ひまつぶし箱

阿瀬みち

時代性と超時代性

 音楽を聴くのが好きだ。たまに新しい音楽を探すのに音楽コラムを読み歩いたりもする。音楽を聴きながら音楽について書かれた文章を読むのが好き、というこれは一種のフェチズムのようなものかもしれない。


 中には「勧めてる音楽は好きだけど語り口がオールドいんたーねっつこみゅにてぃの悪いところを煮詰めたみたいで人気がない」みたいなコラムニストもいる。アクが強い。世の中には「健康志向で減塩野菜ベースの体に優しいお料理です」みたいな語り口の似た内容のコラムが氾濫している。なら「ごりごりのジャンクフードですけどなにか」と開き直っているのも悪くはないか、と思う。


 そのような「添加物ごりごりラーメンですけどなにか一日に推奨される摂取塩分量など知るか食らえ」と言うこてこてのコラムを読んでいると、たまに「体に悪い、やめろ!」と言っている人を見つける。まぁ確かに塩分たっぷり生野菜の気配が皆無な濃厚スープは体によくはなさそう。でも「体に悪い」と主張している人の話を聞いていて、あれ? と思うことがあった。


「あいつの勧めている音楽が本当にいいのかわからない。だからだめだ。良い音楽は時代を超えて受け継がれる。でも今の時点ではわからない」


 いやそれは批評に対する批評にはならねぇわ。それはあかん。ほんまに。「今からボクシングをするよ!判定ルールはWBCが採用しているものに準ずることにするよ!」って言ってるのに「え、グローブってホントに安全なんですか? そもそも大の大人が殴り合いって……w」みたいなことを言い出すくらいに無粋で無様だし、何もカウンターになってない。


 って感じでずっともやもやしていた。最近時代性と超時代性というテーマでひらめいたので、今から持論を語るね。聞きたい人は聞いてね。




 まず時代性。これはその当時の価値観にめちゃんこヒットした作品のことである。蟹工船とかAKBとか。売れた、正義だ、ほれみたことか。これが時代性。顧客と作り手のニーズががっぷりくんでマッチした結果。


 これに対して超時代性の鍵となるのが抽象化、だと思う。


 例えば「昨日駅前のスタバでまきちゃんとお茶してたんやんか? そしたなんか向こうからめっちゃ綺麗な女の人が走ってきてさ~、めっちゃ上品な、大人、って感じの女の人! その人がこっち走ってきて、まきちゃんとめっちゃ“わ~”ってなってるんやん。なんとな、その人まきちゃんのお母さんやってんやんか! めっちゃきれ~、ありえへん、ってなって。そこでハイ! これ見て、見てうちの由美子。由美子って誰ってうちのオカンやん~」という話からは、発信者が何を言いたかったのかは掴みにくい。目的のない雑談と言うのはこういうものではないだろうか。

 ところが「佐々木希の子供に生まれたかった~」ならどうだろう。少なく見積もっても一割くらいの人の共感を得ることができ、更に半数くらいには意味が通じるのではないだろうか。これが時代性。佐々木希が美人女優であることと出産直後であることがあらかじめ共有されているのがみそだ。知人の知人である「まきちゃん」に対する情報が皆無だった冒頭の話の伝わりにくさに比べると、「あ、わかる」ってなるのではないだろうか。でもこれだと発言者が「美人の子供に生まれたかった」と思っているのか「資産のある家庭に生まれたかった」と思っているのか、その両方なのか、はたまた赤ちゃんプレイを所望しているのかはわからない。

 「生まれた環境はでかいよね~」これならまだ、養育環境が整っている方がいい、と考えていることが受け取れるかもしれない。だんだんと抽象度が上がってきた。

 「子供は環境を選べない」真理。

 「特権を持って生まれたい」理想。

 「死ぬほど可愛がられたい」要望。

 「生まれてくるんじゃなかった」絶望。


 このとき言われている内容よりも、ある程度時間が経過したときに、それを聞いた人が意味を理解できるかどうか、というのが抽象度の高さと関係していると思う。「生まれてすみません」とかね。あれ本当は太宰先生の持ちネタじゃなかったらしいけど、今となっては太宰治をイメージする人の方が多いんじゃないだろうか。これも、いい面悪い面両方で時代を超えた、と言えるかもしれない。


 歌詞はこのように理解できても、音楽の方は私はとんとわからない。時代を超えて親しまれる音楽と言うのはどんなものなのだろう。 KISS,QUEEN,BEATLES 古典を大事に、その時代の価値観を次々と取り入れていったアーティストが聞き継がれている気がする。


 なにはともあれ音楽の善し悪しは自分には判断できないから、時の流れに任せる。と言った意見には全然賛同できなかったのだ。それならばまだ、悪口ましましでコラムを書いているコラムニストの方がよっぽど腹をくくっていて尊敬できると思う。


 音楽にしろ歌詞にしろ、何かにつけて。善し悪しと言うのは、ある。絶対にある。メッキが剥がれるのを待たなくても、見分けることはきっとできる。でもそのためには、たくさんの善いもの悪いものを知っておかなければならないのかもしれない。間違っていてもいいし、あなたにとっての善し悪しはあなたが決めるといい。必ずしも正解のことは言わなくてもいい。外れてもいいし、間違っていてもいい。あなたにとって善いものが悪いものと罵られていても大丈夫。気にせず楽しめばいい。そうこうしているうちにきっと、自分の好きなものがおのずとわかってくると思うんだけどね。好きなものを追い続けてれば、感性は時代を追い抜いていくのではないだろうか。きっと。


 おわり。

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