キョウカイの表裏

夕涼みに麦茶

鏡界-二相世界-

A1 家族

 定刻になり、耳元で賑やかな演奏会が始まる。普通に聞けば胸躍る爽快なメロディーではあるが、静寂の中で一人奏でていた呼吸のリズムを乱されると堪らない。自ら発する旋律を飲み込むほどに大きな音が夢の底から意識を無理矢理引き上げる。心地良い世界から現実へと強制送還させようとする邪魔の根源を断とうと、目を瞑ったまま音の出所に手を伸ばす。中々位置をつかめずに二度三度と枕やシーツにしわを作り、ようやく目当ての獲物にありついた。重い瞼を上げて、携帯電話の画面を確認する。時刻は6時30分、いつもの起床時間であった。寝癖の立った髪を掻き、ベッドから降りる。鏡の前に立つと、だらしない姿の少年が無愛想に口を曲げて変な顔つきでにやついていた。

「おはよう、俺。」


 パジャマ姿のまま居間に向かうと、母親は台所に立ち、テーブルの前には妹が行儀良く正座をして味噌汁を啜っていた。遅れてやってきた兄の存在に気付いた妹は、箸とお椀を置き、お茶で口の中を濯いだ。

「京、おはよ!」

「おう、おはよ!」

妹の声で元気を貰い、眠気を吹き飛ばし、すっかり習慣となった妹とのハイタッチを交わす。ジンと痺れた手で妹の頭を撫でると、彼女の隣に座った。それと同時に母が待ってましたと言わんばかりに、彼の食事を持ってくる。今日のメニューは白飯、ネギと油揚げの味噌汁、刻んだキャベツに小さなウインナーが三個。続けてお茶の入った湯飲みを置き、母も二人の反対側に腰を下ろした。

「京介、確か今日のお弁当はいらないんだよね?」

「うん。今日はクラスの連中と学食で一杯やるから。」

「一杯って、ふふっ!高校でお酒が飲めるの?」

「お酒(紙パック牛乳)。」

「残念!お酒(お冷)だ!」

「はいはい、それじゃあお酒(麦茶)だけ用意しておくからね。祐美も麦茶でいい?」

「うん!氷増し増しでね!」

「了解!」

母が敬礼をすると、祐美も彼女に敬礼を返した。二人に釣られて京介も真似すると、食卓には大きな笑い声が飛び交った。


 朝食の後、部屋に戻り、乱れた髪を整えて制服に着替える。手提げのカバンを開き、忘れ物がないかを確認。最終チェックを済ませ、祐美の部屋の前で声をかける。

「祐美、行こうぜ!」

「もうちょっとだから待って!」

早起きは得意だが、身支度は遅い妹を待つついでに水筒を受け取りに居間に行く。母が朝のニュース番組を見ながら束の間の休息についていた。

「あっ、もう行くの?」

「祐美待ち。その間に例のブツを、へっへっへっ!」

「へっへっへっ!お主も悪よのぅ!流しのとこに置いてあるから、祐美の分も持っていってあげてね。」

「ういっす。」

台所の所定位置に置かれた自分の水筒と祐美の弁当一式を持ち、再び祐美の部屋の前へと戻る。丁度支度の終わった祐美がドアを開けて出てきた。京介と同じ学校の女子用制服に身を包み、紺色のリュックを背負って準備万全。

「お待ちどうさま!待った?」

「待ち過ぎて弁当が布に包まってしまったぞ!どうしてくれる!」

「うわー!それは大変だ!!お昼に残さず食べたげるから許して!!」

「野菜も全部食べるんだぞ!後は頼む!」

「ほい、ありがとさん!」

渡した昼食を祐美がリュックにしまうのを待ち、二人で玄関に向かう。母も二人の後についていき、玄関で見送る。二人の前に手の平を見せるように差し出すと、二人は軽くその手の平にそれぞれパンチした。いつからか、京介の家ではこれが送り出しのおまじないのようになっていた。

「お二人さん、今日も一日元気にお気をつけて!」

「「行ってきます!!」」

ドアを開けて並んで歩く二人の背中が見えなくなるまで見届け、次の仕事を済ませるために、母は居間へと戻っていった。


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