隻すべて出さねば駆逐艦相手に分が悪いが、無ければ無いで小回りが利かなくなるしそれでも勝てる保証はない。逆に駆逐艦2隻を出しても先ほどの二の舞になりうる。巡航艦では追いつけず、駆逐艦とコルベットを差し向ければ問題なかろうが巡航艦と揚陸艦が丸裸になり、何より不経済にもほどがある。捕虜の輸送任務もあるんだ、追撃に裂ける艦はない。それが結論だ。ほかに進言がないのなら下がれ」


「了解しました。失礼します」柄の部分から生えた触手で敬礼を行い、回れ右をして中央司令部から退出していくのを見送り、ふと気になった点を確認するためモニターへと目を向けた。視界に入ってきたのはレーダー画面と重ねられた周辺宙域図、”ENEMY”と毒々しい赤で表示された輝点はザーメグ星域方面へのアンダーレーン突入点手前でチャージ中。しかも最大戦速ではなく、巡航速力で進み、悠々とだ。追撃を振り切ろうとしてる艦には見えない。機関の不調か、それともこちらに余裕がないことを見抜いているのか。後者だとするならば、よほどの戦上手か、それともとんでもない楽観主義者のどちらかだろう。


「漂う天宙龍は避けて通れ、か。随分暢気な龍も居たものだ」


 司令官席の肘沖のホルダーに収まっていたドリンクを手に持ち、乾杯するように目線に掲げ一口あおる。おんぼろとはいえ2隻の艦を失ったのは頭に来るが、それはそれとして分裂弾頭ミサイルと無人コルベットによる攪乱、隙を突いた迷いのない突撃と離脱は鮮やかというほかない。新米とはいえ、あのような操艦ができる艦長がなかなか居ないことはわきまえて居る。

 高潔な武人と他国から評されるアタナイ人の軍人として、敵とはいえ有能な武人に賛辞を惜しむ必要はない。


「通信、離脱する駆逐艦に通信を送れ文面は…」







 アンダーレーン突入前の忙しなさの中、最終チェックをできるだけ端折りながら行っていたシンに、言葉の端々に面白さをにじませたアルジムが報告を行う。


「艦長、エバーマクラル要塞から電文が届きましたよ」

「なんだ?トラウゼンの返却なら99年後に実行する予定だと返してやれ。降伏勧告なら」

「いえいえ、そうではなく。んー賛辞と呼ぶべきですかね」


「なに?」本来なら敵から送られてくる電文に対する表現として不釣り合いなソレにシンの視線が手元のモニターから通信手席のアルジムへと向けられる。ついでに、それを盗み聞きしていたらしい兵装担当士官や航海長、操舵手までもが視線を向ける。


「読み上げろ」

「は、では。んんっ『貴官の勇戦に敬意を表する、再戦の日まで天宙龍の加護ぞあれ。エリュシオン星間帝国第732襲撃戦隊指令、エドガール・ノルマンド少将』以上です」

「勇戦ねぇ。どうもエリュシオンではヤケクソのことを勇戦と呼ぶらしい」


 顔をゆがめてひねくれた笑みを作る艦長に操舵手以外が苦笑する。唯一、文字通りヤケクソな操艦をその手でこなした操舵手は艦長と同じ意見のようだった。


「そのヤケクソな勇戦のおかげで、我々はまだ生きているんですから。そうぶすくれ無いでくださいよ。で、何か返信しますか?」

「いいだろう。向こうもそんなつもりで打ったわけじゃない。しかし、ノルマンド少将か、だれか聞いたことはあるか?」


 周りを見渡すが皆一様に首を振る。連邦艦隊将校として、将官クラスの名前はあらかた叩き込まれたわけだが、その中で誰一人心当たりがないとなると、この作戦で抜擢された軍人かもしれない。

 エバーマクラル軍港は確かに軍港の中では小規模な方だが、それでもあの時係留されていたのは巡航艦4隻、駆逐艦8隻、コルベット16隻の第82巡察戦隊。それを高々テロ制圧レベルの小規模艦隊で制圧したのだから、並の軍人ではないだろう。


「艦長、彼らが拿捕した艦艇で我々を追撃する可能性はあるのでは?」


 どこかソワソワした航海長の進言に一つ頷く。彼の危惧ももっともだが、今は考えなくていいだろう。


「それは無い。彼らは軍港を少数で制圧した。その手際は見事というほかないが、頭数の無さはどうにもならない。拿捕艦艇のAIを書き換えて無人運用する手もあるが、書き換えにはAIを初期化して再教育を施す、1月は必要だ。そのころには僕らはトリ・アンフに到達しているさ。コルベットでも追いつけない」


 三つの目が納得したようにやわらぎ、一つ胸をなでおろす。緻密な航海計画を練り上げる彼にとっては、追手の存在は自分以上に神経質になってしまうのだろう。


「さて、アンダーレーンに突入するぞ。異次元にたくなければ全員配置に戻れ」


「了解!」と子気味の良い返事とともにそれぞれの作業を再開する。アンダーレーン侵入点はもうすぐそこ、後30分もすれば仕事の時間だ。

 それにしても、と。意識の一部は送られてきた電文に向けられる。

 エドガール・ノルマンド少将…か。こっちが駆逐艦2隻つぶしたから、即座に昇進というわけではないだろうが、できれば二度と会いたくない相手だな。








 アンダーレーン航法。現在この銀河で主に使用されている超光速Faster Than Light航法で、この航法を実用化して初めて星間国家として認められる一つの指標だった。原理として、まず今我々が存在する宇宙に重なるように存在する異宙空間アンダースペースジャンプエントリーする。異宙空間には星々の重力井戸の淵から延びる通路アンダーレーンが他の星系へと伸びており、そこへと侵入すると距離にかかわらずわずか1日で通路でつながった別の星系の反対側の出口から、自動的にジャンプを行いつつ通常空間へと押し出レーンアウトされる。

 アンダーレーン航法の最大の利点としては何百光年離れていたとしても、レーンさえつながっていればわずかな時間で移動できること。宇宙を航行する技術としては時間短縮は何よりも重視されている。

 反対に欠点としては、ジャンプ後の異宙空間では現在艦船で主に利用されている常温核融合炉が強制停止してしまうため、脱出後の充電とレーン航行中のエネルギーを先にプールする必要があること。通常空間からジャンプするためにも莫大なエネルギーが必要であるため、最短でもジャンプ5日前から艦の身動きが取れなくなってしまうことにあった。また、大艦隊であればあるほどそれぞれの艦が同時にレーンアウトするために、艦同士のリンクに時間がかかる。

 ジャンプ準備中の艦隊にレーンから飛び出てきた敵艦隊が襲い掛かり一方的になぶられて壊滅するのは、星間戦争において勢力が変わる大きな節目に頻発する事象だった。むしろ、戦力の小さい方はそういう乱戦を積極的に狙う傾向にあり、巨大な星間帝国といえど艦隊の規模が際限なく大きくなることはない。




「艦長、エントリー準備完了しました!」


 30分後、待ちに待った報告に帽子を被りなおす。恒星エバーマクラルの重力井戸から抜けて約5日弱、艦内の生命維持装置以外を停止しチャージに回したため予想よりも3時間ほど早い。

 慣性航行ができればレーン到着と同時にエントリーができるのだが、あいにく異宙空間を進むための艦体構造材は宇宙に満ちるダークエネルギーの干渉をもろに受けてしまうため、惑星上の艦のように抵抗が発生する。そのため、亜光速航行では常に推進剤を噴射する必要と、艦体のデザインをある程度流線形に落とし込む必要に迫られていた。これもアンダーレーン航法の弱点といえる。


「機関」

『ジャンプドライブ臨界状態を維持。いつでもいけるぜ、艦長』

「航海」

「アンダーレーン侵入点誤差補正完了。コンディション・グリーン」

「船務」

「艦内隔壁閉鎖完了、周囲に敵影及びデブリなし。GOです」

「砲雷」

「火器類安全装置確認よろし、いつでもどうぞ」


 各科の長に最終確認を行う、すでにジャンプドライブは臨界状態にまで高められており、後は自分の号令一つで艦は通常空間から姿を消すだろう。

 かつて地球人類が発明した時空ワープ方式よりは格段に安全とは言え、アンダーレーン航法も絶対安全とは言えない。通常空間にジャンプドライブから放たれる穿孔力場で無理やり大穴をぶち明けて異宙空間に突入するのだ。ドライブが暴走し暴力的なエネルギーが解放され文字通り消滅した艦や、穿孔力場の計算を誤り突入中に穴が閉じて輪切りにされた艦など事故事例は枚挙にいとまがない。

 しかし、ここで怖気づくようでは宇宙の船乗りなんてやってられなかった。


「両舷前進全速!ジャンプドライブ・エントリースタート!総員対ショック姿勢!」

「両舷前進全速!エントリー開始!」


 それまで静寂を保っていたトラウゼンのスラスターが閃き、200mを優に超える艦体を駆逐艦らしい加速性能で推進剤の尾を引きながら前進させていく。と同時にジャンプドライブを始動させたトラウゼンの艦首から穿孔力場がアンダーレーン侵入点へと放たれ、突如として前方に空間ごと切り取られたかのような直径1㎞程度の黒い円盤が出現する。凹凸を感じさせない円盤の向こうは、通常空間とは異なる法則によって支配された異宙空間へつながっている。いつも思うが、何も見えない円盤へ向かって最大戦速で突入するのは精神衛生上あまりよろしくない。

 ややあって、トラウゼンの細長い艦首が円盤に突き立ち、抵抗なく駆逐艦の艦体を飲み込んでいく。後に残ったのは僅かばかりの閃光と、通常空間がかき乱されたことによって生じた空間航跡のみだった。











 ガクン。と艦全体が揺さぶられるような振動と意識が遠のくような感覚を感じ、何度かの瞬きと深呼吸で意識をはっきりと認識させる。艦橋の窓へと目を向けると、青系の毒々しい色を背景に、さまざまな色のラインが複雑な幾何学模様を描きながら無数に走り抜けている光景が目に飛び込んでくる。

 艦体に使用されている特殊構造材がなければ、1秒と持たずに素粒子レベルにまで分解される空間。正しく、この世のものではない光景。異宙空間の日常だった。


「アンダーレーン侵入完了。艦内時空歪み誤差許容範囲内。リエントリシステム正常稼働中。23時間52分後、本艦はレーンアウトしザーメグ星系に到達します」

「第1種戦闘配置解除、第3種警戒配置に移行。各員は交代で休息をとるように」


 戦闘配置が解除された艦橋に少しばかりの安堵の空気が流れる。アンダーレーンに入ってしまえば電子機器などの索敵装置は使い物にならず、各種兵器も撃てはするがあさっての方向に飛んで行ってしまう。レーン内でお互いの艦を視認することは可能だが、戦闘は不可能。それが常識であった。

 ようやく緊張を解いたシンも一つ伸びをするが、航海長の視線を受けてまだやらねばならないことを思い出す。本音を言えば艦長室のベッドに今すぐにでも潜り込みたいが、この分では当分不可能だろう。


「アルジム、各科の長を1時間後に会議室に集めてくれ。今後の方針を考えよう」

「了解。会議の準備をしておきますよ」

「ああ、頼む。それと貴様も来い」

「はい?どうしてです?」

「そういえば副長をどうするか決めてなかった。代理だ」

「えぇー、ヒラの新米通信士なんですけど」

「それを言うなら、どいつもこいつも新米士官だらけだ。貴様だけ楽はさせん」


 ぶっちゃけ副長代理は、アルジムを会議に出席させるための彼自身のこじつけだった。職権乱用といえばそれまでだが、この異常事態において艦の行く先を決めるとき、気の置けない仲間の存在は得難いものだ。

 観念したようにアルジムがスリットを点滅させるアルジムから視線を逸らし、肘置きの先に取り付けられたモニターへと向ける。手のひらより2回りほど大きいモニターには赤字で”【CAUTION!】 PROPELLANT EMPTY”と表示されていた。











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