B2 表面上の日常
「次回は小テストを行なうので、各自準備を怠らないように。」
チャイムの音が鳴り、4限目の授業が終わる。アラガキ先生は、持ってきた教材一式を纏めると、席を離れてグループで固まる生徒達を掻き分け、キョウスケの席にやってきた。アラガキ先生はキョウスケのクラスの古文担当であったが、同時にユミの担任でもあった。
「ミラ君、妹さんの様子はどうですか?」
普段から穏やかな気質を醸し出しているアラガキ先生であるが、キョウスケの元に来る度にその優しい表情は心配の色を含んでいた。キョウスケはそれに気付いていたものの、今更どうすることもできない、それ以上に家庭というプライベートな領域に踏み込まれたくない思いが強く、先生の気遣いが煩わしくて仕方なかった。
「まだ登校するには不安みたいで…。もう少し待ってもらえますか?」
「そうですか…。無理しなくてもいいので、出てこられそうな時に来てくださいと伝えてください。クラスの友達も待っていると。」
「分かりました。」
お決まりの返事を返すと、アラガキ先生は最後にキョウスケの肩に手を置き、一言添えた。
「君もあまり頑張り過ぎないようにね。」
「…はい。」
持ち物を脇に抱えてノソノソと教室を出ていくアラガキ先生。キョウスケはその背中を鋭く睨んだ。
昼休み、屋上で一人弁当を食べる。キョウスケが来る前はいくつかのグループがピクニック気分でシートを敷き、談笑しながら腹を満たしていたが、キョウスケがやってきた途端に突然の雨が降ってきたように大慌てでランチセットを片付け、一目散に逃げていった。キョウスケは気にせずにフェンスに寄りかかり、弁当を広げて燃料を補給し始めた。おにぎりを頬張っていると、3人組の男子生徒が屋上にやってきて、ゆっくりとキョウスケに近付いてきた。制服を乱してだらしなく纏い、髪の長さも校則違反の範囲もしくはスキンヘッドだったり。来訪者に気付いたキョウスケは、おにぎりをあっという間に飲み込み、弁当を包んでいた布を前に広げた。3人組は一人ずつ、ビニール袋をポケットから取り出し、それを布の上に置いていく。各ビニール袋の中にはお札や硬貨が入っていた。キョウスケは満足そうに頷くと、布を縛り、自分の横に置いた。
「ご苦労さん。搾取者リストは放課後に貰うから、ちゃんと仕上げておけよ。」
「はっ、はい…。」
「それから…。」
キョウスケは立ち上がると、長髪の男に近付き、頬を思い切り殴った。衝撃に耐えられずに長髪の男はその場に尻餅をつく。歯が折れたのか、肉を切ったのか、口元からは血が滴り落ちた。
「ムラカミ、お前昨日の分をちょろまかしたな?俺が個人的に追加搾取に行った時にカモがお前に渡したっていう金額とリストの金額が合わなかったぞ?足りない分はどこに行ったのかな?」
「ふっ、ふみまへん!!!ほっ、ほんのれきごころれ!!!もっ、もう二度とは!!!」
「分かれば宜しい。以後は気を付けるように。あと、くすねた分はちゃんと俺に返せよ?」
「はっ、はい!」
「それじゃあ次は…。」
二人の男子は肩を跳ねさせる。キョウスケは二人の顔を交互に見やり、次の罪人の前で顔を止める。耳にピアスを付けた男は、強面を情けなく歪ませ、後ずさる。彼が両腕でボディを庇うより早く、キョウスケの拳打が腹を凹ませる。堪らず生唾を吐き出し、腹を押さえてその場にうずくまるピアス男に、休む暇を与えずに執行人の渾身の蹴りが横腹を抉る。連撃を受け、ピアス男は横向きに倒れ、白目を剥いて呼吸の仕方を忘れたかのようにフシューフシューと必死に酸素を補給しようとしていた。
「ハギワラ、お前カモに必要以上に暴力を振るったらしいな。カモが怪我したら、先公や保護者にすぐバレるって再三言ったはずだよな?搾取できなくなった分をお前が払ってくれるのかな?んん?」
ハギワラの顔を踏みつけ、上履き裏の跡を残すように強く押し付ける。当のハギワラは、呼吸をするのが精一杯で返事が出来ずにいた。魚のように口をパクパク動かすハギワラに呆れ、キョウスケは、再びフェンスに寄りかかって座り、昼食の続きを始めた。ブツを渡し終えたスキンヘッドと長髪は、顔を見合わせて頷き、下手糞な作り笑いを見せた。
「あっ、あの!キョウスケさん!おっ、俺らが会っている所をせっ、先公に見られたらまっ、まずいんすよね?おっ、俺らはこれで失礼しやす!」
「ああ。言われる前に行動するのは良い心がけだぞフジワラ。お前はまだヘマを一度もしてないから、これからもその調子で期待しているぞ。」
「へっ、へへ!ごっ、ご期待に沿えるように、がっ、頑張りますぜ!」
スキンヘッドと長髪は、キョウスケに一礼し、ピアスを担いでそそくさと立ち去っていった。三人がいなくなってから、黙々と昼食を口に運び、数分も経たないうちに完食。頭の後ろで腕を組み、ぼんやりと空を見上げて目を瞑った。次に目を覚ますのは、休息の終わりを告げる大きな目覚ましアラームが鳴り響く時。日常で天に最も近い場所で、キョウスケは唯一の安らぎを覚えていた。
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