等身大の自分を生きるためには、等身大の他者を知らねばならない

かつて、社会に必要とされる制度であったのかもしれない。
自身の成長の過程で、必要であったものなのかもしれない。

だが、社会は変わる。
自分自身も、変わる。

変わったことに気づかねばならない。
変わったにもかかわらず、変えないならば、変わらないことに苦しむ人がいる。
だれかが、ではなく、みな苦しんでいるのだ。
ただ、より苦しむ人、将来負担する苦しみが量れずに、目先の利益に口を噤む人、かつての利益が忘れられずにそれを続けることに意味があるような気になってしまう人がいるだけで。

本作は、ある動物が父親を葬送しようとするシーンと、青年がかつて大切にしていたオタクグッズを売却しようとするシーンが交互に描かれている。

それが「社会」に合わないと、あるいは「自分」に合わないと気がついたが故に。

等身大の自分/他者の苦しみを見てしまったが故に。

主人公の寄辺となる、その手の温もりを忘れぬよう、祈りたい。
それは間違いなく、等身大の自分を生きるためのよすが……等身大の他者を知る手がかりだからだ。