歴史はだれのものか? 

歴史はだれのものか、私はもしこの本の「著者」であるターミ・ポアットに直接聞く機会があるなら、訊ねてみたいと思っている。

大国に囲まれ、しかし海沿いにあって貿易は盛んであることから比較的経済的には富んだ国……「ニアーダ王国」の国家運営が、非常にきわどいものであったことは、想像に難くない。
「暁天の双星」は、その架空の国、ニアーダ王国が、国王の代替わりを契機として、きわどい均衡外交から対外戦争を経て大国の属国として命脈を保つようになる、時代の劃期に起こった「事変」の真相を描いている。

 この物語の面白さは、鮮やかに浮かび上がるキャラクターの魅力もさることながら、普通なら、王位を簒奪された王子ジュディミス王子の視点、あるいは最後に思いがけず王位を継ぐ王族チュンナクの視点で描かれるだろう国の盛衰を、その間隙に起こった「事変」を中心に、「事変」の当事者たちを通して、描き出していることにもあると思う。
 読者は、哀しい「事変」の顛末を、その当事者たちの人生を追いつつ、小国の悲哀に思いを馳せる……ふたつのカタルシスを同時に味わうことになる。

 …………と、堅い書き出しで始めてしまったのですが、基本的には王族が中心となって紡いでいったであろう王国の歴史に、一瞬、浮かび上がった「英雄」シシーバと「梟雄」バライシュ人生を描くことで、王国の劃期を描くという物語の重層構造、あるいは作者「ターミ・ポアット」と作者(翻訳者と言うべきか?)「泡野瑤子」が別に設定されている多層構造、物語の構成マニア(?)の私としては、嬉しくなってくるのですよ。
 ここまで技巧的で、かつ美しく成功していると!

 「現代」に生きる「ターミ・ポアット」がある人と出会ったことをきっかけに、生涯をかけてたどり着いた「バライシュの乱」の「真相」は、なぜ秘されていたのか?
 なぜシシーバは英雄となり、バライシュは梟雄となって世に伝わったのか?
 そこにもまた、このニアーダ王国の悲哀が絡んでいると、私は思う。
 大国の属国となりつつも国を保つことに心血を注いだであろうチュンナク王は、外国を悪者にすることなく、自国に誇りを持てる「英雄」を必要としたのだろう。
 これから苦難の道を歩むことになるニアーダ国民のために、シシーバとバライシュは自身の実像を失った。
 それは、彼らが望むかたちではなかったかもしれないけれど「ふたりで、命をかけてこの国を守ろう」というふたりの誓いの結実であったのかもしれない、とも思う。
 
 個人的には、主人公ふたりは当然として、シシーバの妻であるナジカさんが好きです。
 王女としての誇りと義務を体現しつつ、逆境に負けず、常に「自分に出来ること」を探して生きる彼女の姿は、美しい。

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