A3 一日の終わり
土井と別れて家路を歩いていると、背中に指を押し当てられた感触がする。反射的に両手を挙げると、聞き慣れた声が耳に入ってきた。
「動くな!動くと撃つぞ!?ばっきゅーん!!」
「もう撃ってる件について。」
不意を打ってきたエージェントの正体は妹の祐美であった。祐美は銃を模した右手の銃口を得意げにフーッと吹くと、舌を出して悪びれてみせた。
「得物を突きつけられて尚、無抵抗な京が悪いんだよ。そんなんじゃこの修羅の国ジャポンで生きていけないよ?」
「そういうお前は銃刀法違反と殺人罪でお縄につけぇい!」
「残念だったね、刑事さん。文字通りのハンドガンは殺傷性の無い合法武器なのだよ。」
「殺人罪はどうする?」
「ガイシャ死んでないじゃん。」
「ぐへへへへ!俺様は地獄の底から貴様に復讐するために蘇ってきたリベンジャーアンデッドなのだぁ!」
「いきなり世界観が富士山高跳びしたぁぁぁぁ!!!」
オーバーリアクションで大げさな身振り手振り、通行人や周囲の住人達を気にせずに元気な声で三文芝居を続ける二人。家の前に着くと、隣の家のおばさんが、何歳になっても無邪気にじゃれ合う仲睦まじい兄妹の姿に頬を緩ませていた。
家に帰ると、祐美は部活動の汗を流そうとシャワーを浴びに風呂場へ、京介は自室で今日の授業の復習と明日の予習を始めた。祐美が風呂場から出て、京の部屋で涼みがてら少年漫画を読み出した頃には、玄関から帰宅した父の一声が聞こえてきた。それを合図に二人は手を止めて居間へと集まる。自分の席に腰を下ろして待機。その間に母が居間と台所を何度も往復。回数を重ねるごとにテーブルの上は満員状態に近付いていく。着替えを終えた父もやってきてゆっくりと座り、テーブルに置かれたお茶を一口啜った。
「おかえり、父さん。」
「おかえりなさい。」
「ただいま。二人とも、学校の方はどうだ?」
「我が尊敬する父上の息子として恥じないように真面目に勉学に励み、他の生徒の模範となるような立派な学生生活を送っているであります!」
「その模範学生が昼休みに学食で騒いで先生に怒られていたのを、自分は見ていたであります!」
「ちょ!?祐美ちゃん!?」
「ほう、それは興味深いなぁ。詳しく聞かせてもらおうかね、京介中尉?」
「いや、まぁ別に問題を起こしたわけじゃないんで…お手柔らかに聞いてくだせぇ…。」
「あら、事情聴取?それは丁度いい!今日はカツ丼なのよ!」
「お母さんナイス!あんちゃん、これ食べて警部に全て吐いちまいな。田舎のおっかさんが泣いてるぞ?」
「よよよ…。」
「母さん、演劇部だったっけ?」
「バレー部よ?お父さん、学生時代に更衣室覗きに来てたでしょ?」
「え?そうだっけ?」
「ほほぅ、清彦軍曹。自分はその覗きの話をじっくり聞きたいでありますなぁ。なぁ、祐美少尉?」
「同感であります!二人の甘酸っぱい青春ラブストーリーも交えて熱く語ってもらおうではありませんか!」
「おいおい勘弁して…」
「いいわよ♪」
「よくない!」
食べ始める前から明るい声が飛び交う
夕食が終わり数時間、最後に風呂に入り、さっぱりしてから冷蔵庫でよく冷えた麦茶を出して、コップに注ぎ、居間で一杯しようと台所を出ると、父が窓辺に立ち、外の景色を眺めていた。
「どうしたの?一人で黄昏て。」
「ああ、京介か。」
コップを片手に父の隣に並んで立ち、彼の見ていた大きな丸い月に目が移る。
「はぁ…普段はあんま意識してないけど、こうやってまじまじと見ると、月ってやっぱ綺麗だよね。」
「そうだな。当たり前だからこそ、よく見てみないとその美しさ、尊さに気付けないことだってある。」
「父さん?」
父は魅入るように月だけを見て、京介と顔を合わせようとはしなかった。父の横顔はどこか穏やかでしかし寂しく、京介はらしくない父親の様子に違和感を覚えていたが、事情を伺うのも何となく躊躇われたため、黙って父の視線を追うだけに留めた。
「京介、これから先、お前も祐美も、大切な人ができるまでは一人で歩んで行く時があるかもしれない。心身ともに辛く苦しい時間があるかもしれない。」
「うん。」
高校を卒業して大学に入れば、一人暮らしにはなるだろうし、親しみ慣れた場所を仕事の都合で離れて単身新たな土地で新生活を送ることもあるかもしれない。そういう意味でも言ったかもしれないが、父の言葉の真意はまた別の所にあるように思われた。
「だけど、どんな時でも、月の美しさを決して忘れるな。その美しさを守るんだ。尊く愛おしいと分かっているお前だからこそ、守れるんだ。お父さんもここまで頑張ってきた。」
父は一度月に手をかざし、就寝の挨拶をしてからカーテンを閉めた。京介の手からコップを取り、麦茶を一口飲んで返すと、京介の肩をポンと叩き、いつもの父に戻った。
「おやすみ、京介。明日も学校、頑張ってな。」
「おやすみ。父さんも気を付けていってらっしゃい!」
父はサムズアップをして寝室へと去っていった。京介は、少しばかり減った麦茶に苦笑いし、残りを一気に飲み干した。
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