B6 凶を壊し、今日に回す
シンプルな音の連続で目を覚ます。枕の横には安物の目覚まし時計が一人で騒いでいた。小うるさいさえずりを制し、ベッドから起き上がる。
「ん…?」
昨日とは似ているようでどこかが違う部屋の中。正確には、半分アウェイで半分ホームに戻ってきた、といった印象。室内は綺麗に片付けられているが、過去に自分が付けた大きな傷共はそっくりそのまま残っていた。
「…夢と現実が混ざってるのか?」
首を捻り、窓も開けずにそのまま部屋を出た。
廊下を歩いていると、妹の部屋で目が留まる。外れていたはずのドアはやはり修復されていた。しかし、起きる前と違うのは、ドアの腹の部分に僅かな凹みがあること。これも他でもない、自分が作ったものだった。
「…ユミ、いるのか?」
ノブに手を伸ばし、ゆっくりとドアを開く。中は綺麗に片付けられていたが、妹の姿はどこにもなかった。
「もう起きたのか、それとも…。」
ドアを閉め、再び歩みを進める。居間に着くと、台所の方から鍋で何かを煮込む音が聞こえてきた。テーブルの上には二人分の朝食が置かれていた。母の席とキョウスケの席。配置を見て、まだ夢の続きを見ているのだと一人納得していた。しばらくすると、台所から母が追加の野菜サラダと煮物を持ってきた。
「あら、あな…キョウスケ、おはよう。」
「おはよう、母さん。」
挨拶だけ済むと、母は黙って配膳を続け、最後にお茶を用意してから自分の席に着いた。昨日よりも口数や元気の少ない母に違和感を覚える。
「あっ、そうだ。食べる前に…。」
母は慌てて台所に戻り、小さな膳を用意。テーブルを横切り、居間の一角に戻されたあるはずのないものにそれを上げた。
「え…?」
母のためを思い、自分が物置に移動させたはずの仏壇。埃を被っていてもおかしくないそれは、綺麗に掃除されて、元の位置に戻っていた。母は線香を上げて手を合わせる。
「あなた、今日も一日、家族を見守っていてね。」
母の言葉からやはり父の仏壇であると分かった。キョウスケは現実に戻ってきたと認識を改めたが、母がどうして父の死を受け入れられたのかが謎のままであった。
「母さん…大丈夫、なの…?」
戻ってきた母に思わずそんなことを聞いてしまうが、母は弱々しく、しかし明るく輝く笑顔を見せた。
「寂しくないって言うとやっぱり嘘になるけど…キョウスケもユミも居てくれるから、お母さん、もう大丈夫だよ。」
「そう…なんだ。」
「キョウスケ…?」
キョウスケは止まらない涙を手で拭いながら、黙ってご飯を頬張り始めた。息子の頭を優しく撫で、母もまた箸を手に持った。
親子とも言葉を発することなく、黙々と朝食が進んでいったが、二人はその静かさの中で不思議と居心地の良さを感じていた。
学校の昼休み、昼食を持って席を立とうとすると、一人のクラスメートが声を掛けてきた。彼の行動に、一瞬だけ、クラス中の視線がキョウスケの方に向いた。
「ミラ君、お昼、一緒にどうかな?」
「ドイ、お前…。」
自分に関わるなと釘を刺していたはずのドイ。その積極的な誘いに少し困惑したが、夢での山田とのやりとりを思い出し、友との時間というものを味わってみたくなった。再びイスに座ると、ドイは座席主不在の前の席の机を反転させ、キョウスケの机につけて、イスに座った。そのまま弁当を広げて昼食を始める。
「ミラ君、お母さんの手作り弁当?美味しそうだね。うちのおかんはものぐさしていっつもおにぎりと卵焼きだけだよ。」
ドイの手元を見ると、弁当箱に入っていたのは、アルミホイルに包まれた三角形のおにぎり二つと、空いた部分に詰め込まれた卵焼きだけ。その卵焼きは無理矢理押し込んだようで、隙間の形に固まっていた。なんだかドイが憐れになり、自分の弁当からウインナーを一つドイの弁当箱に移す。
「食えよ。肉も食べないと栄養つかないぞ。」
「いいの?サンキュー!じゃあ俺も卵焼きを…」
「それはいらん!」
ドイとのやり取りでキョウスケは忘れていた交友というものをようやく思い出せたような気がした。一人で青空の下、黙々と食べる食事も悪くないが、こうやって誰かと笑いながら取るのもいいものだと感じた。
「あのさ、ミラ君。」
「ん?」
おにぎりを手に持ったまま、ドイが畏まる。咀嚼していたミニコロッケを麦茶で流し込み、口を拭った。
「いつも、言いそびれちゃってたけどさ…お金、取り返してきてくれて本当にありがとう。」
「…。」
「俺だけじゃなくて、あの不良組に恐喝された人みんな感謝してるよ。ミラ君はちょっと怖いけど、本当はいい奴だって。」
「全然いい奴じゃねーよ。」
キョウスケはレタスを箸でつまみ、顔の前で左右に振って眺めた。
「俺はただストレス発散のために、あいつらから金を巻き上げてただけ。そんで金の使い道がなかったから、お前らに返していただけ。本質はあの3人と一緒だよ。たまたま見た人間に正義のヒーローとして映ってしまっただけで。」
「それでもヒーローに変わりはないって。」
箸を持つ手に、自分の手を添えるドイ。彼の熱意が体温となって伝ってきた。
「ミラ君、俺と友達になってくれ!」
「…ドイ。」
「巻き上げてる奴と親しくしているところを連中に見られたら、お金を取り返しにくくなるから、繋がりを作ることを避けていたんでしょ?」
「…。」
「俺は絶対にミラ君の弱点にはならないし、俺も連中の悪事を防ぐのを手伝う。俺は君と友達になりたいんだ!」
「…はぁ。」
キョウスケはドイの手をどけ、レタスを口に落とし、音を立てて噛み砕いた。喉を鳴らして飲み込み、麦茶で喉を潤すと、席を立つ。
「もう、いい頃合かな。ドイ、ちょっと付き合ってくれ。」
「え?うん。」
ドイは訳もわからぬまま、歩き出したキョウスケの後についていった。
目的地である屋上に着くと、例の三人組みがフェンスに寄りかかって立っていた。キョウスケの姿に気付くと、姿勢を正して真っ直ぐと立った。
「きょっ、キョウスケさん!今日の分、もっ、持ってきました!!」
「ん、ご苦労さん。」
キョウスケは三人から袋を受け取り、ドイにそれを預ける。受け取ったドイは、キョウスケの貫禄に唖然としていた。そんなドイのことが気になったようで、三人組は困惑した様子を見せた。
「あのっ、キョウスケさん。その…そいつは?」
「こいつ?こいつはドイ。同じ学年で、お前らも知ってるだろ?」
「あっ、いや、そうじゃなくて…。」
キョウスケは後ろに立つドイを自分の隣に並ばせ、彼の肩に手を置く。ドイは体をビクッと跳ねさせた。
「ドイ、お前は何だったっけ?」
「えっ?えっと…。」
ドイに集まる4人の視線。目の前の不良組に臆しながらも、何度も肩を軽く叩くキョウスケの手にドイは腹を括った。
「俺は…俺は、ミラ君の友達だ!!」
ドイの大声が天高くこだまする。予想外の告白に不良たちは固まっていた。キョウスケはドイから手を離し、不良たちの前に一歩出る。
「…だそうだ。だから、こいつに手を出そうものなら、俺が容赦しないからな。」
キョウスケは未だに理解が追いついていない三人組をフェンスに追い込み、フェンスを力いっぱい殴りつけた。ガシャンと大きな音を立ててフェンスが揺れると、三人は体を大きく震わせた。
「ドイだけじゃない。この学校の連中皆が俺の友達だ。金輪際、誰にも暴力振るったり、金を巻き上げたりするなよ?いいな?」
「そっ、そんな!?いきなりそんなこと…」
「写真、警察に渡してもいいんだぞ?そうなったら退学だけでなく、お前らの人生もおし」
「わっ、わかった!わかりました!!もうバカはやめます!!」
「こっそり…なんてすぐにバレるからな?」
キョウスケはドイから袋を預かり、3人組に袋を返す。それから懐に入れていた自分の財布から千円札を三枚出し、一枚ずつ彼らに配った。
「今までお疲れ様。それは退職金だ。最後にその袋の中身を自分たちで返して来い。万一戻って来てないって奴がいたら…後は分かるな?」
「わっ、分かりました…。ちゃっ、ちゃんと返しておきます…。」
返事をしかと聞き、キョウスケは屋内に戻っていく。ドイは不良たちのことを気にしながら、彼の後についていった。
教室に戻ってきたキョウスケは、席に着いて財布の中身を確かめてから食事を再開した。ドイは食べかけのおにぎりに噛み付き、キョウスケの顔を伺う。
「あの、ミラ君。もしかして、これまでの彼らの徴収報酬って、ミラ君が…?」
「…キョウスケ。」
「え?」
「友達になったんだ。気軽に下の名前で呼び捨ててくれよ。」
「…うん!」
キョウスケが手を差し出すと、ドイは喜んで握手を交わした。本来であれば、自分が卒業するまで悪者たちの監視をするつもりだったが、ドイの笑顔を見ていると、こういう展開も悪くないと考えを改めた。
夕時、キョウスケは部活で賑わう体育館に来ていた。邪魔にならない端のほうで女子バスケ部の試合を眺めていると、審判についていたユニフォーム姿の少女が驚いた様子で近付いてきた。
「先輩、ここに来るなんて珍しいですね。」
「アヤカ、お前部活、何時頃終わりそうだ?」
「私に用ですか?」
「ああ、大事な用だ。」
「ちょっと待っててください。」
アヤカは休んでいた部員に審判を代わってもらい、部活の顧問のもとに向かった。しばし話をしてから、再びキョウスケのもとに戻ってきた。
「外の方がいいですよね?行きましょう。」
「着替えなくていいのか?」
「私の着替えを覗きたいんですか?」
「…行くぞ。」
体育館を出て本棟に戻り、二人がいつも時間を過ごしている屋上へと向かった。空に最も近い場所は、夕日の光で茜色に染まっていた。
「お話とは何ですか?」
フェンスに背を預けて問うアヤカ。橙色の雫が頬を伝う彼女の横顔を見ながら、キョウスケは腕を組んで口を開いた。
「ユミに、会わせてくれないか?」
「え?」
「お前のとこにいるんだろ?ユミ。どうしても話したいことが…あ?」
アヤカは観察するようにキョウスケに近付き、顔同士の距離を縮める。彼女の真剣な眼差しから逃れられず、キョウスケは彼女の顔を黙って見つめ返した。
「先輩。」
「なっ、何だよ?」
「…おかえりなさい。」
「…はぁ?」
アヤカは背を向いてキョウスケから離れ、フェンスの向こうの景色に目を向ける。彼女の意図が掴めず、困惑するキョウスケだった。
「悪いが、真面目にユミと話がしたいんだ。なんとかユミに会わせて…」
「できません。」
「…何で?」
「約束しましたから、もう二度と会わないって。」
「誰とだよ?」
「先輩と。」
「はぁっ?」
振り返ったアヤカは逆光で表情が陰り、感情を読み取ることができなかったが、彼女がなんとなく微笑んでいるのが分かった。
「美良 京介先輩が、はっきりと、約束しました。二度とユミの元に来ないと。自分からは。」
「俺が…か?」
「先輩が、です。」
これまでのアヤカとのやり取りを思い返してみる。しかし思い出せるのは、アヤカに煽られてすぐに癇癪を起こす短気な自分の姿ばかり。彼女にそんな約束をしたことなど、まるで自覚がなかった。
「やっぱりそんな約束した覚えはな」
「先輩。」
アヤカはキョウスケの口に人差し指を押し当てる。キョウスケは吐き出そうとしていた言葉を飲み込まざるを得なかった。
「どういう風の吹き回しか知りませんが、ユミのことなら心配しないで下さい。彼女は家に帰れるように準備を始めました。」
「準備?」
指を離し、アヤカはキョウスケの家の方角を向いてそちらを指す。
「今日から、先輩が学校にいる時間だけ、家に帰ると話してました。」
「ユミが?」
「まだ先輩と顔を合わせるのは怖いみたいで、まずは家に帰るところから、写真で先輩への恐怖も克服していきたいと意気込んでましたよ。」
「そうか…。」
自分が説得に出るまでもなく、ユミもまた、現状を変えるために動き出した。その事実が聞けただけで、妹に会う必要がなくなった。
「もういいですか?今ならまだあと一試合練習できるので。」
「ああ、呼び出して悪かったな。」
「…なんか先輩に謝られると気持ち悪いですね。」
「体調が悪いならこのまま帰れ。」
「では、先生に先輩から許可が出たので、と伝えておきますね。」
「さっさと部活に戻れ!」
アヤカは入り口へと走り出し、キョウスケにあかんべーをして去っていった。アヤカが去っていった方に笑いながら拳打を空振りさせ、汚れを気にせずにその場で仰向けに寝て、屋上での夕涼みにしばし耽った。
いつもより早く家に帰り、母と軽く言葉を交わしてから自室に向かう。ふとユミの部屋の前で立ち止まるが、彼女がまだいては申し訳ないと思い、再び歩き出した。自室に戻り、カバンを置こうと机に近づくと、机の上に一枚の紙が置かれていることに気付いた。
「何だこれ?」
紙を摘み、裏返してみると、そこにはお世辞にも綺麗とは言い難い文章が書かれていた。どことなく自分の字に似ている気がしたが、キョウスケはこんなものを書いた覚えはなかった。紙の上部には「京介様へ」と書かれており、どうやら自分への手紙のようだった。
「ユミが書いた?それとも母さん…いや、違うよな…。」
差出人が分からぬまま、とりあえず内容を読んでみた。
『 京介様へ
夜に見る月は、当たり前になりがちだが、改めて見ると美しい。
月のように、よく見てみないと気付けない美しさが日常にはある。
その美しいものを守れるのは、その美しさに気付けたものだけだ。
月の美しさを忘れるな!
お前がその美しさを守り続けるんだ!
京介より』
「差出人、俺!?」
ますます手紙の出所に混乱するキョウスケ。自分が自分に宛てて書いた手紙。そもそも手紙自体ここしばらく書いていなかった。しかし、伝えたい内容は真剣そのものに感じ、何度も何度も読み返し、自分なりの解釈に辿り着く。
「…心配されずとも、これから先、ちゃんと守っていくつもりだよ。」
キョウスケは引き出しの中から画鋲を見つけ、、お節介な自分宛の手紙を部屋の目に留まりやすい壁面に張りつけた。手紙は、キョウスケの誓いを聞き届け、安心したように微かに体を揺らした。
辛く苦しく、満たされない日々は終わりを告げ、キョウスケは大切な人たちと共に再生への一歩を踏み出した。長く険しい道のりの先に待つ失われたはずの幸福をまたその手に掴むために。
キョウスケは、罪深き
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