19◇最後の日

 アイツらを預けることに、全く不安がなかったわけじゃない。ミカン箱をそれぞれの家に運ぶ度に、これで良いのか、これで良いのかと、自問自答していたのも間違いない。

 俺はアイツらに対して、どう向き合っていけばよかったんだろうか。



 *



――『地球を見学するって、何をどうやって見学するんだよ』


――『別に、観光地に連れて行って欲しいとか、珍しいことをさせて欲しいって言うんじゃないんだ』


――『じゃ、どうすれば?』


――『ただ地球人の暮らしを、そばで見つめさせてくれれば、それでいいからさぁ』


――『は? なにそれ』


――『だから、ボクらは地球人がどうやって日々を過ごしているのかに、ものすごく、興味があるんだよ』



 *



 トリビーたちをミカン箱で運んだあと、母ちゃんが買い物から帰ってきて落胆したのを、ふと思い出していた。


「え、橋田さんとこに預けちゃったの? 残念~。一緒にご飯食べようと思って、ちょっと多めに買って来ちゃった」


 ぬいぐるみの宇宙人を、普通の客とおんなじようにもてなそうとしていた母ちゃん。この日の夕食、生寿司が八人前。普段なら大喜びするところだが、量も量だけに声も出ない。


「宇宙人一人につき、寿司二貫かなって、勝手に換算してたのよね。この季節足がはやいし、孝史、あんたどんどん食べなさい」


 腹が一杯になったってのに、無理矢理口の中にグイグイ寿司押し込まれて、泣きそうになりながら食べた。味はよかったんだよ。ただ、食欲なくて。

 食い切れない寿司、隣にお裾分けしてさ。

 最初から、そうすりゃよかったんだ。そしたら、俺の腹の具合が悪くなることもなかった。


 あんなに迷惑そうにしていた父ちゃんも、


「一週間ぐらいならウチで何とかしてやれたかも知れないが、人数が人数だしな……。孝史、お前の決断は納得できるものだと思うよ」


 トリビーにやられて家の中メチャクチャだったのに、どこか寂しそうに、ため息を漏らしていた。

 毎日家に帰って、玄関開けて『うわ!』って叫んでたんだもん、そりゃ、寂しくもなる。

 これからはアイスバーで眼鏡ベトベトにされることも、朝起きたら無精ヒゲが立派なあごヒゲになってることも、ない。名刺入れの中身がトリビーの似顔絵だったり、急な雨で差した傘にロケットが仕掛けてあって、空に飛んじゃったりすることも、ないんだ。



 *



 一体いつから、どのタイミングでそうなったのか、……今では全然思い出せないけど、トリビーは、俺たち家族にとってかけがえのない存在になってしまっていた。

 だからこそ、俺に内緒でトラブル収拾させてたことが、悔しくて、たまらない。


 俺の価値って、その程度のものだったのか?

 しょせん、たまたま世話になった、地球人の一人ってこと?

 俺のこと、色々かぎ回ってからやってきたクセに。よその家じゃ、まともに暴れることすら出来なかったクセに。

 バカヤロウバカヤロウバカヤロウバカヤロウ。

 宇宙人に振り回され、あたふたして、必死だったのは、俺だけだったって、そういうことじゃないか。



  *



「お前も、帰れよ」



 深夜零時、俺んちの庭に宇宙船が迎えに来た。

 どんよりと雲がかかったおかげで、心なしか夜風が涼しい。

 眩しい光に包まれて、キラキラと虹色の粒が降りてくる。この中に入れば、宇宙船に吸い込まれ、そのまま、さようならってことらしい。

 つかさたちも、絵理も、壮太も、橋田のおじさんおばさんも、狭い庭に集まって最後の別れを惜しんでいた。

 だけど、俺にはもう、かける言葉が見つからない。

 一方的に信用していたって思い始めたら、こんなに虚しいことが世の中にあるのかって、どんどん悔しさが広がって、昼前にみんなが公園からトリビーたちを連れてきてくれたときも、素直に「ありがとう」の言葉が出なかった。


「長い間、十分楽しんだんだろ。お前もさ。家族と一緒に、宇宙に帰れよ。そして、これから住むべき星を、ちゃんと、見つけるんだぞ」


 真っ昼間みたいな光の中で、俺は、笑うことも泣くことも出来なかった。顔がすっかり固まって、石ころみたいに冷たかった。

 トリビーの後ろで様子を見ていた緑キングたちは相変わらずのぬいぐるみだったけど、刺繍糸の目はどれもこれも寂しそうだ。一見すると本当にアレだ、UFOキャッチャーのぬいぐるみにしか思えない。ディズニーピクサーのアニメ映画が目の前で展開しているような、幻想的な光景でもある。

 ただ、とてつもなく邪魔で、うざったくて、理解不能だったけど。


「世話になった。タカシ君とやら、そして、そのご両親に、感謝したい。本当に、楽しめた」


 緑キングが一歩前に出て、お辞儀した。

 ムッキムキのハートのキングだ。驚愕だったぜ。


「本当に、素敵な星でしたわ。楽しい時間をありがとう」


 緑ドレス、なかなかに素敵なマダムだ。こっちこそ、ありがとう。

 そして、緑スーツ。トリビーの兄ちゃん。


「弟はこの星で、かけがえのないものを手に入れたに違いないと、私は思っています。出会った全ての人に感謝。あなたたちが良い人で本当に良かった。――この星を宇宙船から眺めていたときは、こんなにワクワクするようなことにたくさん出会えるとは、全く思っていなかった。原始文明はあなどれない。生の言葉や生の食べ物は、特に新鮮だった。進化しすぎた我々トリビー星人にとって、この星がどんなに感動を与えてくれたか、あなたたちにはわからないかも知れない。だけれど、本当に、本当に、楽しかった。些細なトラブルなど気にしてはいけない。そんなことで、経験が色あせるとは思わない。タカシ君、キミはもっと自信を持つべきだ。我々トリビー星人は少なくとも、キミとこの星で過ごした日々を、ずっと忘れない」


 ……ちくしょう、いいセリフ、言ってくれる。緑のスーツ着た、変なぬいぐるみのクセに。


 最後にトリビーが、すうっと俺の前に飛んできた。

 刺繍糸のつぶらな瞳で、俺のこと、じっと見つめてる。

 初めて現れた猛暑の夜、俺はてっきり、隣んちの絵理の仕業だって決めつけてた。そうさ、こんな喋るぬいぐるみが宇宙人なわけない。俺は常識的に考えて、絵理が俺を困らそうと変なぬいぐるみ作ったんだって、そう思ったんだ。

 だけど、中身は宇宙人で、どうやら宇宙船から秘密裏に俺たちのこと観察してて、コイツらトリビー星人とやらは、宇宙をさまよっているらしいことを知った。どこまでが本当なのか未だ不明だけれど、たぶん、永住の地を探してるってのはホントだ。

 俺たち地球人は、お前らにはどう見えたんだ?

 トリビーの口から、そのことについて語られることは、ついに無かった。


「『地球見学ツアー』楽しかった。この街の中しか見れなかったけど、この街のこと、いや、タカシ君ちの中で遊べたのが、一番楽しかった。この星の情報を得ようとするなら、電波をキャッチして分析すれば良いだけのことでしょ。そんなのばっか繰り返してても面白くない。ボクたちは触れたかったんだよ。この地球に」


 赤茶の刺繍糸が動いて声が聞こえてくる。この不思議光景にもすっかり慣れた。


「……最後に、教えてくれよ。何でお前、俺んちに来たんだよ」


 努めて平静を装おうと思ったけど、ダメだ。

 俺は、どうしても聞きたかった言葉を口にする。

 トリビーは無表情で俺を見つめ返した。


「タカシ君、多くを語りすぎると、別れが惜しくなるだけだよ」


 ニコッと、刺繍糸の口がVの字を作る。

 また、『だけ』かよ。

 俺は無意識に、トリビーの顔を睨み付けていた。


「孝史、最後のお別れにそういう顔は失礼じゃない。笑ってあげなよ」


 絵理が隣で注意する。

 でも、そんなの、知らねぇ。

 コイツが、本当のことを言わないから。

 俺は、お前の何で、お前は俺に、どんな感情を抱いてて、どういう気持ちで一緒にいたのか。――俺は、ずっと、知りたかったのに。お前が何も言わないから、こういう顔しか出来ないんだよ、トリビー。


「いいんだよ、エリちゃん。そんなことより、ふかふかで、ぷにぷにで気持ちよかったよ」


 ク……クソ宇宙人め、最後の最後までアレか、俺のことより、絵理の胸の感想か。


「あたしこそ、楽しかったよ。壮太も喜んでたし。元気でね」


「うん!」


 絵理にばっかりニコニコしやがって、コイツめ……。


 宇宙船からの光がいっそう強くなり、眩しすぎるくらい景色が白くなる。


 あの暑い日も、こうしてやってきたのか?

 いや、宇宙船から落っこちたのか?

 自分から落ちてきたのか?


 もう、そんなこと考える必要なんてないはずなのに、俺は白い光を浴びながら、あのむさ苦しい日々のことを思い出していた。

 そうだよ、もう、考えなくてもいい。ぬいぐるみみたいな変な宇宙人のことなんか、考える必要ない。俺の、平和な夏休みをぶちこわしにした、宇宙人とも、これでお別れだ。

 

 手でひさし作って、必死に目を凝らし、ヤツらが消えていくのを見ていた。

 白い光に吸い込まれるようにして、ヤツらは消えた。

 

 俺んちの庭に音と暗闇が戻っても、俺はしばらくの間、ヤツらの消えた空間をじっと見つめていた。

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