■西暦1000年と、その後■

氷州

海から大地がせり上がる。

常緑の大地が。

種を蒔かずとも穀物は育ち、

全ての傷は癒される。



 荒波に揺られて、船は火山の島として知られる氷の島に到着した。元々氷の島出身で、北方の海洋地域を広く旅しているハルフレズにとっては快適な船旅だったが、内陸出身のソールレイヴにとっては船酔いだけの航路だった。ハルフレズに連れられて、というよりも半ば担がれるようにして、ソールレイヴは船酔いの千鳥足で氷の島の陸地に立った。

 ノルウェーの風も冷たかったが、更に北にある氷の島は流れているかいないかの微風すらも肌に突き刺さって寒かった。氷の島でも、夏になればそれなりに温かいと事前に聞いていたのだが、冬に向かっていく今の季節はあらかじめ想像していたよりもずっと寒冷であると感じる。今日だけなのだろうか。それともこれが普通なのか。その風の冷たさが、ソールレイヴの意識を覚醒させてくれた。

「ここが、ハルフレズの故郷なのか?」

「ああ、確かに氷の島だ。といっても俺の生まれた本当の故郷は、氷の島の北方の本当に小さな集落で、ヴァッツダルル谷のグリームストゥングルという土地なんだ。ここは南西のレイルヴァーグとかレイキャヴィクとか呼ばれていて、小さな村ではあるけど氷の島の西側では玄関口のような位置づけの村だ。全島集会が行われる場所のすぐ近くだしな」

 ノルウェーとの交易の船が行き来しているくらいだから、それなりに人で賑わっている様子だ。氷の島といえば、もっと本当に辺鄙な漁村ばかりがあるものとソールレイヴは想像していたのだが、実際に目にするまでは分からないものだ。

 あの日。

 長蛇号でゲルドは運命の時を迎えた。

 ソールレイヴとハルフレズは、駆けつけたエイリーク侯の部下達に捕らえられた。賢者はエイリーク侯に陳情に来ただけということですぐに釈放された。ハルフレズの処遇をどうするか、という時に、ソールレイヴは仲介に入った。かつて詩人ハルフレズはソールレイヴの両目の光を奪うという任務でオップランに来たが、片眼を潰すだけで見逃してくれた。その時の恩に報いたかったのだ。

 結局、詩人がエイリーク侯を讃える詩を詠むことで、両者は和解することになった。仲介の礼として、エイリーク侯はゲルドを助けるために怪我の手当に尽くしてくれることを約束してくれた。

 しかしゲルドの傷は深く……

 故郷のゲルドの家族にはエイリーク侯の名でゲルドの遺髪を届け、「ゲルドはキリスト教と戦い殉教した」と伝えてくれることになった。

 ……と、いうことになっている。

 そして今、賢者ソールレイヴと詩人ハルフレズの二人は氷の島にやって来た。

 二人の背後に、目深に頭巾を被った一人の人物が影のようにひっそりとついてきている。ゆったりとしたマントを纏っているが、胸が大きいので女なのだろう。胸元には銀の十字架の首飾りが光っているので、キリスト教徒なのかもしれない。

 親友にして君主であるオーラヴ王を喪った詩人ハルフレズは、エイリーク侯を討つこともならず、気力を失ってしまった。

 オーラヴ王の配下であった頃は、友であり君主でもあるオーラヴ王のために、改宗に応じない異教徒を積極的に殺して回っていたものだ。だが、オーラヴ王を失ってしまった今となっては、異教徒を殺す情熱も冷めてしまった。

 もう、どうでもいい。

 何もかもを失ったやっかい詩人ハルフレズに残ったのは、望郷の念だった。

 自らの故郷である氷の島への帰還することにしたのだ。

 エイリーク侯を説得してアース信仰を取り戻すという目標を喪失したソールレイヴは、故郷のオップランに帰りたいとは思わなかった。オーラヴ王の強引な政策でキリスト教化が既に著しく進んでしまったノルウェーでは、もう取り返しがきかないだろう。それよりも、まだアースの信仰が強く残っているかもしれない氷の島で、アースの信仰の生き残りを図りたいと思ったのだ。

 しかし。

「おや? あなたはソールレイヴ殿ではありませんか? オップランの賢者の」

 道行く見知らぬ男に突然声を掛けられた。随分背の高い男だったが、ソールレイヴが自身の記憶を辿ってみたが、会ったことはないはずだ。

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