第7話 棺桶の底で


 何度目かの覚醒


 目の前に広がるのは細かな傷の位置と場所、形状すらも覚えてしまった光景


 変わらない画像を脳が認識するが、その刺激はもはや意味を持たない


 数えるのを止めてからどれほど時間がたっただろう


 この指が最後に動いたのはいつだっただろう


 この喉が最後に動いたのはいつだっただろう


 この心が最後に動いたのはいつだっただろう


 この身体が最後に他者を認識したのはいつだっただろう


 とりとめもなく、意味もなく、答えもない


 まだ生きていることを確認するだけの自問自答が、ゆっくりと意識の中を回遊する


 氷漬けになった時間の中


 目の前の僅か1㎝にも満たない壁の外では時間は緩やかに過ぎ去っていく


 再び認識してしまった今日に、もはや絶望すらも浮かんでこない


 諦められるなら、どれほど幸福だろう


 終わらせられるなら、どれほど幸福だろう


 永遠に目を閉じ、二度と起きなければどれほど幸福だろう


 ああ、でも…それ以上に







 もう一度、■■■■■■■■■■■■■られるなら。どれほど幸福だろう。












「幽霊ステーションってやつか?」

「その割には小奇麗ですし、艦もあるのが妙ですよねぇ」


 結局、ステーションへの採算の呼びかけにも返答はなく、警告射撃もなく、トラウゼンは周囲を取り巻くエネルギーシールドの中へと侵入を果たした。

 さすがは継承国のシールドと呼ぶべきか、内部は無風に近く操艦に支障は全くない。これならばスムーズに推進剤の補給が行えるだろう。残念ながら港は3隻の弓のようにも見える航宙艦でふさがれており入港はできなそうだ。インヴォン級巡航戦艦1隻、ストボーン級護衛艦2隻。資料映像の記憶から該当する艦を引っ張り出してみるが、シャングリラ継承国はその隔絶した技術により新型艦を作る必要がない。開発年のみで考えれば旧式どころか博物館レベルの代物だが、性能ベースで考えれば自分たちが乗っているトラウゼンどころか、最新鋭戦艦ですらかの艦の前では博物館どころか化石に等しいといわれている。


「よし、両舷停止。補給作業にかかれ。それと、内火艇と与圧服の用意を」

「乗り移るつもりですか?」

「艦があるのに返答がないのが妙だからな。何、少し様子を見てくるだけだ、1時間で戻る」

「艦長が行く必要性ってあるんですかね?」

「部下だけを送り込んで侵略と取られれば厄介だ。最高責任者が同行すれば”挨拶”と言い訳もできるだろうよ。それに僕の我儘に乗員を巻き込めるか」

「んん…砲雷長、何人か手すき要因とドロイドのいくらかを艦長の護衛として付けれますか?」


「おい、一人で十分だ」シンが顔をしかめる、「可能だ、4人でいいか?」とラインムントの言葉でさらに顔が険しくなる。「ドロイドなら12体は出せるぜ」興味津々といった風なルジュ船務長。「やっぱりやめたは無しですよ?艦長」少し笑みが含まれたアルジムの声でゲームセット。

 理由ならいくらでもでっち上げられるが、ちょっとした好奇心で部下を危険にさらすことに違いはない。


「まあ、もしかしたら継承国の通信回線を利用して本国に救援要請を飛ばせるかもしれません。連絡さえ取れればだいぶ楽になりますし」


「ご武運を祈りますよ」とハンカチを振るアルジムを少しにらみつけ艦長席から降りて艦橋を後にする。内火艇の中に入るとすでに武装を整えた屈強な砲雷士と12体のアラクネ型ドロイドが自分の到着を待っていた。






 トラウゼンの艦底部から発進した内火艇はゆっくりとした速度でステーションから延びた港湾区画の連絡艇ドッキングポートへと滑り込んでいく。連邦の規格は継承国の規格をそのまま流用しているため、特に何の問題もなくドッキングが行われハッチが開いた。

 ハッチの先には清潔感を感じさせる白い照明で照らされているが、人の気配といったものが全くない。とはいえ、与圧服の腕部分に取り付けられたコンソールはステーション内が連邦艦艇と同じ標準大気で満たされており、危険な物質は存在しないと結論付けている。5人とも結果は同じであり、砲雷士の一人が試しに与圧服を脱いでみるが特に異常は見られなかった。



「本気で、幽霊ステーション疑惑が出てきましたね。艦長」

「無人なら無人でいいんだが、それならどうして港に艦が残っているんだ?」

「全員異宙に落っこちちまったんじゃないですかい?」


 無人のステーションの通路を歩きながら予想を交わしていく。空調の音が響く通路に軍靴と歩行脚の音が物悲しく反響し、何処となく寂しげな印象を歩くものに与える。生物どころかドロイドにすら出会わない。

 無機質な通路を歩くこと数分、突き当りに現れた扉が自動的に開くと軍港の制御室らしき場所へ出た。もちろん、そこも無人。一目で高性能だとわかる機材がずらりと並び、モニターには待機画面と思われるシャングリラの国章がゆっくりと回っていた。コンソールのボタンを適当に押してみるが、ロックがかかっているのか、その手のことが得意な1人が手を尽くしてみても、うんともすんとも言わない。周りを見渡せば今入ってきた通路とは別の通路が2つ部屋の両側に口を開けていた。

 この場にいるのは自分と砲雷士のカナン、マルシュ、オル、アイガー。そして12体のアラクネ型ドロイド。そして装備品は人数分の荷電粒子PDWと腰に差したブラスター。一塊になって探索するよりも、手分けをして基地内の捜索を行った方がよいだろう。


「それがよさそうですな。化け物が出てくるような雰囲気はありませんし」

「では、カナン、マルシュ班とオル、アイガ―班に分かれて探索。20分後にココに集合だ。ドロイドも2班に分割、隊列の前後で警戒させながら進め。場合によっては使い捨てても構わん」

「了解、艦長はここで待機していてください」

「なに?それは」

「ここまでは安全でしたからね、もちろん護衛としてドロイドを2体残していきます。艦長の射撃の成績は知ってますので」


 言外に「へたくそがいると邪魔」と言われ、その通りなので言葉に詰まる。この時ほど、自分の射撃下手を恨んだことはなかった。何とか抵抗を試みるが、ここにいるのは射撃の成績や白兵戦に関しては上位者ばかり。ラインムントは実に良い仕事をしてくれた、欲を言うのならばもう少しに歯に衣を着せた言い方ができる奴を選んでほしかった…







「ダメだ、どうにもならん」


 探索班が出発してから約10分、コンソールをいじくってみたがうんともすんとも言わない。1体のドロイドを待機モードにしてコンソールにつなぎ、基地のメインフレームを探ろうとしたが、攻勢防壁によってメインプログラムが焼き切られ木偶の坊になってしまっている。星雲を突いて龍を出すとはこのことだ。

 これは強引にでもどっちかの班についていった方がよかったかと、思案を巡らせながら背もたれに体重をかけたときだった。

 ガクリと腰かけていた椅子が下降を開始し慌ててしがみつく。最初は高さ調節装置の誤作動かと思ったが、気が付けば今まで自分がいた港湾指令室が頭上へと消えていた。まずいと立ち上がろうとするが、それよりも早く椅子とそこに座った人間がギリギリ通れるぐらいのシャフトをどんどん下降していく。管制室の中央で警戒していたもう1体のドロイドが慌てて近づいてくるような足音が聞こえ、無機質な顔が縦長のシャフトの上からこちらを覗き込んだ瞬間、わずかな電動音とともにシャッターのようなものが突き出し遮断してしまった。

 降りることも登ることもできず、シンは何か妙なスイッチでも押したのかと先ほどまでの行動を思い出しつつ、下降が止まるのを待つほかなかった。




 時間にして20秒後、椅子の下降が止まると簡素ではあるが問題しかない部屋に行きついてしまった。1辺10m程度、高さ5m程度とそれなりに広いがそんなことはどうでもいい。

 問題は壁と床一面に付着した赤いアメーバのようにも見える肉塊、よくよく見ればシャングリラ人とみられる真っ赤な人型が肉塊のあちこちから突き出ている。その表情はどれもこれも怪物に襲われる瞬間を、永久に固定化したように恐怖に引きつり苦悶の表情を浮かべていた。

 そして部屋の中央にはそういった無残な人型を集めたような、天井にまで届きかけた巨大な肉塊が鎮座し、その表面は明らかに脈打っている。その色も壁や床に付着したそれよりも幾分か”血色”がよく、それと比較するならば壁や床の肉は”死んでいる”とみていいかもしれない。

 バイオ兵器か未確認の宇宙生物か、どっちでもよくはないが幽霊船ものとしちゃ在り来りな元凶だな。ミステリ小説というよりも、パニック小説の部類だが。

 饐えた匂いに顔を顰め、混乱しそうになる意識を能天気とも場違いとも取れる感想を意図的に吐き散らすことで、現実に固定する。

 座っていても椅子が再び上昇する気配はない。逃げ道は左右に2か所、正面の肉塊の向こうに1か所。今のところ、肉塊は脈動するだけでこちらを襲う様子はなし。手持ちの火器では対処できるようには到底思えない。荷電粒子PDWどころか、最低でもプラズマ弾頭対戦車無反動砲が欲しいところ。欲を言えば空間魚雷。動く逃げるしか現状を打破する手はなく、その機会は今まさに目の前に転がっているように見えた。

 深呼吸を一つ、二つ、三つ。重心を尻から足へ移動させ、一気に左の壁に口を開けた通路めがけて走り出した。

 地面に残った赤い肉は踏みつけるごとにぐにゃりと気味の悪い感触とともに変形し、足を取られそうになる。数歩進んだところで直感が警鐘を鳴らし1歩左へと針路修正。その瞬間、大気を切り裂いた生々しい触手としか掲揚できない代物が今まで自分の胴体があった位置を貫き、勢いそのままに正面の壁に生えたシャングリラ人の亡骸に激突し、真新しい赤い花を咲かせた肉片と血しぶきが舞った

 おぞましい光景に鳥肌を立たせながらちらりと後ろを振り返ると、肉塊から2mはあろうかという人型がズルリと歩み出ている光景を目にしてしまう。人型は数歩よろめくように歩いたかと思うと、ゴキリと生物としては致命的な音を響かせながら首を回して顔をこちらへ向けた。

 全体的なフォルムは人のそれだが、身長は2m以上、皮膚はなく赤い筋線維や白い筋がところどころ露出しており、全身を無数のミミズのようにも見える細い触手がうごめいている。眼窩に無理やりはめ込まれたような緑色の宝石のようにも見える目玉を、獲物自分へと向けて爛々と輝かせていた。先ほど空を切った太い触手は、どうやらあの人型の腹から飛び出たものらしく。ほかにも何本かの太い触手が腹から延びて地面をのたうっていた。

 喉の奥から自分でも聞いたことのないような情けない悲鳴が漏れ、転がり込むように通路へ入ると壁にあったボタンを力任せに殴りつける。それと同時に壁に埋め込まれていたシャッターが瞬時に閉まり、今まさに自分の足をからめとろうと迫っていた2本の触手を切断した。

 切断された触手が饐えた匂いを発しながら痙攣するのをしり目に疾走を続ける。軽い気持ちでステーション探検などと言い出した40分前の自分を、思い切り殴りつけてやりたい衝動に駆られながら、破壊されかけているドアの音から一刻も早く遠ざかるように走る。


「カナン!マルシュ!オル!アイガー!艦長命令だ!すぐに艦へ戻れ!」

『こちらカナン班。敵ですか!?位置はどこです!?』

『こちらオル班!管制室へ急行中!8分、いや4分待ってください!』

「馬鹿野郎!艦へ戻れと言っているだろうが!管制室の地下にとんでもない化け物がいるんだ!艦へ戻り次第空間魚雷なりなんなりで基地ごと吹き飛ばせ!」

『艦長はどうするんですか?!てか無事なんですか!?』

「現在進行形で逃走中だ!僕のことはいい、こっちで引き付けておくから先に行け!」


 通信機の向こうで息をのむような空気を感じる。つい数分前までは不気味な廃墟探索だったのが、いきなり生きるか死ぬかの窮地に叩き落されたのだ、無理もあるまい。それ以上に、この探索は自分のわがままも同然の代物だ。部下とはいえ寝食を共にした同期を、こんなしょうもない理由で散らさせるわけにはいかない。責任とリスクを支払うのは当事者だけで十分だ。


『バカは貴様だルックナー!何が先に行けだ!?艦長が最初にくたばってどうする!?』


 通信機から響いたオルの怒声に鼓膜がびりびりと不快に振動し、その言葉の内容に自己犠牲などという甘い誘惑に傾いていた意識に、無反動砲で殴られたような衝撃を受けた。


『ここだけの話、俺は貴様に恨みがある!ルイナ・リーン候補生を忘れたとは言わせんぞ!あの時、貴様がシェルターから連れ出さなければ弟は、ルイナは死なずに済んだ!俺ともども捕虜にはなっていたろうが、生きてはいただろうさ!』


 ルイナ・リーン候補生。その名を忘れたことはない、シェルターからトラウゼンで脱出する直前、ドロイドに追いつかれた結果命を落とした数人のうちの一人だ。自分の行動が招いた、


『正直、ザマアミロと言ってやりたいよ。ぶっちゃけ、そのまま貴様が死んじまっても、俺は一向にかまわん。けどな、シン・ルックナー候補生は死んでもいいが、シン・ルックナー艦長が死ぬことは許されねぇぞ!俺は弟の分まで生きにゃならんのだ!』


 僕は、どうやら自分の現状を全く理解していなかったらしい。


『自慢じゃないが、俺は艦の指揮なんてできねぇ!駆逐艦1隻で倍の相手を一方的にぶち壊すことなんざ想像もできん!そんなことができるのは貴様だけなんだよルックナー!俺たちをエリュシオンのクソ野郎から逃がしたんなら、最後まで責任を取ってもらう!貴様には、死んでも俺たちを味方のもとにまで連れてってもらうぞ!?』


 艦長。艦の最高責任者。その言葉の重さをようやくここにきて実感する。


『だからな、最後まで諦めんじゃねぇ!撤退命令?クソくらえだ!我が班はこれより艦長救援に向かうぞ!』

「いやダメだ!今の装備じゃ奴に歯が立たない!最低でもプラズマ砲、いやそもそも歩兵火器で相手できるのか怪しい!」

『だったら連絡船発着所で待機だ!歩兵火器でも1個分隊以上の火器で制圧射撃すりゃ足止めぐらいにはなる!死ぬ気で走ってこい!以上!通信終わり!』

『…ったく、あの野郎、上下関係を一から叩き込まないといけないらしい。だが艦長、カナン班も同意見だ。我が班もこれより友軍と合流し、待機する。………帰って来いよ、ルックナー』


 切れた通信に知らず知らずのうちに笑みが浮かぶ。それはようやく艦長という重責を認識した自分に対する嘲笑か、それとも、人のことを言えないカナンに対してか。

 まあ、今となってはどうでもいい。いいだろう。最後まで意地汚く生き残って、お前ら全員、味方星系まで引きずって行ってやろうじゃないか。それが例え、中性子星の中に突っ込むような所業だろうが、可能性があるなら最後までそれを握りしめてやる。





 途中、何度か曲がり角を曲がり全力疾走の人生最高記録を更新し続けていたが、突き当りの扉を潜って思わず絶句する。


「行き止まり、だと?」


 通路の突き当りにあった部屋は3m四方、中は通路とは異なり薄暗く、真ん中には初期のコロニー船で使われたような人口冬眠装置によく似たカプセルが鎮座していた。表示を見る限り動作しているようで、中に誰かがいるようだがそんなことはどうでもいい。

 今やるべきは一刻も早く今まで逃げてきた道で一番近い曲がり角まで戻り逃走を再開すること、こんなところで呆けている場合ではない。何とかあの化け物から逃げ切り、味方と合流し、できることならこの基地を空間魚雷で吹き飛ばす。そうと決まれば。

 荒い息を吐きながらなんとかまとめていく思考の途中で踵を返し、再び通路に出たシンの眼前に飛び込んできたのは通路の真ん中で仁王立ちする人型。そして腹から延ばされた数本の触手だった。


「がっ?!」


 幸いにも伸ばされた触手は軍服の下に着こんだ防弾繊維を貫通することはなかったが、衝撃までは殺し切れない。肺の空気が強制的に排気されつつ衝撃で後ろに吹き飛んだシンはコフィンに強かに背中を打ち付け崩れ落ちる。前進に激痛が走り、大気を求めて喘ぎ、ぼやける視界の中何とか上体を起こそうとする。


「ぐっ!」


 しかし、体を起こした直後薙ぎ払われた触手が直撃し今度は横の壁へとたたきつけられた。鈍い音とともに壁でバウンドし、体の中で何本か骨が折れたような音が響いて口内に鈍い鉄さびの味が広がる。

 こいつ、遊んでいるのか?

 そう思った時には、目の前まで近づいた人型に触手で首を締められながら宙づりにされている。脳への血流が止まりかけ朦朧とする意識、流れ始める今までの記憶。これが走馬灯というやつかと、どこか他人事のような思考がよぎった瞬間、右手の先に触れた硬質な物を認識した。


 ふ、ざ、けるな。


 重荷になるPDWは、あの肉塊がある部屋に放り投げてきていたが、そういえばこれはホルスターに入れっぱなしだった。


 ふざけるな。


 常識的な理性に現状を照らし合わせれば、自分が助かる見込みは無い。しかし、このまま訳の分からない化け物に殺されるのは我慢がならない。


 ふざけるな。


 体に残された酸素をかき集め、右手に握りしめたブラスターを化け物の目へと突きつける。まだ動けたのかと化け物が一瞬たじろいだように見えたのが妙に滑稽に思えた。


 ふざけるな。


 そして何より。


 こんな訳の分からない星で、失格艦長のまま死んでられるかっ!


 全精神力を振り絞ってトリガーを握りしめる。吐き出された荷電粒子の本流は確実に化け物の感覚器官を焼いたようで、おぞましい悲鳴を上げながら半ば放り投げられるかのように解放された。力の抜けた体が空中で数回回転し、しりもちをつくような格好で落下する。

 残念ながら、1発でバッテリーを全て食いつぶす出力で放たれたブラスターの一撃では、化け物の目を焼けはしても殺すまでは至らないようだ。怒りを含ませたうなり声をあげながら、化け物がこちらを向く。

 もう、こちらに武器はない。一方的になぶられた結果、指一本動かせない。

 しかし、かと言って目を閉じて最後の瞬間を待つのは性に合わない。よく見ろよ、化け物。僕は確かに艦長失格の小僧だが、最後の瞬間に目を閉じるような腰抜けでは決してない。

 一歩一歩こちらの恐怖をあおるように歩み寄る化け物を不敵な笑みさえ浮かべて睨みつけてやる。頭の片隅では、何とか状況を挽回できる策をひねり出そうと空回り気味の思考回路を回転させる。


 ややあって、目の前で止まった化け物は、おもむろに肥大化した巨大な腕を振り上げた。防御、不可能。反撃、不可能。回避、不可能。導き出される結論は…


「死ね」


 凛とした、氷のような冷たさを持つ声が聞こえた。

 その瞬間、目の前で今まさに自分を叩き潰そうと腕を振り上げていた化け物は、腰の部分で真っ二つに両断された後、正中線で左右に分けられ、4つの肉塊となって崩れ落ちた。

 噴き出した血によって赤い海が床に広がっていく。生命活動を強制終了させられた化け物の向こうに立っていたのは、剣を携えた一人の少女。通路からの逆光と先ほどまでのダメージで顔が見づらいはずだが、なぜだか妙にはっきりと認識できた。

 背中まで伸ばした透き通るような銀髪は恒星のコロナを纏めたかのようにきめ細かく、ツリ目気味のシリウスによく似た蒼銀の瞳がこちらを冷静に見据えている。身長は160㎝に届くか届かないかぐらいだろう華奢な体躯を、暗い色のシャングリラ継承国の軍服とコート、膝上程度のスカートが覆っていた。どこかとは言わないが並。病的なまでに白い肌と衣服には化け物を切った際の返り血が張り付いているが、それすらも彼女の幻想的とも取れる美しさを引き立てる役目を果たしているに過ぎない。彼女の後ろで口を開けたポッドからは白い生体保存ガスが薄く漏れていた。


「問おう」


 少女の口から紡がれた声は、先ほどの氷のような冷たさは変わらないものの、何処かこちらを気遣い、同時に何かを感謝するような響きが込められている。


「貴様は、どうしてここに来た?」








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