大賞を取った感想と素直さについて
褒められると書けなくなる。多分前回を下回る結果になるのが怖いからだろう。褒められたのがまぐれだったら、まぐれだということが証明されてしまったらどうしよう。みたいなことを考えてしまって書けない。
いや、書いてるんだけど、すぐに「これじゃだめだ」とか「これに似たことを前も書いた」とか考えてしまう。前はとりあえず書けたら偉い。みたいな認識で書いていたのでひたすら書き進められたのだと思った。褒められなくても、たまに読まれて、たまに響く人が現れて、それでけっこう幸せだった。
でも参加人数の大きな自主企画に参加して、わー、こんなに読まれることってあるんだー、みたいなことを思って、というか短編単発で500PVを記録したのって初めてなので、うわー。こんなに…。って内心びびった。
プロデビューして、褒められて、けなされて、勝手に期待されて、勝手に見限られて、というのを繰り返している作家さんはすごい。どうやってモチベーションを保ち続けているのだろう。第十回本物川大賞参加作のひとつに、デビューしたもののそれから一編も小説を世に出していない女の人の話があって、すごく怖かった。じぶんもいつかそうなるんじゃないかって。たまたま何かのはずみで書籍を出せることになったとして、書き続ける勇気とか、力とか、どうやって継続したらいいんだろう。
というか、なにより問題なのは、自分で「そこそこ」の出来と「すごい褒められた」ときの出来の差が分かっていないことだと感じる。
今振り返ってみると、前書いた『きみの名前を借りました』は書きたかったことが途中で空中分解してしまったというか、いまいちテーマを掘り下げられなかった気はする。実在する人を作中に登場させることとその暴力性について。もっとちゃんと書きたかったのに、いまいち最後まで書けなかった。でもあのとき、文章は褒められたので、ちゃんと日本語が書けているという自覚は持とうと思った。
日本語って難しいよね。〇〇している。していた。した。過去完了現在完了過去進行形現在進行形現在形過去形が入れ子になった文章構造がいまいちちゃんと理解できない。英語はある意味すごい親切で、ここを見たら時制がわかる! ポイントがはっきりしていて、でも日本語はその辺はんなりぼかしてある。その代わり発言者と対象の関係性が重要視される。尊敬・謙譲とかの敬語表現とか人称の区別。
私は日本語が全然わからんので自分が「人に伝わる文章」を書けているのがずっと不安だった。でもいちおう読んで伝わっているということは、それなりに描けているのだと納得しようと思ったのだ。
今回はテーマを掘り下げようとか深く考えたわけではなく、大澤先生が以前短編を書く時の心得みたいな、字数が制限されているので観察者ではなく行動する人視点で書くべきとか、登場人物出し過ぎると死が近づくとか、色々仰っていたので参考にしようと思って、意識しながら書いた。それがよかったのかな。よかったのかも。
こういう人がいたらどうやって行動するだろうなぁ、と考えながら書くのが好きなので、特にプロットは考えずに手癖だけで書いた。今回は男性の視点で、女装をするとしたらどういう感じかなとか、かといって同性愛者というわけでもなく、周りからはほんのりそういう誤解を受けて違和感を感じているとか、そういう人がいたらいいなぁと思って書いた。インパクトを狙って下品な単語を連ねたりもしてみた。狙いすぎ、って敬遠されるかと思ったけど、今回はそうではなかった。でもあんまり多用するとあかんだろうと思うので今後この手法に頼ることはしないでおこうと思った。レビューで前半と後半で文章の雰囲気が違うという指摘があって、ほんとその通り。あれは計算でもなんでもなく、最初は軽く書こうと思ってたら、思いのほか重くなってしまって、あー、どうしよう。と思いながら最後をしめた。
書けば書くほど長くなってしまって、最初は三千書けたらいいほうで、調子がよくて五千、次に一万文字くらいで安定するようになって、今回は気がついたら勝手に文字数が膨れ上がっていた。このまま終われなかったらどうしよう、とか思ってた。
計算でこういうの書けるようになったらいいんだろうけど、今のところ完全にまぐれなもんで、困った。絵面が地味なので大賞だけは絶対ないだろうと安心していました。とってしまった。絵をつけてくれる人に申し訳ない気持ちです。もっと美麗な人たちを登場させるんだった……。
それで全然関係ない話になるんだけど、素直さって学習の積み重ねという感じがするよね。人の言うことを聞いて、得をする機会が多ければ、どんどん正の学習が強まって、人の助言を受け入れるようになる。反対に、人の言うとおりにして見て、痛い目みたり、危険な目に遭うと、あんまり助言を受け入れなくなる。人に騙されたり、からかわれたり、負の学習を重ねてしまうと、人の言うことが容易には受け入れられなくなると思う。
これの難しさは、負の学習を積み重ねてきた人が、正の学習をしようと思うと、一度思い切って騙される覚悟を極めないといけないところ。
これが極まると、なにか体験する前に「どうせ〇〇だから」って結果を自分で決めてしまうようになる。厳しい。本人的には、万が一地面に激突してしまった時のことを考えて、非常時のトランポリンを広げるつもりで「どうせ」を使うんだけど、人間の場合自己予言的にそのトランポリンに向かって突っ込んでしまうことになるので言葉は難しいよ。飛び降りる場所の高さは、何回かとび下りた人じゃないとなかなか測れない。まず小さな段差から飛び降りて、徐々に高さを上げていくのをおすすめしたい。私もほんとうにやりたいことをやって失敗するのがこわいから、大してやりたくないことをやっていた時期があって、それも一種のトランポリンというか、自分を守るためのよくない行動パターンだったなぁと思う。
素直な人間は、周りに良いことを教えてくれる人が多かった、運のいい人間なんだろうな。わたしたちはつい個人の素質、性格の良い悪いで解釈してしまうけど、単純な学習の積み重ねの結果なんだ、人格なんて、人徳なんて。たかだかそんなものだから、いつかは変えられる。と思う。思いたい。
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