3◇宇宙人の戯れ言

『緑の物体』と言うと、本人は怒る。

 人間ではないんだから、本人、というのはおかしい。ソイツ、アイツ、ヤツ、くらいが妥当だ。


 気持ちが落ち着いてから何度か触ってみたが、やはりフェルト地だ。

 ヤツ曰く、


「フェルト地は、可愛く見えるんだよ。えへ」


 また『えへ』などと、媚びを売っているつもりなのか。


 本当かどうか、確かめようもないが、宇宙からやってきたと、ヤツは言う。

 では宇宙のどの辺かと尋ねると、決まってヤツは、


「タカシ君のような低脳な地球人には理解できないくらい遠い、科学力の発展したところからだよ」


 どや顔で言うな。


 宇宙人なら宇宙船で来たんだろう。

 こんな住宅地の、特に際立った特徴もない家の、よりによって俺の部屋に深夜忍び込んだ理由はと、問い詰めたこともある。しかし、ヤツがまともに答えたことは一度もなかった。


 そう、たった一度だって、まともに受け答えしたことがあっただろうか。

 俺ばかりいつも振り回された。

 口から出るのは、壮大なホラ話ばかり。

 俺がそれを一瞬でも信じてしまうのが、どうやらヤツは楽しくて仕方ないようなのだ。……このあたり、どうも隣んちの絵理と同類のような気がするが。

 

 とにかく、トリビーと名乗った緑の物体は、全くもって意味不明、理解不能なヤツだった。



 *



 意味不明といえば、ヤツは出会った当初から、口癖のようにこう言っていた。


「タカシ君、ヒーローにしてあげようか」


「だだっ広い宇宙の中で、最強のヒーロー。かっこよくない?」


「デザイン画あるんだけど、選ぶ?」


 どこで何がどうなったら、ヒーローなんていう言葉が出てくるのか。

 最初の頃は、トリビーが一体どんなヤツなのか把握し切れてなかったこともあって、俺は律儀にも、いちいち丁寧に突っ込んでいた。


「あのさ、なんで俺がヒーローにならなきゃいけないわけ。このクソ暑いのに、何考えてんだよ」


 ヤツに考えなど、あるわけがなかった。


「え? なんでって、面白そうだから? だよ?」


 三段階で疑問符付けてきやがった。

 牛乳まみれになったベッドから、タオルケットとシーツ、ベッドパッドをはぎ取り、マットレスに除菌消臭スプレーをまんべんなくかけていた俺は、思わずヤツにもスプレーをかけた。

 周囲を金魚の糞みたいにつかず離れずくっついていたトリビーは、突然の攻撃に一瞬たじろいだようだったが、

“フェルト地だから、むしろスプレー歓迎”とばかりに、礼を言ってきた。

 手応えのなさに俺はイラッとし、思わずスプレー本体で何度か殴りかかろうとしたが、相手は正体不明の宇宙人、ふわりふわりと攻撃をかわす。暑苦しい室内は、牛乳臭さもあって、更にムッとし、動き回ったおかげで、俺はまた具合悪くなってしまう。


「うー、もういい。臭いが消えるまで、とりあえず、この部屋から出よう」


 日はすっかり高くなっていて、空には雲一つない。しつこすぎるくらい強烈な日差しが、容赦なく降り注いでいる。


 あの牛乳臭いマットレスを日光消毒できればありがたいんだが、あいにく重たくて持ち出せないし、家の中は暑さと一緒にむさ苦しさも同居していて、除菌どころか変な菌が大量発生してしまうんじゃないかと思ってしまう。

 盆地特有の全く動かない空気が、必要以上に気温を上げていくのだ。海辺のヤツにはわかるまい。



 *



 もうすぐ昼だ。

 起きがけに食卓を覗いたとき、


『孝史へ

 お母ちゃんは、某巨大ショッピングセンターに涼みに行ってきます。

 暑いのイヤだもん(ハート)

 昼には一旦戻るわね』


 という、緊急性のかけらもないメモが置いてあったのは確認した。

 四十もとっくに越えたのに、なにが(ハート)だ、アホかと毎回のように思うが、本人は「四十越えても、今は『女子』って言うのよ。プンプン」と、顔文字添えて怒ってくる。いい加減、現実を見て欲しい。母ちゃんの肌と髪は、既に女子を名乗るには衰えすぎていることを。……あ、腹も。

 開け放した窓から一切風の入ってこないリビングに来て、ソファに身をゆだねていると、やっぱりヤツはフラフラと俺の所にやってきて、こう言うのだ。


「ね、タカシ君。ヒーロー。興味あるでしょ?」


 刺繍糸の目がいやらしく笑っているように見える。


「興味ねぇよ。第一、なんで唐突にヒーローなの。まさかお前、『地球に危機が迫っている、君しか世界を救えないんだ』とか、『ボクは君と世界を救いたいんだ! 君にはその力がある』とか、言うんじゃねぇだろうな」


 ……身振り手振りで大げさに演技してしまったのが悪かった。


「タカシ君、演技上手い~~。役者志望ぉ~~?」


 トリビーに茶化された。

 心底ムカつく。


「うるせーな。で、なんなんだよ、ヒーローヒーローってよ。漫画じゃないんだから。今すぐにでもアレか、隕石でも衝突するのか、それとも、未知の生命体が地球を征服しようとでもしてるのか」


 トリビーの動きが止まる。

 ゆっくり降下し、ソファの前、木製ローテーブルの上にちょこんと立った。

 ニヤけた頬がきゅっと締まり、深刻そうな表情に。


「タカシ君、……いつか、言わなきゃいけないことだし、いずれ、わかっちゃうことだと思うんだけど」


 刺繍糸の目が、スススッと視線をわざとらしく逸らした。


「この星には、君たち地球人が言うところの、未知の生命体が、既に多く飛来しているんだよ。奇病が流行したり、地殻変動が起こったり、異常気象が続いたり、そういうときには大抵、地球外生命体が絡んでる。太陽系に原始文明の星があることは、ずっと前から知られていた。どうやって文明が発展していくのか、実験場として最適な場所でもあった。だから、幾度となく様々な星から様々な生命体が、地球にやってきて、地球人と接触したり、地球環境に手を加えたりしてるわけ。今、地球は大気の汚染や、核の問題、異常気象が深刻化してる。宗教上の対立や種族間の紛争なんて、してる場合じゃないんだ。この広い宇宙に存在する多くの知的生命体は、地球という星に、異常なまでの興味を示している。このまま地球が、地球人たちのわがままで滅亡の道を辿るようになったとしたら、彼らはこぞってこの星にやってくるだろうね。それに、そうした生命体の多くは、地球人を実験動物としてしか価値のないものだと信じて疑わない。もし、彼らが地球へやってきたとしたら、どうなることか……」


「ど……どうなるんだ」


 俺は思わず、トリビーの話に聞き入ってしまう。

 生唾をゴクリとひとのみ、腕を組み、身体を前かがみにして、テーブルの上のぬいぐるみを凝視した。


「街は破壊し尽くされ、地球人という地球人が虐殺される恐れもある。当然、他の動物と同じように、地球人だって、何かの実験に利用されるはずだよ。そうなってしまう前に、この星にはヒーローは必要なんだ。地球外生命体と対抗できる、最強のヒーローが」


 キリッと、ヤツは緩い顔を引き締め、俺に熱い視線を送る。

 な、なんて唐突な、しかし、説得力がなくもない……話なんだ……。

 要約すれば、『いずれやってくる、宇宙人の襲来に備えてヒーローになれ』ということか。なるほど、なるほ……



「お前……さっき、『面白そうだから』って、言ってなかった?」


「うん。言った」


「地球外生命体と、戦う可能性って、本当にあるの?」


「知らない」


「てか、お前、ホントに地球外生命体?」


「うん」


「そーかー、そーかそーか」


 俺の両手は、目の前のぬいぐるみをわしづかみにしていた。

 ぎゅううと、力一杯締め付けると、まるで本物のぬいぐるみの綿が縮むように、ヤツの身体もぐにゃりと歪んだ。


「い~痛い~~。何すんだよぅ、タカシ君~」


「おう、いつでもヒーローになってやるぜ。まずは目の前の知的生命体をやっつけてやるわ。ハッハッハ」


 汗だくで、さっきまでやる気が全くなかったはずだが、なんか楽しい。楽しくなってきたぞ。


「どっかで聞いたような話をもっともらしく喋りやがって。あのな、地球を救うのはNASAか、アメリカ軍か、ハリウッド映画に任せておけばいいんだよ! 知らねぇのか、このポンコツ宇宙人めっ」


 ぞうきん絞る要領で、右に左にねじってやる。

 緑の宇宙人は、相変わらずのダミ声で、


「や~め~て~。虐待反対~~~~っ」


 と叫んでいる。

 緑のダミ声がリビングに響き渡った。

 もう、暑くてだるくてうざくて腹減って疲れて、散々だ。


「叫べ叫べ~~~~。叫べば誰かが助けてくれるとでも思ってんのか、この緑野郎っ。お前のせいで、こっちは昨日の夜から疲れてんだ。わかってんのか」


 悪人顔で、俺は気分良くぬいぐるみを上下左右に振り回していた。

 よりによって、このタイミングで、


「ただいま~。あら、孝史、トリビーちゃんと遊んでるの?」


 すっかり涼んで気分良く帰ってきた母ちゃんが、そこに。


「お母様~~~~。タカシ君が、ボクをいじめるんですぅ。助けてぇ~~~~」


 緑の宇宙人は、力の緩んだ俺の手からスルリと抜けて、母ちゃんの胸の中に飛び込んだ。

 何の違和感もなく、母ちゃんは母ちゃんで、トリビーをなでなでする。


「よしよし、いい子ね。孝史は暑くて八つ当たりしてるのよ。かわいそうに。今、ご飯作ってあげますからね」


 ……ちょいと待て。

 なんだこの光景。

 まさか……まさか……


「か、母ちゃん、トリビーのこと」


「トリビーちゃんがどうしたの」


「どうしたのじゃなくて」


 開いた口がふさがらない。

 目をパチパチさせて、母ちゃんと、トリビーの顔を交互に見た。その、なんと自然体なことか!


「可愛いぬいぐるみじゃない。ねぇ。お父さんも言ってたわよ、『ぬいぐるみが一匹増えたくらいで、食いぶちが極端に増えるわけじゃない、ここにいればいいじゃないか』って。宇宙船から落っこちて、困ってたのよね。かくまってあげるわよ。当然でしょ」


 そ……、そんな馬鹿な……。

 俺が寝てる間に、一体何があった。


 母ちゃんにぎゅーされたトリビーは、さも嬉しそうに胸の谷間に顔をうずめてスリスリしている。Aカップだぞ、おい。それで満足できるとは、恐るべし……! じゃなくて、既に俺の家族まで巻き込んでいたとは。

 もう、何とでもなれ。

 俺はがっくりと両肩を落とした。

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