終戦の日前後のテレビプログラムを今日になって観たぜ

 テレビ録画のためのHDDの空き容量がもうない、と夫に言われてしぶしぶ録画を見ていた。第二次世界大戦のドキュメンタリーを見て泣いた。SUN値がごりごり削られてしまう。ふと数日前に読んだツイートを思い出した。映像に触れる機会がないと、戦争の悲惨さを忘れてしまう、というような内容だった気がする。その前後に、ちょうど日本の植民地政策を否定するツイートを読んだところだった。失われていく意味や記憶や記録のことを考えた。



 数字になったとたん、顔も名前も失われてしまう。膨大な数の戦争犠牲者。でも彼らにも名前があって両親がいて兄弟がいて守りたいものがあって、逃げ出したい気持ちがあって、人の数だけ絶望があった。数少ない生存者のインタビュー。高齢の男性。「島の方に行ったんだよね」インタビュアーの質問に言葉が出ない。男性の顔が歪み、涙があふれる。こみあげてくるものが言葉にならない。


 カクヨムコン5のアイキャッチイラストを見ていた。百合を意識しているのかもしれない。女の子が二人。視線は鑑賞者の方を向いている。時々不思議に思う。視線を避けたがったイギリス人と日本人のことを思い出して不思議になる。鏡や金属が他人の視線を跳ね返す「お守り」「魔除け」として機能していた時代のこと。目線を合わせるのは攻撃のサイン。見られていることを意識せずに鑑賞できる。高貴な人間の顔を見ることは禁じられていた。顔貌性。キャラクタライズされて切り売りされ消費される人格のことを考える。


 戦争犠牲者一人一人の名前と写真が目の前にあったとして、私たちはそこからどの程度「犠牲」の意味を読み取れるだろうか。視線。の元来もつ意味。忘れられかけた意味。写真が広く一般に普及して以来、女性表象が好まれたのは、いくつか理由がある。痩せて線の細い男性アイドルが好まれる理由。視線から攻撃性を取り除くためでもあるし、純粋に撮影者がモデルを頼むときの心理的抵抗が多少なりとも減ずるから、という理由もある。飼いならされた犬の黒目。女性の付ける黒目を縁取るカラーコンタクト。害意を排除された表象。わたしたちは好きこのんで戦争ドキュメンタリーを見ない。感情に負荷がかかるから。

 H.G.ウェルズが『タイムマシン』で描いた未来人と、私たちの今の姿はどれくらい重なるのだろう。

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