目をつむれば目の見えない人の気持ちが理解できるだろうか。
耳をふさげば耳の聞こえない人の気持ちが理解できるだろうか。
まやかしの寄り添いは、瞼を上げることで、耳にあてがった両手をのけることでいとも容易く崩れ去ることを知っているだろうか。
性別を問わず、人はいずれ人に恋するものだと信じていると思う。
好きな人が自分以外の誰かを好きになることが恋の苦しみだとするなら、誰かを好きになる気持ちを理解できないことは何の苦しみと呼べばいいのだろう。
どんな人でもいつか必ず恋をするものだと思っている人こそ、この小説を読んでほしい。
人を好きになる気持ちを理解できない苦しみが、その冷たさや周囲の温かさを濁すことなく描かれています。
とても、とても美しい作品です。
恋愛感情の価値観って、本当に人それぞれだと思います。
それがないと生きていけない人と、なくても生きていける人と。
この二つのタイプがわかり合うのは非常に難しい。
「好きだから」という理由で何をしてもいいというわけではありません。
逆に、「好きならば」ある程度のアクションを起こさないと他人に気持ちは伝わりません。
だけど、好きとか嫌いとか男とか女とかそれ以前に、目の前の人物を一人の人間として見て聞いて感じることができたならば、価値観の違う人間同士でも本当の理解が得られるのではないかと思いました。
本作はちょっとしたすれ違いが重なって冒頭の展開になってしまったのですが、そこで挫けず友達のために走り抜けた主人公にとても好感が持てました。
過去に仲違いをしてしまった幼なじみが海で死んでしまい、その直前には謎めいた言葉で残された留守番電話が。
主人公の聖良はその死の真相を知るために、恋を理解できないまま同級生の青井と恋人ごっこをしてゆくのですが、ダイレクトに伝わり響いてくる文章に、展開に、感情に、夢中になっていく自分がいました。
恋愛感情を持たない聖良と三原。(恥ずかしながらアロマンティックということばを、この話を読んではじめて知りました)
恋をしている菜々子と青井。
登場人物たちは等身大の高校生で、10代という感受性豊かな年頃。その中でも聖良はどこか大人でおなじ頃の子とはちがった感性を持ち、けれどもそれはなにひとつだって間違ってはいないのです。たとえば、菜々子の家で居心地悪そうにしている聖良の感情はすごくリアルでしたし、最終話の彼女の視点だって言葉にはうまくできない"何か"を感じるとおもいます。
たとえ恋を知らなくても生きていくことはできるし、恋を知っていて恋に恋していたとしてもまたおなじく。
どの感情もほんとうで、うそもなくて、そこには正解もない。
恋愛、青春と、ミステリーと。
絶妙に折り重なったすてきな物語でした。
この作品で主題となるテーマは、「他者の思考/想い」だと思った。
「他者の思考/想い」というのは、きっとこの世で一番複雑で、不確定で、あいまいなものの筆頭だ。
人間の一人一人が、毎時毎秒「思考」している。「想い」は移ろい変わりやすいものだから、尚更よくわからないものだ。
「思考/想い」というものは、結果が似かよっても、答えに至るプロセスが全く同じものになることはない。(と、考えている)
さて、前置きが長くなったが「恋を知らぬまま死んでゆく」の主人公は、二つの謎に挑戦することになる。
一つは、他者の思考と想い。
もう一つは、自分の思考と思いだ。
***
「恋を知らぬまま死んでゆく」の見どころは、主人公が、二つの謎に誰よりも真摯に向き合い、知ろうとする姿勢にあると思う。
二つの謎は、答えがあるようでなかったりする、あいまいで不確定なものだと僕は解釈している。
もしかしたら、一生を賭けてもわからないかもしれないことを、読者である僕はよく知っている。
主人公はそんなことはお構いなく、行動して、自分と、他者と向き合おうと努力する。
僕はその姿に胸を打たれた。
一生を賭けてもわからないかもしれないことに向き合える彼女が、とても眩しく見えた。
主人公が「自分/他者」と真摯に向き合うプロセスを追えることに、僕はこの作品の価値を見出しました。(勝手な解釈ですが……)
僕はなんとなくだが、自分なりの「答え」を得たように思う。
主人公が「答え」に辿り着けたかは、是非本編を確認して欲しい。
これは恋に焦点を当てながらも、人が人とどう向き合っていくかを描いたヒューマンドラマだ。
恋、それはある人にとっては崇拝するものであり、麻薬であり、とても大きな感情だ。
特に主人公達のような10代の学生にとっては絶対的な地位にある。
恋に落ちてしまい、自分をコントロール出来ない菜々子ちゃん。
主人公聖良ちゃんに恋して、好意をあけっぴろげに表現する青井。
恋を理解できない故に学校という狭いコミュニティ内で爪はじきにされてしまう三原。
そして聖良ちゃんもまた、三原同様に恋を理解できない為にもがき悩む。
菜々子ちゃんの最期の気持ちが理解できず、青井から貰った好意を持て余して恋人としての「正解」に辿り着くことが出来ない。
しかし、この作品は恋に対して反逆を企てている。
好意に名前を付け、差別化を図る必要があるのか?
一般的に言われるような恋で無ければ、人が人を好きになる行為は無意味なのか?
そんなことはない。
これは聖良ちゃんや三原のような恋に冷たくされた人間たちを救いあげる話だ。
人が人を好きになる優しい感情に対して、名前を付けて差別化する必要などない。
好意とは温かい気持ちに他ならない。
終章、だれも知らない物語 にこのお話の全てが集約されている。
彼女は何故亡くなったのか。恋多く、恋に苦しんだ菜々子ちゃんの死因は一体何だったのか。
是非とも全話読んで辿り突いてほしい。
最近疎遠だった幼馴染の菜々子が、海で死んだ。
留守電に「失恋した」とメッセージを残して。
聖良は菜々子を理解し真相を知るため、恋をしてみようとする。
いきなり個人的な話ですが、恋愛小説が苦手です。
恋愛感情そのものはわかるつもりですが、
「告白したらYesであれNoであれ返事をもらえる」
という概念がわからない。
少女漫画などからの学習で、「Noの場合でも誠実な
振り方をしないと、振った側が酷い評価を受ける」
らしいことは認識しましたが、
どうしてそうなのかは未だに納得していない。
そんな人間なので、聖良が、自分の概念と、
世間の共通認識らしい概念との間の差を
理屈っぽく学習していく感じに、
共感しながら連載を追いかけていました。
共感すると言っても、私と聖良の間でも、
恋愛に対する感覚に差はあるわけで。
もしかしたら、本当は、共通認識なんてものはないのかも。
違う人間なのだから。
そんな聖良が、最後に辿り着いた真相とは……?
素晴らしい作品でした。
ぜひ、一人でも多くの方に読んでいただきたいです。
※レビューを書くつもりがこの作品への恋文になってしまったので、そのようにご覧いただければ幸いです。
この作品をまだタイトルしか知らなかったとき、正直に言ってしまえば「恋愛ものかな……ならあまり縁はないなぁ」と思っていました。
私自身、あまり恋愛というものに興味がなく、それを主題とした作品は避ける傾向にあったからです。
そういった要素をエンタテインメントとして楽しむことはできます。
また、話を盛り上げる要素として必要だったり(ときにその必要がなさそうなものもあったりはしますが)、それがあることによってより深いドラマが生み出されたりすることも理解していますし、自身もそのように書いています。
しかし、どうにも「運命の恋」だとか「命をかける恋」だとか、そういったものは理解ができないし、興味が持てないのです。
そんな私がこの作品に興味を持ったきっかけは、あらすじでした。
よくよくあらすじを読んでみれば、どうもこの作品は「恋愛もの」とは違うらしい。
そしてタグに見える、「アロマンティック」、「アセクシャル」の文字。
ずいぶんと難しく、繊細な話題に踏み込んでいくなぁと思いました。
そうして興味をひかれた私が、まるで夜の海に吸い込まれるかのごとく、静かに、確実に、深くまで引き込まれてしまったということは、言うまでもありません。
なんと言えばよいのでしょう、とにかく、無理なく読めるのです。
それは、一種の心地よさですらあります。
無理やりにテンションを上げさせられるということもなく、かといって面白くないなんてことはまったくなく、すんなり、彼女たちのことを受け入れられるのです。
私にも主人公・聖良と同じように、菜々子のことは理解できません(といっても、最後まで読めばそれもまた違った見方ができるのですが)。
逆に聖良の感じたことは、共感できる部分が非常に多い。
しかし、私はおそらく、アロマンティック・アセクシャルというわけではありません。
おそらくというのは、聖良よりだいぶ長く生きているにもかかわらず、いまいち自分自身そのあたりを理解できていないからです。
「恋」をしてきたような気がします。
しかし、それは「恋」に「恋焦がれていた」だけのような気もします。
さらに言ってしまえば、一番熱く、苦しい想いをしたのは、異性に対してではなく同性の「親友」に対してなのです。
これは何も特別なことではないと思います。
だからこそ、この作品がたくさんの人の心に響くのでしょう。
おそらく、誰もが通る道なのです。
聖良もただ、誰もが通る道を通っただけかもしれない。
あるいは本当に生まれつき恋ができないのかもしれない。
それは本人以外にはわかりません。
いえ、本人にもわからないのかもしれません。
それが、とてもよくわかってしまうのです。
彼女がひとつの結論に辿り着いた時、じわりとにじむような涙を止めることができませんでした。
なぜかはよくわかりません。
とにかくよくわからないほど、無理なく馴染み、委ねられる、そんな作品なのだと思います。
そのストーリーはさることながら、構成、文章、表現、すべてが素晴らしく……かといって、どなたにもオススメできますと言えるわけではない、稀有な作品だなと思います。
おそらく、この感じがわからない人にはとことんわからない。
聖良に「恋」がわからなかったように。
けれど、馴染む人にはとことん馴染む作品だと思います。
私はこんなにも素の自分のままで読むことができ、素の自分のままでレビューを書くことができる作品に、今まで出会ったことがありません。
もし、私と同じように「恋愛もの」を避けてしまう傾向がある方がいらっしゃいましたら、ちょっと読んでみていただきたいと思います。
これは、間違いなく「恋」をめぐる物語です。
しかし、いわゆる「恋愛もの」ではありません。
人という永遠のミステリーを描く物語であり、青春の苦悩を描く物語であり、きっと、一番厄介な友情というものの物語です。
「恋を知らぬまま死んでゆく」のは、いったい誰なのでしょうか。
書けば書くほど次々とさまざまな思いが滲んできてしまいますので、そろそろ終わりにしようと思います。
長々と失礼いたしました。
最後にひとつだけ。
この作品を生み出してくださって、ありがとうございました。
心から生まれいでた何らかの感情があるとして、それに名を付け、定義するのは誰か、そして、感情を定義するとはいったいどういうことなのか。
これはとても健全でまっとうな「青春小説」であると思う。主人公、聖良は友人のことを理解したくて、けれど「恋がわからない」と言って、懸命に「恋」を知ろうとする、その中で自分は恋ができない人間なのだ、と考えたりもする。結論を急ごうとするところも、明確な答えを知りたがるところも、自分を定義しようとするところも、まさに十代のみずみずしい高校生だ。
だが、結局のところ、他者と自分は違う存在であり、その感情含め究極には理解しあうことができない。
おそらくある年齢に達したとき、人はみんなこの苦しみに直面してゆくのではないだろうか。この物語は、聖良がまさに直面したその瞬間と過程を描いている。
「おとな」(か、あるいは十代の感性を失ってしまった人間)を自認する私に言わせれば、その結論は人それぞれ。だからこそ自らの答えにたどり着いた聖良の勇気を讃えたい。
聖良は「恋」がわからないという。それが他者との断絶として聖良の前に立ちはだかり、苦みを与える。だから彼女は「恋」を知ることで他者を理解しようとする。
けれども、彼女がほんとうに知らなかったものは、果たして「恋」だったのだろうか?
ぜひとも、聖良の感性のみずみずしさ、その彼女の見つけた答えを噛みしめてほしい物語である。
物語は、死の報せからはじまる。
菜々子という幼馴染を失った聖良は、疎遠だったはずの彼女から、奇しくも最期の言葉を聞くことになった。留守番電話に残された「失恋した」という言葉は、菜々子の死が自殺だったのか、それとも事故死だったのかという疑問を聖良とわたしたちに投げかけた。
読んでいて非常に、心動かされた。
青春小説のジャンルが示す通り、高校生たちの剥き出しの感情がぶつけられるから。
聖良と菜々子、そして青井、三原。
永遠に重なることのない想いが、彼女たちの交わす「好き」という言葉の下で渦巻いている。
「好き」が何を意味するのか、人それぞれにまったく異なる(と思われないかもしれない)その感情が引き起こす深刻なすれ違いが、この作品に登場するキャラクターたちを打ちのめしていく。
見ていてとてもつらかった。
どの「好き」も、「恋」も、誰を傷つけるつもりもないものだったから。
悪人はひとりもいない。
ただそれぞれの在り方で生きている高校生たちが、互いを理解したいと切望しながら、本質的にわかりあうことの不可能性へとがむしゃらに近付いていく。その危うさ、あまりにも素直な感情が、端的な文章でもって真っすぐにぶつかってくる。
刺さる、響く。更新されるたび、すこし緊張していた。
わかりあえないということを知る、その孤独は、きっと彼らにはまだ不安すぎる。
だからこそ『恋を知らぬまま死んでゆく』のラスト手前のエピソードがあまりにも優しくて、わたしは涙が出そうだった。
そんな関係はこの世に存在するのだろうか?
存在していてほしいからと願うからこそ、わたしはこの作品がとても「好き」だ。
だってわたしはひとりで、他人と関わり合いながら生きているから。
彼ら、彼女らは相互理解の不可能を超えようと足掻いていた。
それこそが生きることだといえばそうなのかもしれない。
と、ここまで書いて胸に刺さる。
「――ああ、そうか。」
菜々子はもう、どこにもいない。
こうして気がつかされる、物語冒頭の決定的な死。
ようやくたどり着いた感情の先に、本当の断絶がある。
生きた人間なら、傷つけあって、苦しみながら、好きでも、好きじゃなくても、理解できなくたって、一緒にいられるのに。
菜々子は死んでしまったのだ。
何度も何度も、聖良とともに確認してきたはずのその事実を、はじめて知ったかのように衝撃を受けた。
とても端正な物語構成だ、なんて、読み終わってすぐは考える余裕がなかった。
それこそ、聖良のように、「恋しいのかうれしいのかさみしいのか幸せなのかわからないまま」、物語を終えるしかない。
他人と生きていくこと。何百遍も考えたかなしさを、さみしさを、不安を、正面きって突きつけられる。
その素直さ、率直さこそが、『恋を知らぬまま死んでゆく』が何よりも誠実で、素晴らしい作品であると思う所以だ。
疎遠になっていた幼馴染・菜々子の死をきっかけに、主人公・聖良は彼女の足跡を辿り死の真相を確かめるため、自分に好意を寄せる同級生の青井と「恋」をしようとする。
性的マイノリティの苦悩を軸に物語が展開されるかと思いきや、実のところそうではないのだと気付かされる。
自分は性愛の情を持たないのではないかと思い悩む聖良は、だけど「ふつう」の女の子だ。
愛や恋、そういうものに隠された、他人との断絶、分かり合えないけれど分かりたいと思う気持ち。たとえ愛や恋を介したところで、人と人は絶対に分かり合えない。
だから、人と人はこの物語の登場人物のように、もがくのだ。
わたしはこの物語を、菜々子の物語として読んでいた。
聖良たちが想像するしかない菜々子の感情に寄り添い、そして聖良がそうしたように菜々子に近づこうとした。
だけれども結局、それは菜々子が物言わぬ死者であり物語の鍵を握るからなだけで、聖良の気持ちも、青井のほんとうの心も、わたしには押しはかるしか方法がないのである。
性別が、国籍が、性的嗜好が違おうが違わまいが、わたしと、となりにいる人は、聖良は菜々子は、他人なのだ。
高校三年生の聖良が、疎遠となっていた幼馴染み・菜々子の死の報せを受けるところから、この物語は始まる。
ドライな聖良とは対照的に――言葉は悪いが、菜々子はいわば「恋愛脳」とされるような人物だった。そして彼女が死んだのも、どうやらその恋が原因らしい。
しかし聖良は、いくら菜々子が死んだ理由を知りたくても、そもそも恋がどんなものなのかわからない。だから知ろうとするのがこの物語だ。
*
物語の途中で、聖良は無性愛者ではないかという可能性が示唆され、やがて、「アロマンティック」は彼女の自認にもなっていく。
セクシャルマイノリティを題材にした作品は昨今様々にあるが、その中でも異性も同性も恋愛対象としない無性愛者が本作のテーマのひとつでもあるが、それがすべてではない。
そもそも、異性愛、同性愛や両性愛、そして無性愛など、性的指向、ひいては恋愛指向と呼ばれるものは個人に依拠するところが大きく、はっきりとカテゴライズできるものではない。(もちろんこれは一例だが)男性が好きだけど○○なら女性もOK、みたいに。グラデーションの上に私たちは存在していて、それはとても個人的な問題なのだ。
聖良は恋がわからないかもしれないし、それゆえに他者について想像が及ばない部分もある。けれども、それが「どう」という話ではない。
彼女は幼馴染の死にとまどうひとりの人間だ。幼馴染について知ろうともがく、等身大の高校生でしかない。そもそも、私たちは他者に対してある種の解釈や共感をすることはできても、心から理解したり、分かり合えることはないのかもしれない。誰もが異なる過去や歴史を、思想や価値観を持っていて、そのすべてを知ることはできないのだから。
その上でどう生きていくかが、「恋を知らない」聖良のまなざしを通して描かれている。
聖良が「恋」という理解できないものを希求することで、他者と関わることの痛みが描かれた物語。『恋を知らぬまま死んでゆく』は、とても美しい青春ミステリーだ。
ある日、海で、一人の女子高生が死体となって発見された。
これは、「恋愛」を扱うコンテスト応募作にあって、異質な「非恋愛」の物語である。何故なら、この少女の死の真相に迫る主人公は、恋愛感情が分からない性質の持ち主だからである。
主人公の性格はどれをとっても、無味乾燥気味だ。だから、友人(主人公にとっては知人程度かもしれない)が海で死んだ時も、疑問が先にあった。何故、死んだのか? 自殺か? それとも殺害されたのか? 恋を知れば、その謎が解ける気がした。だから主人公は、自分に好意を寄せる生徒と付き合うことにした。恋愛を、してみることにした。
ところが、「好き」も「愛」も、結局分からないままだった。そんな中、友人が付き合っていたとされる男子生徒から、主人公は恋愛が理解できない人間だと告げられる。
恋愛だけが特別な経験ではない。どの経験も、人を成長させてくれる。
そして、友人の死の真相にたどり着いた主人公がとった行動とは?
恋愛という、一見甘いものの痛みを、描ききった作品。
あなたが知っている恋愛は甘いですか?
それとも、痛いですか?
両方ですか?
是非、是非、ご一読ください。
主人公の魚住聖良は、母親に「情緒の発達が遅れてるのかしら……」と心配される、少しばかりドライな女子高生。
幼馴染の菜々子とは”ささいな”喧嘩で疎遠となっていたが、ある日「失恋した」という留守電メッセージを受け取る。久しぶりの会話に緊張しながら折り返すも、彼女が電話に出ることはなかった──
菜々子を死に追いやったものの正体を知るために、聖良は同級生の少年に声をかける。
「私に恋を教えて」
***
タグに「アロマンティック」「アセクシャル」とあるように、この物語はセクシャルマイノリティを題材としています。
人によっては少し身構えてしまうかもしれませんが、この作品は、彼女の性質に起因するいじめや家庭不和といった、悪意との戦いを描いたものではありません。
友人が、恋愛を理由に振る舞いを変えてしまって、疎外感を感じたことはありませんか?
一心同体だったはずの人が、全てを理解することはできない「他者」であることに気づいて、戸惑ったことは?
お互い好きで一緒にいるはずなのに、感情の温度差を息苦しく感じたことは?
焦点が当てられているのは、ごく普通の少女の懊悩です。ごく普通の、非恋愛者であり非性愛者である少女の、思春期の悩みです。ままならない感情の動きは、決して特別なものではありません。
胸の詰まるような懐かしさと切なさを流麗に描いた作品世界、どうぞ身構えずに浸ってみてください。