20◆いつもの夏休み……?

 発達した低気圧で大気が不安定になったとかなんとか、空はどんより曇ってて、湿った風が二階の俺の部屋にも入ってくる。

 夏休みもすっかり後半、宿題の山がどうなってるか考えたくもなくて放置状態。とりあえず、初日の提出分だけ体裁整ってればいいよねって、甘い考えでベッドでゴロ寝。さてさて、俺のグウダラ夏休みも、そろそろ終盤に差し掛かる。


 八月の頭から三週間近く、変な宇宙人に振り回されて苦しんだけど、いなくなってしまえばスッキリも良いところだ。

 俺はまた、二階の部屋で好きに過ごす。暑さにやられそうになったら、冷房オッケーになったリビングで、やっぱりダラダラ。

 昼飯は相も変わらず、サラダそうめん。今日は温玉トッピング。刻み海苔とゴマをかけると、結構うまいんだよね。毎日のそうめんも、こうして乗り切れば良いのだ。俺ってば、アッタマいい。

 昼ドラタイムは、ドロドロ恋愛ドラマ終わったから、母ちゃん、別チャンネルの韓ドラ見始めた。衣装の色合いがど派手で趣味が悪い上、画質も内容に合ってなくて、全然格式を感じない宮廷ものだぞ、面白いのか? 主婦の間で大流行だとか、世も末だ。

 夏休みの前半と決定的に違うのは、あの宇宙人が置いてった変な発電システム。どうやって設置したのかわからないが、軒下や屋根裏は絶対に他人に見せられない。

 この前、父ちゃんと二人で探検してみたら、見たことのない金属で作られた継ぎ目のない黒い箱のようなものがあちこちに置いてあった。


「これは、色々とやばそうだな」


 って、二人無言でうなずいて、母ちゃんには、


「ハイテクすぎたよ」


 くらい適当に報告しておいた。

 だって、見たことのない文字が刻んであるんだもん、怖くもなるよ。触らぬなんとかに祟りなしっていうし、見なかったことにした方が良い。

 それから、偶にリモコン無造作に触ると、やっぱり家の中で変化が起こる。動き出すようなことはないけど、無重力になってみたり、家電がしゃべり出したりする程度。これも、アイツがいた頃に比べりゃ、全然たいしたことはない。



 *



 俺も、父ちゃんも母ちゃんも、努めてトリビーのことは話さないようにしてた。

 ウチの家族だけじゃない、絵理も壮太も、橋田のおじさんおばさん、つかさ秀生しゅうせい勇大ゆうだいみのるも、みんなみんな、話題には触れなかった。

 トリビーとのお別れがあんなんだったから、きっとみんな気を遣ってんだろう。

 ほんのちょっとの間、俺の周囲を騒がせた宇宙人のことなんて、すぐに忘れてちまうはずなんだから、気なんか遣わなくったっていいのに。そんなにデリケートに見えるのかよ、俺。



 *



「結構、孝史って、引きずるタイプだよね。昔のこともネチネチさ。気にしなくても良いことまでずっと気にしてるじゃない?」 


 何で絵理がウチの食卓で一緒に昼飯食ってんのか、わけわかんないけど、これまた自然すぎるほど自然にサラダそうめんすすってる。


「そうなの。一人っ子だし、引っ込み思案だもん、仕方ないわよ」


 母ちゃんと絵理は、まるでホントの親子みたい。

 何でも、絵理は壮太の自由研究の邪魔になるからって、家から追い出されたんだとか。

 お前なら、邪魔しかねないもんな。橋田のおじさんおばさんも、これが最善の策とばかりにウチに寄越したわけか。

 絵理のヤツ、温玉の上にマヨネーズぎゅるぎゅる絞って、何書いてるんだと覗き込む。


「卵にマヨネーズは太るぞ」


「いいのいいの。それより見てよ、ホラ! 上手でしょ」


 茶色のめんつゆにぷかっと浮いた温玉、その上に書かれていたのは、あの、緑の宇宙人の顔だった。

 にへらっと笑って、こっちを見てる。


「うん、似てる」


「絵理ちゃん、上手ねぇ~」


 久しぶりのトリビーの話題に、三人とも顔がほころんだ。


「ねぇ、孝史。どうしてると思う?」


「何が」


「トリビーちゃんのことだよ。やっぱり、宇宙船であちこち巡ってるのかな。元気で、いるのかな」


 絵理はそう言って、深くため息をついた。

 マヨネーズのトリビーを、箸でぐちゃぐちゃっと崩し、卵を割る横顔は、俺よりずっと落胆しているように見えた。


「元気だろ。アイツ、へこたれなさそうな顔してたじゃん」


 詰まりそうな息を無理矢理吸って、俺はずるずるとそうめんをすする。

 そうめんに感動していた緑の宇宙人の顔が頭に浮かんで、『何食って生きてるんだろう』なんて、今の俺には関係の無いことをまた考えてしまう。


「孝史が一番、落ち込んでると思ってたけど。さよならも上手に言えないなんて、ホント、子供だよね」


 絵理め、いちいち突っかかる。

 これだから、幼馴染みってヤツは嫌なんだよ。知らなくて良いとこまでみんな知ってる。そうさ、余計なことまで全部覚えてて、俺に恨みでもあるのかってーの。


「ま、その、子供じみたところがいいんだけどさ」


 ……え?

 俺はそうめんくわえたまま、思わず顔を上げてしまう。

 なんか、言ったか?

 なんかなんか、言われた気がしたんだけど?


「いじり甲斐があって何よりって、言ったのよ。何期待してんの。バッカじゃない」


 予想通りに行かないのも、世の常ってか……あああ。


 と、くだらない会話をしていると、ふいにチャイムが鳴った。来客だ。


 母ちゃんがスッと立ち上がって、インターホンに出る。


「ちょっとお待ちくださいね」


 母ちゃんがいなくなったところを見計らい絵理は俺に、ヒソヒソ話を始めた。


「勇大のこと、許してやった?」


 何のことかと思えば、そんなことか。

 実は俺の頭から、すっかり抜けてしまっていた。勇大の兄ちゃんがオークションでトリビーたちを売ろうとしてたこと。


「許したも何も、終わったことだろ」


 今更許す許さない言われてもだな、どうにもならないことだってある。

 宇宙に帰っちまった宇宙人のことで、これ以上ゴタゴタするのは嫌だ。だから、あえて口をつぐんでるのに。

 絵理も絵理で、気になってたんだろうとは思うけど、今言わなくても……。


「終わったことって……、言うのは簡単だけどさ。――ねぇ、孝史、なんか聞こえない?」


 聞き耳を立てていたのか、母ちゃんと来客のいる玄関を、絵理が険しい顔して見つめている。


「何が聞こえるって?」


「聞き覚えのある声、しない?」


「は?」


「ね、よく、聞いてみてよ」


 しつこく言ってくる絵理に、俺はめんどくさそうに返事したが、そこまで言うならと、ちょっと席を立ってみた。

 リビングのドアの所まで来ると、はっきりと玄関の会話が聞こえてくる。確かに、聞き覚えのある声がする。


「誰が来てるのか、ちょっと見てよぅ」


「お前が見ればいいだろ」


「あんたね、ここ、あたしんちじゃないんだから、出てったらおかしいでしょうが」


 いつも常識外れな行動ばっかしてるクセに、こういうときだけ常識振りかざしてどうする。

 俺は、渋々リビングの扉をそっと開けた。用もないのに来客と顔合わせるのがどんだけ鬱か、わからんか。小学生じゃないんだからさぁ。空気読みたいんだよ、俺は。

 ゆっくり扉を開けて、せめて顔出さない程度に、誰が来ているのか確認しよう。

 インターホンにカメラ付いてりゃ、こんなことしなくても良かったのに、こういうときに困るんだよなぁ。って、滅多にこんな状況無いわけだけど。


「――近所なんですか。大変ですね、大勢でのお引っ越しは」


「そうなんです。ちょっと家が手狭ですし、小さいのもいますから、何かとご迷惑おかけするかも知れませんが、よろしくおねがいします」


 引っ越し……近所に、新しい人が来たのか。


「引っ越しだってよ」


 絵理にコソコソ耳打ち。


「わかってるわよ、それより、声。聞き覚えない?」


「声?」


 言われて耳をそばだてる。


「――えっと、全部で何人でしたっけ」


「二十四人です。兄や姉の世帯も一緒に引っ越すことになったので、隣同士の空き家を二軒借りることになりまして。佐名田さんにもお世話かけると思います。これ、つまらないものですけど……洗剤とタオルですが、使ってください」


「お気遣いありがとうございます。ウチには中学生の息子もいますし、お隣の橋田さんとこにも中学生の娘さんと小学生の息子さんがいますから、小さい子たちの相手、出来ると思いますよ」


「そうおっしゃっていただけると、助かります」


 普通の、引っ越しの挨拶にしか聞こえない。

 確かに、声は気になるよ。

 ちょっと鼻のかかったようなダミ声だし、人数……スゲー大家族だなとは思うけど。スゲー大家族……二十四人……、なんか、引っかかるな。

 ――っと、絵理の体重が、思いっきり俺の背に乗った。

 ギィッと音立ててリビングの扉が全開き、俺は絵理共々、廊下に投げ出された。


「ってーな! 重いんだよ!」


「支えなさいよ、この、貧弱!」


 重い絵理の身体を押しのけて体制整える。

 ああああ、こういうの、来客の前でするなんて、恥ずかしくて死にそう。


「何やってるのよ、あんたたち。ホラ、ついでだからご挨拶なさい。近所に引っ越してきた――何でしたっけ、名字」


「鳥部です」


「そう、鳥部さん」



 ……とりべさん。



 俺と絵理は、顔を見合わせた。

 今、確かに、そう、聞こえたけど?

 ガバッと玄関を見れば、緑のTシャツ着たスラッとした背の高い男性が一人。にこにこしながらこっちを見てる。

 その後ろには、センスの悪いこれまた緑色のアロハシャツムキムキ髭男爵、それから、緑のワンピースのマダムが。他に数人、いるみたいだけど、どいつもこいつも緑緑緑緑……。特に、髭男爵とマダムには見覚えがある。コイツは、この外人面は、どっかで見た気がするぞ。めちゃくちゃ、見覚えがあるぞ。


「トリビー!」


 絵理が叫んだ。

 え、ちょっと、ちょっと待って。意味がわからない。


「ね、あんた、トリビーでしょ?!」


 待てよ待てよ。目の前にいる、この男がトリビーだって?

 年の頃二十代後半、黒髪のさっぱり涼しそうな清潔感のある背の高いイケメン、この、めちゃ印象のいい好青年がトリビーだって言うのか?


「エリちゃん! 相変わらず、いいおっぱいしてるね!」


 ああああああ、あの、ダミ声!


「あら、そういえば、トリビーちゃんの声とおんなじね。後ろにいるのは、――あら、よく見たら、トリビーちゃんのお父さんお母さんに……あらやだ。全然気がつかなかったわ」


 母ちゃんが両手で顔隠して驚いた。そりゃ、さすがに驚くわ。


「ええええ?! ちょ、ちょっと待って、何がどうしたって? おま……この人がトリビーなわけないだろ? ヘルメットはどうしたよ!」


 トリビーと言えば、緑の服とともに、白ヘルメットがトレードマーク。

 なぜ原チャリ用の白ヘルメットを翻訳機にしていたのか、全く理解できないあのセンスはどこ行った?!

 うろたえる俺に、トリビーらしき好青年は、ニコッと笑いかけ、コレだよコレとばかりに自分の耳を指さした。


「補聴器っていう便利な物があるらしいから、ちょっと真似して作ってみたんだよね。隠れてて全然気がつかないでしょ。コレなら地球でも目立たない! タカシ君ちにいたとき、新聞の折り込み広告で見たんだよね。ヘルメットも捨てがたかったんだけど、なにせ目立つらしいからさぁ」


 ほ……補聴器……。

 確かに、目立たない、目立たないけど、お前らの緑色好きはどうにもならなかったというわけなのか、そうなのか。

 それにしても、宇宙に帰ってったんじゃなかったのかよ。

 これじゃ、ほとんど元通りじゃないか。しかも地球人の姿になって近所に引っ越しとか、わけわからん。ウチにいたときは母ちゃん洗脳してうまく取り入ったみたいだけど、こんだけ大勢で普通の街に溶け込めるかってーの。つくづく、全く理解できないヤツらだ。


「タカシ君が心配しなくても、ちゃーんと手を打ってあるから大丈夫だよぅ。ボクらの周囲数キロでは、ボクらトリビー星人のことを疑問に持たないように特殊電波流し続けてるからね。タカシ君には通じてないみたいだったけど」


「なにが、特殊電波だよ……って、オイ! お前、やっぱり、俺の心読めるんだろ?」


 すっかりペースにはめられた。

 コイツは間違いない、あのダミ声緑星人だ。

 イケメンに擬態してるだけで、あきらかにあの、トリビーだ。


「おっしえないよ~」


 って、ああ、イケメン顔であっかんべーするな! 何考えてんだ!

 ちくしょう、これじゃ、全部元通りじゃないか。

 俺の平和な日々はいずこ?

 こんがらがった頭じゃ、まともに考えることすら出来やしない。

 だからあのとき、イケメントリビーの後ろで、髭男爵とマダムがコソコソ、


「特殊電波なんて流してたかしら」


「また、適当なこと言っておるな」


 なんて言ってたことも、母ちゃんがトリビーたちに、


「またいつでも遊びに来てね。待ってるわよ。そうめん、ごちそうするから」


 なんて、約束してたことも、なーんも耳に入らなかった。



 *



 緑の服着た、人なつっこくて、迷惑で、どうしようもない宇宙人たち。

 コイツらはどうやら、地球での、とりわけ日本の、この、ものすごく暑苦しい街での生活が気に入ったらしい。

 今日もお気に入りの緑の服着て、地球人に擬態し、楽しそうに生活してる。

 コイツらが宇宙に帰るメドは立っていない。ぬいぐるみに擬態して売られかかったのも、ヤツらの中では一つの武勇伝になっているらしい。



 *



 そうそう、せっかく戻ってきたから、聞いてみたんだよ。


「お前さ、何で俺んちに来たわけ?」


 ヤツは、爽やかイケメン顔で、こう答えた。


「特に……意味は無いけど?」


 聞いただけ無駄だったな。うん。

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