五話
第二駐屯部隊の待機室に三人はいた。部屋の中央のテーブルを囲うのは駐屯部隊の面々で、三人は壁を背に少し離れた位置に立っていた。
「——は補修作業。偵察部隊には壁上からの監視をお願いしたい。」
ジークリットは「偵察部隊」という言葉で意識を戻した。
「了解した。今回は準下級飛空士も同行するが構わないな?」
その横に腕を組んで体を壁に預けていたアベルが返事を返す。
「ああ、さっき言ってた子だな。司令官からも話は聞いてるよ。なに、せいぜい出てきても小型の機械獣だろう。なんだったら、ナイトレイ中級飛空士を残して、壁の案内をしてきても構わんぞ。」
コツコツというブーツの足音と数人の話し声が狭い通路に響く。所々はがれた塗装、ランタンはオイルがきれかかっている。
「北の壁に比べると薄いんですね。」
エセルが知っているのは、訓練学校の授業の一環で見学しにいった街の北側を守る壁だけだ。
「そりゃあね。脅威が少なければ、これだけ薄くもなる。通路が人が二人並べない程狭いのはどうにかしてほしいけどさ。」
しばらく通路を進むと壁に固定された梯子が見える。
なぜ、階段ではないのか。通路の細さと壁の厚さを鑑みると階段を作るスペースがなかったのだ。
「壁が作られた当時は、今みたいに他に売るほどの資材はなかったんだ。真っ先に作られたのは大型に襲われる危険性が一番高い北と南。ついで、よそのとの窓口になる西。東は最後にまわされた。」
何においても東の優先順位は最下位だ。「東」と区分される地域の中で広い面積を占めるのは農作地、その次は植林地である。人口密度が他の地域に比べ低いのだ。
前に続き梯子を登る。最上階の通路は下よりもさらに狭い。エセルが少し首を縮めてギリギリ通れるくらいだ。
エセルは列の前方から風が吹くのを頬で感じた。中の構造は待機室でジークリットが見せてくれた資料を少し眺めた程度であまり覚えてはいない。ただ、外につながっているのだろうことは分かった。
小さな扉の先には視界の先の先までを埋め尽くす白い大地があった。その光景にエセルは小さく息を吐く。
「少し先、そうだね……あそこに尖った氷があるのが見える? あそこから向こうは全部海。……海だった、らしいね。」
「全部、ですか……」
扉を固定し終えたジークリットがエセルの隣に立った。
他の壁の最上部まで登ってきた面々はそれぞれの作業を始めている。ジークリットも呆然と柵の向こうに見える景色を見ているエセルの方をポンと叩くと、駐屯部隊の隊員から双眼鏡を受け取り持ち場に向かった。
「ほら、新人。惚けてないで、仕事だ、仕事。」
いつの間にか二人から離れていたアベルがエセルを手招きする。手にはロープとその端に繋がれた工具箱。それと空のトレー。
「エセルはここで作業している連中の手伝いだ。使い方は見ればわかるよな。箱に引っ張られて落ちるような柔じゃあないだろう?」
下を見ればゴンドラに乗った駐屯部隊だろう人たちが見える。
「すぐに他の奴が交代に来る。そうしたら、俺が戻るまでここで待っていてくれ。中を案内するから。」
エセルはアベルを目で追った。彼は何人かの隊員に声をかけ、少し離れた今自分がいる位置よりも三メートルほど高い位置にいるジークリットのところまで歩いていく。そして、一言二言話すと壁の中へと入っていった。
ジークリットがいるのは見張り場。他よりも少し高く、他よりも壁からせり出している。他にいるのは無線機を肩にかけた駐屯部隊の隊員だ。
エセルがロープを両手で握りしめながらジークリットを見ていると、双眼鏡を覗いていた彼女もさすがに視線に気づく。双眼鏡を下げ、しょうがないなと年下の兄弟を見るかのように笑顔を浮かべ、手を小さく振る。職務怠慢だと思われただろうか、と少し評価を気にする新米飛空士はぺこりと頭を下げてゴンドラへと目を戻した。
壁下で待機していた航空機は出番なく、エセルは十分に壁の中を見て回りその日の仕事は終わった。
寒くはないはずだったが、肩の力が入っているようだった。エセルは室内に入ったのと同時に肩の力が抜けたのを感じた。
梯子をおり、階段をおりる。
「あぁー、えっと、『先輩』でいいんでしょうか?」
突然どうしたのだろうか、とジークリットは首を傾げた。そして、少し不安そうに目線をほんの少し外すエセルの姿が目に映る。昔——十数年前に訓練学校を出たばかりの自分を少し思い出し、ジークリットは少し懐かしくなった。
「呼び方? 私たちの?」
エセルはこくりと頷く。
「良いんじゃない?」
ジークリットがにこりと笑うと、その前を歩いていたアベルが振り向いた。
「そういやぁ、ジークも最初は迷ってたなぁ。『クロックフォードさん』、『クロックフォード中級飛空士殿』、『中級飛空士殿』……他には何かあったか?」
アベルは小さく笑うが、ふと表情を戻す。
「あぁ……すまん。」
何かあったのか、とエセルは後ろと前を交互に見る。
「……少し恥ずかしい思い出ってだけだよ。」
ジークリットは笑う。
壁から偵察部隊の待機室に戻るまで、エセルは訓練学校時代のことを二人に話していた。
人に話せるようなことなど、自分の成績や同期生の話くらいだった。待機室に戻るまではどうにか話題を保つことができたが、着いたのと同時に尽きてしまう。
「報告には俺が行くから。」
アベルとはそれだけ話し、更衣室前で別れた。
更衣室の中、横に並んで二人は着替える。
「先輩は目が良いんですか?」
沈黙に耐えられなくなり、エセルはジークリットに問いかけた。会話のネタに困ったら、とりあえず質問を振っておけ。どこかの誰かがそう言っていた。
ジークリットはボタンに手をかけたまま、エセルをじっと見た。いや、見ているのだろうかは分からない。エセルには分からなかった。「目を向けている」という表現が正しいだろう。
「……ごめん。ぼうっとしてた。」
申し訳なさそうにジークリットは目を伏せる。
「目は特にいいわけじゃないよ。よかったら、双眼鏡いらないでしょ?」
ジークリットは着替えを再開する。
「鼻も耳もいいわけではないの。悪くはないけどね。」
ブラウスのボタンを胸下までとめて、そこでふと手を止める。
「……少し、人より傷の治りは早いかな。」
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