A6 共に会し、今日も快す
耳に入ってくる陽気なリズムが脳を刺激し、再起動を促す。寝ぼけ眼で半身を起こし、追い討ちをかけてくる小さな歌姫を手に取った。手に取って思考中枢にエンジンがかかる。
「あれ?携帯電話、元に戻ってる…?んん!?」
両手で頬を叩き、周囲を見回すと、そこは目覚める前よりもしっくりと来る正真正銘の自分の部屋。テレビの穴も洋服ダンスの凹みも綺麗に消えていた。
「戻ってきた…のか?いや、それともさっきまでの出来事は夢??」
ベッドから降り、机の上を確認する。寝る前に書いておいた手紙はそこになかった。
「うーん…やっぱり夢だったのかな。…そりゃそうだよなぁ。別の世界の自分と中身だけ交換して…なんて、土井じゃないけど、漫画の見過ぎかな。」
両腕を上に伸ばし、大きなあくびをして部屋を出る。居間に向かうと、パジャマ姿の祐美が先にご飯を食べていた。
「おはよう、祐美君。おっ、今日の朝御飯は『NATTO=来た!大変よぉ!情熱思想 feat 生エッグダンプティー Bセット』じゃないか。んー、おいちそっ!」
「あっ、いつもの京に戻ってる。おっはー!」
「おはおっはー!いつものって?」
祐美は納豆と生卵を混ぜたご飯の上に味付き海苔を乗せて、ご飯を巻くように箸で掴み、お手軽巻物を口に含んだ。
「惚けちゃって白々しい!私とのスキンシップは空回りしてるし、お父さんの顔を見たら泣き出しちゃうし、今日の私の運勢は花丸ハッピーだし♪」
「おのれ~祝ってやる!盛大にな!」
祐美の湯飲みに急須でお茶を注ぐと、祐美は満面の笑みで受け取ったお茶を啜った。
「はぁぁーん!愛するお兄ちゃんが注いでくれたグリーンティーは世界一ですなぁ!」
「宇宙一の間違いだろ?」
「宇宙一は自分で淹れたお茶!」
「じゃあ、銀河一はお母さんが貰いました♪」
いつもながら、おかしなことを言う妹とじゃれ合っていると、母が京介の分のご飯を運んできた。本日の味噌汁は油揚げとネギ。京介の好きな組み合わせだった。
「京介、今日は大丈夫?悲しくない?」
心配そうに顔を覗いてくる母。しかし京介には心配される理由が見つからなかった。
「えっと、祐美がさっき言ってたのも気になるんだけど、昨日の俺ってそんなにおかしかった?」
「うーん、おかしいというか、なんだか戸惑っているといった感じ?」
「戸惑う…。」
「あと、バカじゃなくなってたよね!」
「そうそう、バカじゃなかった!大人しめだったね。」
「元からバカじゃないやい!!」
わざとらしく子供のように頬を膨らませると、両サイドから母と祐美に突かれて、あっという間に空気を抜かれてしまった。
それからご飯を食べながら、二人が話していた昨日のジブンについて考えていた。
「夢じゃ…なかったのか?」
梅干の種をしゃぶりながら、ぼんやり見ていたテレビの天気予報に目が留まる。今日は月曜日、一日分自分の記憶が飛んでいることに気付いた。
「なっ、なあ母さん、俺昨日友達と出掛けたっけ?」
「何言ってるの?一日中家でゴロゴロしてたじゃない。」
「そう…だったね!あはは…。」
楽しみにしていた約束を自分が破るはずがない。かといって昨日の記憶といえば、ヤマダに無視をされて梅田も来なかったという別世界での出来事。
「マジかよぉ…。」
京介が見ていたのは正夢に他ならなかった。
朝の教室、始業時間までまだ10分の猶予が残されており、あちらこちらの席で、仲良しグループが塊を作って雑談に華を咲かせていた。そんな団塊の一つである塚本の席で土井と三人で繁華街に出来た新しいお店の話をしていると、待っていた人物が元気にドアを開く。
「お前らおはよう!!!」
恐らくクラスの全員に向けての挨拶だったのだろうが、学年最初の日ならまだ返ってくる反応も多かっただろう。今では環境音の一つ程度にしか認識されておらず、数人の女子友達が返事をしてくれるだけだった。反応の悪さを気にせず、声の主は自分の席に向かわず、真っ直ぐ京介たちの方に歩いてきた。
「皆さんお揃いで、何の話してんの?」
「おう、山田。新しく出来たアクセサリショップ、知ってるか?今女子の間で人気だって、難波ちゃんが言ってたぞ。」
「へえ。そこ抑えれば、女子とのデートで好感度アゲポヨミンじゃん。」
「何だよアゲポヨミンって。つーかお前、まだ相手だっていねーだろ!」
「塚本ぉ!!お前の彼女を俺に寄越せぇ!!」
「ぎゃああ!!寝取り反対!!」
「山ちゃん、ちょっといいか?」
「ん?ああ。」
塚本の首にチョークをかけていた山田に声を掛けると、山田は悟ったように拘束を解き、後ろ側のロッカーの前に二人で移動した。塚本と土井は大事な話だと思ったのか、こちらについてくることはなかった。
「あのさ、山ちゃん。ちょっと聞きたいんだけど…」
「すまん!お前の気持ちは嬉しいが、俺には男とカップルになる趣味はねーんだ!!」
見当違いのことを口走り、いきなり頭を下げる山田。近くで聞いていた女子グループがひそひそ話を始めた。
「バカ、違うわ!!俺だって好んで男に告白なんかせんわ!!そうじゃなくて、昨日のことなんだが…」
「へへっ、知ってた~♪」
山田はカバンをロッカーの上に置き、中を漁り始める。程なくして、中からサインの入った一枚のタオルを取り出した。
「ほれ、約束のブツぜよ!」
「うおおおお!!!?これ爺古選手の…直筆か!?」
「当たり前だろ!!昨日交流会の時にお願いしたら、喜んでサインしてくれたぜ!ほら、ここにお前の名前、入れてもらった。」
サッカークラブのロゴの下を指差す山田。そこには「To Kyousuke」と鮮明に書かれていた。これには京介も大興奮。聞きたいことも忘れて山田に勢いよく抱きつく。
「あああああああ!!!!山田ぁぁぁぁぁ!!!!!愛してるぜぇぇぇぇぇぇ!!!」
「ぎゃあああああああああ!!!!京、お前やっぱそっちの人間だったのかぁぁぁぁぁ!!!」
山田に密着したまま頬ずりを何度も繰り返す京介。女子グループのざわつきはより一層に大きくなった。
結局何も聞けないまま、そもそも聞くこと自体忘れ、放課後になり、一人下校する。家路を進んでいると、前方の分かれ道から見知った人物が出てくるのが見えた。
「あっ、父さん!!」
「ん?おお、京介か!お帰り。」
京介は父に駆け寄り、並んで家に向かって歩き出す。
「まだお帰り中、だけどね。」
「ははっ!確かにそうだな。」
「今日はいつもより早く終わったんだね。」
「早退してきたんだ。大事な用事があるからと無理を言ってね。」
「大事な用事?」
「…今日、二人にも話そうと思っているんだ。京介、お前にも改めて。」
何の話をするのか、それを問うこともできたが、父の横顔からは強い意志のようなものを感じ、尋ねること自体戸惑われた。
「祐美はもう帰ってきてるのかな?」
「どうかな。この前は今日より遅い時間に帰り道で会ったから、まだ部活中じゃないかな?」
並んで歩き仲良く語らう親子二人の帰路。ふと振り向いて目に入った父の影は、以前見たときよりも小さくなっているように感じた。
その夜、父は家族、そして父方の兄弟数人を呼び出し、自身を謎の病が蝕んでいることを明かした。母はその場で泣き崩れ、京介と祐美、叔母に支えられ、なんとか落ち着いた。まだ激しい変化は無いものの、いつどうなってしまうかも分からない状況だと告げる父。それでも自分は最後まで諦めずに治療法を探すと強い決意を示した。それを聞き、兄弟一同も父のために自分に出来ることを尽くすと約束してくれた。一人暗い表情で納得できない様子の母だったが、京介と祐美が説得し、背中を押してくれたことで、彼女も現実を受け入れ、一緒に戦う覚悟ができたようだった。自分たちも不安で仕方ないはずなのに、母の体を支え、懸命に彼女の不安を取り除こうとしている愛しい我が子たちの姿に、父は比類ない心強さを感じた。
母のこと、父の病、自分や祐美の今後について…障壁となる問題は多々あるが、友達や親戚、なにより家族の絆があれば、それら全てを乗り越えることも容易いと思えた。
京介は大切な人たちと
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