第3話 抜錨
いきなりつけられた階級に戸惑うシンだったが、「そりゃ、貴方が最先任ですからね」というアルジムの言葉と触手に背中を押されてコルベットに乗り込みかける。
しかし、コルベットへと踏み出そうとした彼の足は、直前で止まってしまった。これまでに広い集めたパズルのピースが組み上がり、最悪の絵を浮かび上がらせたためだった。
「ロンロ、監視カメラは?」
「全部ぶっ壊した、当たり前だろ?それがどうかしたか?」
「艦を変えるぞ」
「はぁ?貴様、何言って」
「説明している暇はない。急げ」
「けどよ、他に艦なんて……」
「艦ならあるだろ?出来立てホヤホヤのが」
シンか親指で指し示した先を見たロンロが絶句する。彼の視線の先には、黒光りする駆逐艦が出港の時を待っていた。
『一応聞いておくが、駆逐艦なんぞ動かしたことあるのか?』
「アルファ・ケンタウリで一度だけ訓練艦の指揮を取った事がある。指示にしたがってくれるか?」
『シュラララ、体よく責任押し付けた格好になったからな。エンジンは任せとけ、俺と一緒にこの艦に乗る予定だった奴もいるからな』
「頼むぞ、ロンロ。いや、機関長」
『了解、ルックナー艦長』
インカムの通信を切り、艦長席から艦橋を見渡す。コルベットのそれよりは広いが、まだまだ手狭な印象を見るものに与え、ひよっこ同然の士官候補生が青い顔をして配置についている。一通りの職務はこなせるが、誰も彼もが実戦を前にして怯えているのが手に取るようにわかった。
「艦長、コルベットの用意完了。作業人員収用しました」
近くの通信手席に陣取ったアルジムが作戦準備――これが作戦と呼べるものならばだが――完了を告げる。ちらりと時計を見ると教官と別れて10分が経過している。あわよくばとも思ったが、これ以上は待てない。
決断は、自分が下さなければならない。
「全艦に達する、臨時で指揮をとっているシン・ルックナーだ。これよりエバーマクラル軍港より離脱する。その際、敵の激しい攻撃を受けるだろうが、我々は押し通る他にない。無茶な作戦ではあるが、最悪の状況でここまでたどり着いた諸君らならば出来る。では、各員の奮励努力を期待する」
一つ合図するように深呼吸し、官帽を深く被り直す。
しくじるなよ?シン・ルックナー。教官が残した最後のチャンスだ。無駄にしたらヴァルハラで鉄拳制裁が待っているに違いない。
「……全艦に通達!航宙艦橋装甲シャッター閉鎖!作戦、第1段階開始!」
「レナルド、1番発射!」
艦橋の窓に装甲シャッターが下ろされ、内側に外の映像が投影される。直後、右舷側に停泊していたレイアブク級コルベット、レナルドの4基備えた魚雷発射管のうち一番右の発射管から
「第2段階!」
「レナルド、両舷前進全速!」
レナルドに搭載されている反応炉の熱を受けて急速に膨張した推進剤が青白く発光しながら噴き出し、ドック後部の壁を赤熱させる。艇体を保持していた簡素なアームが折れ飛び、デブリを伴いながら小柄なコルベットが宇宙へと飛び出していった。
「火器管制レーダー検知!レナルド、ロックされました!レナルドよりレーダー情報取得、攻撃位置にいるのは駆逐艦2隻!デルアイム級!正面!」
外の艦艇の情報がようやく届く。デルアイム級はアタナイ評議会の大型駆逐艦だ。サリアン級駆逐艦よりも大型だが武装にそれほど差異はない。火力偏重、補給度外視で実弾兵装が多い艦隊決戦用のサリアン級とは異なり、経戦能力が高いエネルギー兵器を主武装とした、星間警備や通商破壊など航続力と経戦能力に重きを置かれた軽巡洋艦的な性格が強い艦だ。
しかし、サリアン級1隻で相手できるような存在ではない。
「第3段階!爆砕ボルト点火!」
駆逐艦の係留装置はコルベットのそれとは異なり、艦の出力でねじ切れるものではなく、緊急用の爆砕ボルトを利用する。本来ならば軍港の指揮所かドックの指揮所から係留装置を解除するが、司令部を抑えられた今は当てにならない。
爆砕ボルトのコントロール系統は独立したもので、軍港側からロックはかけられない。コルベットに気を取られている隙に最大速力で軍港から脱出する。
「ば、爆砕ボルト作動しません!」
艦橋オペレーターの一人が――植物系の知生体だった――が切羽詰まった声を上げる。艦長席のコンソールにも”ERROR”の毒々しい赤文字が躍る。
「艦側から係留装置を解除しろ!」
「ダメです!港側からロックがかかっています!」
ゾワリ、と背筋を悪寒が走った。
止まりそうな思考を無理やり蹴飛ばして代案を模索する。係留装置を外す方法は爆砕ボルトと制御盤の操作の2通り。後は力業。
係留装置を艦載兵器で破壊するか?――レーザー砲の射界の外、ミサイルを使えばトラウゼンごと吹き飛ぶ。。
機関出力でねじ切るか?――不確実なうえに、速度と奇襲効果を捨てることになる。速度のない駆逐艦など
ドック指揮所に人を送って解除させるか?――確実性は一番高いが、すでにドック内は真空状態。気密服を着て行ったとしても戻ってこれまい。
誰かが残るしかない。
一番気分的に楽なのは、自分が解除しに行くことだが、不運なことにこの59名の中で艦を指揮した経験がある人間はいない。主計、火器、航海、機関。一通りの役職はそろっているが、指揮官コースの人間がいない。
生きて非情な負け犬か、死んで無責任なお調子者か。選ぶべきは…
艦橋に絶望的な空気が流れる中、艦全体にかすかな振動が走り、ぐらりと左右に揺れた。誰もが信じられないといった顔を見合わせ、オペレーターの一人が興奮で背中の蔓を激しく振動させながら叫び声をあげる。
「か、解除されました!係留装置解除!いけます!」
沈んでいた艦橋が爆発音のような歓声に包まれる。まだ窮地から脱したわけでもなく、作戦計画に遅れが出ているというのに、艦橋要員の中に作戦成功の確信が芽生え始める。
理由はわからないが、係留装置が外れたのなら後はどうにでもなる。この好機を逃すわけにはいかない。
「1-1番、2-4番!
トラウゼンの両舷上方側のエンジンポッド前方のハッチが開き、対宙ミサイルが発射され隔壁を吹き飛ばす。空気はすでに存在しないため視界は一瞬で爆煙とデブリに染まり、飛び散ったデブリが艦橋の防弾・防片ガラスや艦体に衝突しかすかな振動が伝わる。
「砲雷撃戦用意!1-2から4-12番、
「1-2から4-12番ハッチ開放!」
「1,3番、目標α!2,4番、目標β!諸元入力良し!」
「
エンジンポッドのハッチが全て解放され、46の槍が矢継ぎ早に放たれ白煙でドックを漂白しながら暗い宇宙へと駆け抜けていく。
目暗ましはここまで。次は、自分たちの番だ。
連邦の歴史の中でも、ここまで慌ただしい処女航海を迎えた艦はないだろう。
軍楽隊の演奏も、見送りの高級将校もいない。艤装を行っていた艤装員や艤装員長は両舷上陸を行っていたからか、ロンロをはじめとするわずかな人員以外いない。
出航を祝福するのは多様な楽器が奏でる軍歌ではなく、無数のレーザーとミサイル、実弾砲の火箭。見送るのは同期の骸と破壊された基地。見送られるのは綿毛も抜けていない雛鳥と共食い艤装で間に合わされた駆逐艦。
おそらく、銀河一不幸な駆逐艦だ。この航海の先に待つのは、まともな運命じゃない。もしかしたら、あのまま捕虜になっていた方がマシな人生を歩んでいたかもしれない。
それでも、進まなければならない。59の命を戦場に駆り出した責任を取るために。自分に艦の意思決定をゆだねた仲間の信頼に答えるために。祖国の凶行の真意を知るために。そしてなにより、生きるために。
「抜錨ォ!両舷前進一杯!」
「両舷前進一杯!宜候!」
4基の常温核融合炉がもたらしたエネルギーがメインスラスターへと伝達され、ドック内に残っていたミサイルの白煙を吹き飛ばす。吹き流される白煙が環境を包む中、ふと左舷側の窓へと目を向けた。引き裂かれる白のヴェールの向こう側、ドック指揮所の窓が一瞬垣間見え、思わず目を見開く。
指揮所に立っていたのは、軍服の彼方此方を深い海を連想させる青い血によって汚したハルトマン教官だった。頭部の甲殻は半分ひしゃげ、吹き飛び、青黒い脳がわずかに見えている。どう見ても致命傷だというのに、満身創痍の教官は挙手の敬礼を送り、不敵に笑っていた。
何のことはない。最後の最後まで、自分たちは教官に守られっぱなしだったということだ。
ツンと鼻の奥に生じた刺激を無視し、ほとんど反射的に答礼をする。どうやら其れを見ていたのは自分だけではないようで、ほかの数人も同じように答礼をしていた。
教官の姿は後ろへと流れていく。出力一杯のスラスターが目の前を通過すれば指揮所もただでは済まない。しかしここで出力を落とすことなぞ出来ようはずもない。
「おさらばです。教官」
アルジムの穏やかな声が、この時ほど胸にしみたことはなかった。
「ったく、最後まで世話のやける奴らだ」
ぐらつこうとする体を気力で食い止める。力みすぎたのか、穿たれた甲殻の隙間から血が吹き出すが今となってはどうでも良い。後ろからはドロイドがドアを破壊しようとする音が響く。直に、発破か何かで開くだろう。
「あばよ、戦友。貴様らに天宙龍の加護があらんことを」
後ろのドアが吹き飛ばされると同時、ドック指揮所のガラスはトラウゼンのスラスターの熱量に耐えられず崩壊し、ハルトマンの意識は漂白されていった。
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