■0998■
再会した別人
扉はいきなり乱暴に開かれて、無遠慮な大声が礼拝堂に響いた。
「異教徒の巫女は、ここに居るかね?」
誰も居なかった。最高神オージンの像、戦神トールの像だけが静かに鎮座していて、何も答えない。
「留守か。……いや、もしかしたら、もう古くさい異教を諦めて改宗した後なのかな?」
そう独り言を呟いた来客は、でっぷりと太った巨漢だった。
「せっかくニダロスから来たのに。無駄足だったか」
「私に何かご用でしょうか?」
ゲルドとソールレイヴはいつも通り小部屋で勉学に励んでいた。大声で呼ばれたため、ゲルドだけが礼拝堂に出てきたのだった。
巫女の姿を確認した大男は、横柄な態度で腕組みをした。あまりにも太っているため、男でありながらゲルドよりも大きな二つの胸の膨らみが、組んだ腕の上に乗った。
「おお、貴女は、あの時の。覚えているぞ。まだ改宗していなかったのか。でもまあいい。ここに来た甲斐があったというものだ」
「あの。どちら様でしょうか。私はあなたとお会いしたことがありますでしょうか? 全く記憶に無いのですが」
相手の横柄な態度を見るに、歓迎すべき客でないことは分かったがゲルドは慎重に尋ねた。
「なんと。忘れられていたとは。二年ほど前に、ここに来た宣教師だぞ。この村にも、宣教師は自分以外にも何人も来ているとは思うが、わざわざ異教の神殿に足を運んだ者は、そう多くはないはずだが」
ゲルドは息を呑んだ。ここに来た宣教師は、過去に一人しかゲルドの記憶には無かった。
「まさか、あの時の、背が高くて痩せていて、なんとなく自信がなさそうでおどおどしていた宣教師の人ですか?」
宣教師は是とも非とも言わなかった。ただ、脂肪で頬がはち切れそうな顔に不敵な笑みを浮かべた。
「全く別人じゃないですか! 背は、確かに高かったけど、あの時は骨と皮だけというくらいに痩せていました。人格も、誰かと入れ替わったのかと思うくらいに別人じゃないですか」
「異教徒にどう思われようと関係無い。私は私。過去の私と現在の私は繋がった同一人物なのだ。といっても、過去の私とは、宣教師としての実績が違うけどな」
宣教師は組んでいた丸太のように太い腕を解いて、両手の拳を腰の横に当てて、尊大な態度で胸を張った。
オーラヴ王が即位してキリスト教への改宗促進を宣言してから、宣教師はノルウェー各地を南西から北東まで広く布教の旅をした。最初の頃こそ、峡湾の民たちは古き異教にしがみついて、なかなか改宗に肯んじなかった。しかしオーラヴ王の強硬な態度により、各地で見せしめとして異教徒が処刑されて、その噂がノルウェー全土に敷衍した。宗教とは、死後の安寧を約束してくれるものであると同時に、今をより良く生きるための心の拠り所だ。半ば脅迫されるように改宗を強制されたら、自らの生命惜しさに妥協してしまう一般信徒がいたとしても不思議ではない。巫女であっても、不利を悟れば改宗という選択肢に走る場合がある。
悦に入った表情で、太った宣教師は実績自慢を語った。鼻の穴が大きく膨らみ、湿り気の高そうな鼻息を盛大に吐き出す。室内であるにもかかわらず薄白い湯気が一瞬発生してすぐに霧散した。
「私は親切心で言っているのだよ。早く異教徒などやめて、我らの友となろうではないか」
「ゲルド! 遂に宣教師が来たのか!」
小部屋で待っていたソールレイヴが、慌てて駆けつけた。今まで賢者ソールレイヴと巫女ゲルドの二人で一生懸命キリスト教の知識を蓄えてきた。その成果を発揮する時が訪れたのだ。
「宣教師よ。キリスト教がアースの神に勝っているというのなら、その教えを語ってみよ。キリスト教とて一枚岩の教義ではなく、色々な異端の派閥があって、正統と称する者が異端を迫害していると聞く。そのような矛盾を、どう説明できるというのか?」
ソールレイヴは、変わり果てた宣教師の容姿を見ても、以前と同一人物であることを疑いもしなかった。それくらい、巫女ゲルドの予言に信頼をおいていた。
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