三話
「新人」というイベント以降は特に何事も起きずに二週間の業務の残りも終え、一週間の休暇も終わる。そもそも、偵察部隊の彼らの仕事中に何かが起こったとしたら、それは大事である。
ノックが響く。四回だ。部屋の中にはすでに偵察部隊の面々——二人しかいないが——が揃っている。彼らの直接の上司である司令官ならば、しても三回、しない方が多い。基地の事務所員や他の部隊の部隊員ならば、三回だ。だとしたら、四回のノックの主は絞られる。二人よりも階級が低い初対面の人物だ。
「どうぞ。」
ジークリットの声の後、一息置いて扉が開かれる。向こうからは制服をきっちりとまとった女が現れた。薄い金髪をポニーテールにし、青い瞳は二人を捉えている。首の階級章には何の印もない。つまりは「準下級飛空士」。予想通りの人物だった。
「今日から、飛空士協会東支部偵察部隊に配属になりました、エセル・パーキンソン準下級飛空士です。」
エセルはお決まりの挨拶をし、きれいに敬礼する。指先まで適度に力の入ったお手本のような敬礼だ。
彼女に敬礼をやめるように促し、部屋にいた二人は一瞬だけ目を合わせる。目線を切ると、男は小さく息を吐き口を開く。
「ようこそ、パーキンソン準下級飛空士。俺はアベル・クロックフォード、中級飛空士だ。」
「私はジークリット・ナイトレイ。同じく、中級飛空士。よろしく。」
二人はエセルと順に握手を交わす。
「あの……偵察部隊って、もしかしてお二人だけなんでしょうか?」
エセルは答えの予想がついているのかもしれない。困惑したような表情で遠慮がちにそう聞いた。
ジークリットは彼女の言葉に頷く。
「人手不足の東支部の極みだよ。お金や資材はそこそこにあるんだけどね。」
「そのうち、嫌でも分かるんじゃないか?」
苦笑いを浮かべ二人は答える。
「……そう、なんですか。」
エセルはやっぱりか、とでも言いたげな顔をする。すでに誰かに聞いていたのかもしれない。あるいは、この部屋に来るまでに幾つかの空き部屋を見たのかもしれない。
ジークリットは何かを思い出したかのように、エセルの顔を見る。
「ハネス司令官には会った? 一応、私たち偵察部隊の直接の上司にあたるんだけど。」
ハネスとはこの間書類を渡された時から二人は直接会ってはいない。
「はい。お会いしました。この間、ここに着いた時挨拶を。」
「それはよかった。」
エセルはどこか落ち着かない様子で、部屋を見渡したり、ちらちらと二人を見たりを繰り返す。その様子にアベルは小さく笑いを漏らした。
「自己紹介なんてこんなもんでいいだろ。基地……いや、拠点の中でも案内するか? 一通り見て回れば、昼飯に丁度良い時間になるだろう?」
「で、午後からは壁の補修の手伝いね。」
ジークリットの言葉にエセルは少しきょとんといた表情をみせる。
「あぁ、今日は休暇明けだからね。いつもより少し楽なんだよ。明日からは通常業務。」
二週間拠点に詰め、一週間の休暇をとる。基本的にはこれの繰り返しだ。そして、一週間の休暇明けの仕事は決まって少し楽なものである。さすがに一週間も間を空けた後にいきなり偵察任務に行ってこいなんてことはない。
「でも、残念ながらパーキンソン準下級飛行士は基地で留守番ね。それと、エセルって呼んでも良い?」
「あ、はい。その、理由を伺っても? 私の名前の件じゃなくて、明日の仕事のことについて。」
「エセルに何か問題があるってことじゃあなくてね。」
ジークリットは申し訳なさそうに小さく笑う。
「下級以下の飛空士を連れて偵察任務に出る時は、一人の下級以下の飛空士に対して、中級以上が二人以上いなきゃいけないってことは知ってるよね? で、我が偵察部隊には中級二人しかいないわけ。そうなると、もう一人手が空いてる人を他部隊から探してこなきゃあいけないの。」
「俺かジークがエセルとバディを組んで、もう片方がその手が空いてる人と組む。飛空士じゃなくて、中級以上であれば飛行士でもいいんだけどな。運悪く、誰も手が空いてないらしい。」
室内のガス灯の栓を閉めてまわり、吊りランプのあかりも消す。
「じゃあ、行くか。」
アベルが部屋の鍵を閉める。
「そういえば、ここが『第一偵察部隊』になっているのはなんでなんですか?」
閉めた扉の横には「第一偵察部隊待機室」とある。あまりきちんと掃除していないのか、その金属のプレートの上には薄く埃が積もっている。
「もともとは二つあったんだ。第一と第二の二つな。この街で一番規模の小さい支部だとしても、偵察部隊が一つで、たった二人で機能するはずがないさ。七年前に第二の隊員が著しく減ったため、解体。そして第一に吸収された。」
アベルはちらりと、二人に気づかれないようにジークリットに目線を向けた。視線の先の彼女はぼんやりと視線を窓の外へ向けている。話を聞いているのかすら分からない。
「その後、第一部隊の隊員も増えることなく、引退するやつが増えるだけ。そして、今に至るってわけだ。俺たちの休暇中は他の部隊が肩代わりしてはいるがな。やっぱり、隊員は欲しいなぁ。欲は言わないから後二人、いや後六人は欲しい。ローテが組める程度には欲しい。」
なぜ、東支部の偵察部隊がこんなにも人気がないのか。エセルはそれが気になったが、この先輩飛空士二人には今日会ったばかりである。突っ込んだ話ができるわけがなかった。
廊下を進む。途中、偵察部隊用の更衣室や武器庫を通り過ぎる。
「司令部、格納庫、食堂……あとは、工房?」
「今日中に案内できるのはそれくらいか。いや、工房は今度に回したほうが良いだろう。昼間に行っても、あそこの連中は良い顔をしない。あとは資料庫とかか? まあ、資料庫なんて滅多に行かないけどな。」
アベル、ジークリット、エセルの順番で廊下を歩く。
エセルはまじまじと二人の後ろ姿を見る。
アベルは飛空士の男性の中でもそれなりに体格がいい。もちろん、太っているという意味の「体格がいい」ではない。
それに比べて……いや、そもそも性別が違うのだから比べるものでもないのだが、ジークリットはやや小柄だ。そうは言っても百六十はあるが、百七十センチを優に超えるエセルよりも十は低いだろうか。
(あの体にあの胸か。)
エセルは感動していた。どうして感動していたのか、と言われるとそれはなんとも答えにくい。あえて言うのなら、彼女の周りにはあまり「女性的な」体つきの女性がいなかったからだろうか。だいたいが腹筋は六つに割れているし、胸か胸筋か区別がつかない者すらいた。
「寮はもう案内してもらったんだよね?」
ジークリットは振り返り、エセルに声を掛ける。
「……エセル?」
エセルはジークリットの声にはっとし、目の周りの力を緩める。
「寮は案内してもらったんだよね?」
「はい、私の少し前に東にやって来たっていう方に。」
それはよかった、とジークリットは小さく笑って前へ視線を戻す。
他よりもやや広い廊下へ着く。奥の行き止まりには両開きの鉄の扉、横には制服を着た二人の男が立っている。
「司令部はここ。ここに来るような用事はあまりできないと思うけど……そうだね、エセルが次に来るとしたら、次の配属先への提出書類を受け取りに来るときかな?」
「機密を扱ってる部屋はさらに奥だ。まず、行くようなことはないがな。」
ジークリットは二人の元を離れ、扉横の男に声を掛ける。エセルが中を見学しても良いのか、それを聞いたのだ。運が良ければ中に入ることも叶うが、今回はダメだった。ジークリットは男といくらか言葉をかわすと、振り返って首を横に振る。
「今日はダメだってさ。少し立て込んでるみたい。新米飛空士に中を見学させてはやりたいが、って。」
「むしろ、私みたいに正式に飛空士になっていなくても入れることの方が驚きです。こういうところって、ある程度階級がないといけないんじゃないんですか?」
少なくともエセルは訓練学校でそう習っていた。
「そこんとこらが東支部は適当だの何だの言われる所以なんだろうな。」
昼食に丁度良い時間にはやや早い気がするが、だからと言って他を回る時間もなかった。
ごった返す、という程ではないが、それなりに食堂は混んでいた。
「おお! 新人か? よかったじゃねぇか。」
入り口近くの席に座っていた男にアベルは話しかけられた。東支部で数少ないアベルの訓練学校時代の同級生だ。
「いやぁ、いつも大変そうだなぁとは思ってはいるんだ。」
返事を返さず目線しか返さないアベルに少し焦ったのか、男は表情をぱっと変えそう言う。
「思うだけじゃなくて、こっちに転属してくれれば言うことはないんだがな。」
苦笑いを浮かべ、アベルはそう返す。その言葉に男は曖昧に笑った。
前列に並んでいる途中、ジークリットはある場所に目を留める。そこには六人で固まり、食事をしている集団がいる。
「あそこの窓際の席に固まってるのが、警務の人たちね。彼らに目をつけられないにこしたことはないよ。西では特にね。」
「あー、そりゃそうだな。あっちの奴らはいつも人の行動を見てる。弱みを握られないように、握れるようにってな。」
アベルはトレーを片手に顔を顰める。その様子にジークリットはくすくすと笑い声をこぼす。
「どうしたんです?」
「経験者は語るってね。」
ジークリットはそれだけ溢すと、前へ向き直った。
「凝ったものはないけど、美味しいよ。」
ジークリットはぼんやりと食事を眺めているエセルに声をかける。
「訓練学校とも、寮の食事とも……全然違う。」
エセルは訓練学校時代の食事を思い出していた。
まずいわけではないが、美味しくはない。メニューにバリエーションがない。訓練学校に入りたての頃はよかったが、数年もたてば飽きる。
「そうだね。うん、最近の学校の食事は美味しくなったって聞くけどね。相変わらずバリエーションはないみたいだけど。」
あれで美味しくなったのか、というのがエセルの素直な感想だった。
食事も終わり、食堂も人で溢れかえってきた。
「期待してるとこ悪いが、量は決まっているからな。」
無意識だろうが、口角が上がっているエセルに向けてアベルは呆れた顔を向ける。
「そのくらいわかってますよぉ。」
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