生まれながらにして天に愛されているとしか思えない人がいる。
才能豊かという意味でもそうだし、行った努力、研鑽が着実に身について上手くいく。そして絶体絶命の窮地をことごとく切り抜ける。
本作の主人公である荀罃は、才能はある。努力も研鑽も積んできた。が、おのれの心に宿った焦りや侮りの結果、陥った窮地を切り抜けるだけの戦場での「運」はなかった。
結果、彼は敵国の虜囚となり、もう一度、おのれの「運」と向き合う羽目になる。
生まれながらにして天に愛されている、楚の王……まさに剛運の持ち主と、出目は当然、運でしかない骰子遊戯で勝たねばならなくなったのだ。
結果は、冒頭の章にあるとおりであるが、それが分かっていても骰子遊戯は息詰まるシーンの連続である。現代では馴染みのない遊戯だが、作者は最小限の説明で、読者にその臨場感を伝えている。
荀罃は勝たねば、故郷に帰れない。
帰ったところで敗軍の将である。待っているのは譴責と賜死かもしれない。けれどもすくなくとも父祖の祀られる場所にはいける。
この遊戯に負ければ、楚の地で祭祀のための贄とされ、楚の祖霊を慰めるために永遠の獄に繋がれることになる。
おなじ死ぬにしてもそれはまったく違う……
そして彼は、それまで彼が受けた父祖の教えをはじめ、自分が持っているすべてを総動員してその戦いに挑み、足掻き、死力を尽くして最後に、天を味方につける、その「答えの一端に触れる」。
おそらく彼は、天に愛された楚の王ならぬ自分には、「二度はない」と思い知っただろうと思う。
結果、天運がなくても勝てるように――それがその後の彼の人生の指針になっていたとしても不思議ではない。