賢者の光

 詩人ハルフレズが考えを纏めたのと同時に、ソールレイヴがハルフレズの片足にしがみついて、泣きながら哀願した。

「やめてくれ! どうして僕は殺さないのに、ゲルドを殺すんだ」

 面倒臭そうに、ハルフレズは号泣の賢者を振り払った。

「お前は殺さないでおいてやる、と言っているのだぞ。異教の巫女が死ぬだけなのだから、むしろ喜べ」

「ゲルドを殺さないでくれ。そ、そうだ。僕はこの村で一番の交易商人ソールレイヴ・ハルザ・カールソンの孫なんだ。今、僕が身につけているベルトと短剣は、かなり高価な物なんだ。それをくれてやるから、代わりにゲルドは助けてくれ!」

「オレはな、ハーコン侯からは戦斧を、オーラヴ王からは鞘の無い剣と、それとは別途に鞘を贈り物としてもらった男だぞ。今の時点で既に、上物のベルトと短刀を持っている。その取引には応じられないな」

 氷河よりも冷たい口調で言い放ち、詩人ハルフレズはベルトに下げてあった短刀を抜いた。鋭い刃が妖しく煌めく。柄の部分には宝石が象嵌されており、自ら言う通り上等な逸品だった。

「もう何人もの異教徒の血を吸っている短刀だが、刃に全く曇りも無い。巫女の心臓を貫くのも造作もないことだ」

「やめろ! やめてくれ!」

 泣きながらソールレイヴは、再びハルフレズの足にしがみついて懇願した。両目から滂沱と涙が流れる。潰れた右目から流れているのは涙ではなく血だが、左目からは透明な涙が溢れでて、土埃で汚れた頬を伝って褐色の筋になった。ソールレイヴは戦闘よりも知恵を使う方が得意であり、日頃から落ち着いた言動が多かった。そのため賢者として一目置かれていたのだが、今は、恥も外聞もなくゲルドの命乞いをして泣き喚くだけだった。

「女を守ろうとするのは男として立派なものだ。オレにもかつて氷の島で愛した女がいたからな。気持ちは分かる。だが、異教の巫女はオーラヴ王の方針を否定する存在だ。だからオレは全力で排除せねばならん」

「異教の巫女! 違う違う! ゲルドはアースの巫女じゃない。だから殺す必要は無いだろう!」

「そんな咄嗟の言い逃れの嘘が通用するか。さっきオレが、この女のことを異教の巫女だと指摘した時に、お前はそれを認めていただろう?」

「ち、違うんだ! ゲルドは巫女じゃない!」

 賢者ソールレイヴはハルフレズの足から離れ、地面を這うようにしてゲルドが横たわっている場所まで移動した。縛られたままのゲルドもまた、両目から涙を流しながら猿轡の奥で何かを叫んでいるが、それには構わず、ソールレイヴはゲルドの胸元に手を差し入れた。

 広く開いている襟ぐりから、縄によって押し上げられた格好の双丘の谷間がのぞいている。ソールレイヴは、血液の付着している右手をゲルドの胸の谷間に突っ込んだ。柔らかな感触が、ソールレイヴの手を両側から包み込む。ゲルドの白い胸乳に血の跡が残ったが、気にしている場合ではなかった。

「この十字架の首飾りが証拠だ。ゲルドはキリスト教に改宗したんだ! だから信じてくれ! 今はもうゲルドはアースの巫女じゃないんだ!」

 ハルフレズは銀の十字架を睨み付けるように見た。冬眠を邪魔された熊のような唸り声をあげて考え込み、結論を出した。いや、考えるのを放棄した。

「まあいいか。口先だけ改宗しましたと言いながら心の中では異教を捨てていない奴はたくさんいるが、疑っていてもきりがないからな。女を守ろうとするお前の男気に免じて、女は殺さないでおいてやるし、もう片方の目も勘弁してやるわ」

 ハルフレズは短刀を鞘に収めてその場から立ち去った。途中で大きな樅の木の陰に隠してあった戦斧を拾って行った。ハルフレズの背中が賢者の片眼だけの視界から消えた頃、村は本格的に朝を迎えて人々も動き始める。緊張の糸が切れた賢者ソールレイヴは、片眼を失った体力の消耗も相俟って、その場に倒れたまま気を失った。

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