5◇最凶タッグ誕生?!

「心臓が止まるかと思ったよ……。だって、ローンがまだ二十年残ってるんだ。てっきり、借金のカタに家ごと持って行かれたのかと」


 普通、そんな状況に陥ったとしても、家を全部持ってったりしないだろうが。冷静になれよ、父ちゃん……。

 数日間、放置プレイを食らった父ちゃんは、魂の抜けたような顔をしていた。酒の苦手な父ちゃんが、晩酌代わりに毎日楽しみにしている食後のオレンジジュースも、今日はなかなか喉を通らないようだ。

 いつもならすぐに食卓を離れるのだが、父ちゃんのあまりの落胆ぶりを放ってもおけず、俺は珍しく、一緒にジュースを飲むことにした。


「父ちゃんがトリビーのこと、許可したって言ってたけど、あれ、本当?」


「許可したというか何というか……。絵理ちゃんのイタズラだと思ってたんだよ、父さんは」


「だよなぁ……」


 父子二人で、同時にため息吐いた。両肘テーブルに載せて、頬杖付いて、同じ角度に背中丸めて。


「毎度毎度、絵理ちゃんにはやられたい放題じゃないか。今回も、その延長だと思って、つい、言っちゃったんだよな。適当に。『いいじゃないか』って」


 この一言で、父ちゃんは、お隣の橋田一家、つまり、絵理んちに寝泊まりする羽目に。

 これが、普通の家だったらまだいいんだけど、絵理んちは、とにかくめちゃくちゃ変わっていて……、大変なのだ。

 アニメ声のド変態な絵理を筆頭に、やたらと噂好きで、宣伝カーみたいな絵理の母ちゃん、豪快で身体もデカイ、超体育系の絵理の父ちゃん、それから、弟の壮太も最近絵理に似てきて、年上の俺に必要以上にちょっかい出すようになってきたし。

 あの家に、小心者で影の薄い父ちゃんが何日も居候していたなんて、魂削られるのもうなずける。


「あんなに橋田家にいじられるくらいなら、今流行のネットカフェか漫喫とやらで寝泊まりして過ごした方がマシだと何度も思ったんだが、財布の中身と相談すると、食事の確保だけで首が絞まりそうだったんだよ。背に腹は代えられず、断腸の思いでお世話になった。もう、あれ以上に辛いことは起きないだろうってくらい、辛い経験をしてしまったよ……」


 ああ、眼鏡の奥に見えるクマと、急に増えた白髪が、数日間の苦労をしっかり物語ってる。

 この状況でもしっかりと会社に行ってたんだから、父ちゃんは立派な社蓄だよ。


「携帯電話も通じないし、手がかりもない。まさか、宇宙人が根こそぎ自分の家を持ってったなんて、理解するのに時間がかかったよ。二人とも、無事で良かった」

 

 晩婚の父ちゃんは、年下の母ちゃんに苦労をかけまいと、どんなに辛いことがあっても弱音を吐かないようにしているそうなんだが、流石に今回は、限界を超えたらしい。むしろ、それが正常な反応だ。


 問題は母ちゃんの方。

 洗脳でもされてるのだろうか。トリビーのやることなすこと、なんでも許してしまう、あの神経……どうにかならんもんか。

 元々、楽天主義で、細かいことなど気にしない、なるようになれ、生きていれば色々あるものよという、超前向きな性格なんだが、トリビーが来てからというもの、更に拍車がかかってしまった。

 何事もなかったように数日、森の中、渓流のそばで電気もなく過ごしてしまったくらい、おかしなことになっている。


 あの、緑の宇宙人は危険だ。

 白いヘルメットの下、ニヤニヤと締まりのない顔に騙されてはいけない。

 どうにかして、早く追い出さなければ。


「ところで、絵理の母ちゃん、変な噂広めてないよね? おちおちコンビニにも行けないようなことになってなきゃ良いんだけど」


 晩ご飯の後片付けにいそしむ母ちゃんの背中と、その肩にちょこんと乗ったトリビーの後ろ姿を見ながら、父ちゃんに聞いた。

 グラスに入ったジュースを傾け、口にひと含み、ふぅと長いため息をついて、父ちゃんは言った。


「自信ない」


 ああ、どこか遠いところを見ている。

 聞いてはいけないことを聞いてしまったようだ。


「あの家に泊まって良かったと思ったのは、絵理ちゃんの胸のサイズが、ウチの母ちゃんを追い越したのを確認できたことくらいだよ。あとは、な――――――んにも、良いことなんて無かった」


「へぇ、そうなんだ。胸のサイズが……って、エエ?! と、父ちゃん、見たのか」


「た、たまたま、無造作に室内干してあったブラジャーのサイズが見えてしまったんだよ。橋田さんの奥さんは恰幅良いし、胸もデカイだろ。あの、ティーンエイジャー向けのスポーツブラ、間違いなく絵理ちゃんのだ。まだまだ大きくなるぞ」


 妄想が働く。

 確かに、絵理は可愛い。性格は最悪だが、いわゆる幼馴染みとしては、周囲に羨ましがられるくらいビジュアルが良い。本当に、あの両親と血が繋がってんのかと、疑いたくなるくらいだ。

 そうか、ウチの母ちゃんより胸がデカイのか。ってことは、Bカップ以上……。やべ、興奮してきた。水泳の授業の時は、見てもいなかった。なんて勿体ないことしてたんだ。

 男二人、良い気分で絵理の身体のラインを想像していると、ガラガラッとリビングの網戸が開いた。丁度、絵理んちに面した掃き出しの窓だ。


「おじさんおじさん、大変、パンツ忘れてたよ、パンツ!」


 ツインテールのアニメ声が、紺色のトランクス片手に無断で家に上がり込んできた。

 隣んちの幼馴染み、橋田絵理。

 まさか、ついさっきまでお前のブラジャーの話で盛り上がってたなんて、口が裂けても言えない。……が、無意識に目線は、Tシャツの胸部に集中してしまう。

 確かに、膨らんでおる。良い感じに。

 そうだろうそうだろうと、トランクス受け取りながら、父ちゃんが空気で訴える。俺は、ゴクリと生唾を飲んだ。


「いやぁ~、良かったよね。おじさん。おうちが帰ってきてさ。それにしても、どうやって家運んだの? クレーン? ヘリ?」


「知らねぇよ……って、あ! 俺のオレンジジュース!」


「いいじゃんいいじゃん。喉渇いてるの!」


 胸だけは大きくなったが、ノリは小学生の頃と変わらない。

 ハーフパンツにニーハイ、身体のラインにピッタリと沿ったTシャツなんかは、ある意味グッとくる格好なんだけど、首から上がな……問題なんだよ、絵理は。


「ぷっはーっ! いいねぇ。オレンジジュースは正義だ!」


「正義は良いけどさぁ~」


 俺は、空になったコップに、ジュースを注ぎながら、上目遣いで絵理を睨み付けた。


「お前の母ちゃん、また変な噂流してないだろうな」


「変な噂って?」


「とぼけんなよ。大抵、お前ら親子がこの界隈の噂の発信源だって、みんな知ってんだからな」


「噂も何も、日中は空っぽになった孝史んちの前で、井戸端会議してたみたいだけど」


 あ……ああ、想像できる。

 絵理の母ちゃん中心に、楽しそうに談笑するおばちゃんたちの群れが。

 考えなくても、何言われてるかすぐに想像できるくらい、ヤバイ事態になっていたか。

 注ぎ終わったジュースを飲もうと、グラスを持ち上げたところで、絵理が隣の椅子に腰掛け、


「おかわり、いた~きやぁ~す」


 またグラスをぶんどった。


「あっ、ちょ……、父ちゃん、グラス貸して」


 俺は父ちゃんの手元から、飲みかけのグラスを拝借し、今度こそとジュースを注ぎ足して、やっと口まで運ぶ。

 オレンジジュースは正義だ。うん。


「か、母さん、グラスもう一個……」


 父ちゃんが消え入りそうな声で言う。

 あ、しまった。父ちゃんを励ますつもりが、またどんよりさせてしまった。

 片付けの手を止め、母ちゃんが食器棚からグラスをひとつ、こっちに持ってくると、一緒に緑の野郎も肩に乗ったまま運ばれてきた。ヤツは、本物のぬいぐるみみたいに、じっとしてるようだ。一応、空気は読んでいるのかと思うと、俺はちょっとだけホッとして、肩の力が抜けた。


「絵理ちゃん、ウチのお父さんがお世話になっちゃって、申し訳なかったわね」


 社交辞令の挨拶をして、ペットボトルからジュースを注ぐ。

 すると、丁度絵理の目線の高さに、あの緑野郎が。



 ――二人の目が、合ってしまった。



 絵理は目をぱちくりさせ、


「おばさん、その肩に乗ってるぬいぐるみ、なんてキャラ?」


 母ちゃんはしばらく考えて、


「トリビーちゃんのこと?」


「へぇ、トリビーっていうんだ。マンガ? アニメ? ゲーム?」


「そ……そんなの、どうだっていいだろ。それより、余計な噂広めるなよ。あからさまに、俺んちの前で井戸端会議とか」


 俺は躍起になって、二人の会話を遮ろうとした。

 なのに、よりによって、一番声を発して欲しくないヤツが、ストンと、ダイニングテーブルの上に落ちてきたのだ。


「エリちゃん初めまして! ボク、トリビーだよ。タカシ君をいじりに、宇宙の彼方からやってきた宇宙人なんだ。えっへん!」


 ああ、また『えっへん』言った……。

 大げさに身振り手振り、コイツめ、フォローできないくらい自由に動きやがって。

 俺と父ちゃんは、しばらく石のように固まってしまった。

 どうリアクションしたらいいのか、隠そうにも、ごまかしようにも……。ご、ごまかそう! ごまかしてしまえ!


「こ、こういう機能が付いたぬいぐるみなんだよ。台詞の一部に、自分の名前入れられる……新作の、おもちゃ、おもちゃなんだ! 親戚の……な、何てったっけ、おもちゃメーカー勤務のさ」


「か、亀田さんか!」


「そ、そう、亀田さん、亀田さんに、試してみてって。モモモモ、モニターとかいうヤツだよ、ね、父ちゃん」


「あ、ああ、そうそう、モニターね、モニター。いいいいいい一週間試して感想をとか言ってたよな、な」


 俺と父ちゃんは、ふたりで、口裏あわせるように、必死に思いついたデタラメを口にしていた。

 ……完璧裏目に出たけど。

 父子そろって、嘘付くときに必要以上に早口になる、どもる、汗だくでオーバーリアクションとくりゃ、バレない方がおかしいわけで。

 絵理は、目を細くして、俺と父ちゃんを見比べ、


「な~~~~んか、おかしいわよね、二人とも」


 ……ハイ、それが正常な反応でございます。おかしいです。間違いないです。

 だからって、絵理、なんだその、絵に描いたような疑いの態度は。両手を腰に当てて前屈みにならないと、お前は人を疑えないのか。


「あれ、ウチに亀田さんなんて親戚いたかしら」


 母ちゃん……、空気読めよ。何きょとんとしてホントのこと喋ってんだよ。

 とか、言ってる場合じゃない。

 トリビーのヤツめ、ふわっと浮いて、ダイニングテーブルから離れ、絵理の眼前に……、行かせてたまるか!


 俺はガバッと立ち上がって、サッカーのゴールキーパーの如く、トリビーの進路を塞ごうとした。が、ヤツめ、またするっと俺の手を抜ける。こんちくしょうと、空中で弧を描くヤツの動きを封じるべく、右に左に、両手を伸ばした。

 肘に絵理の肩が当たり、


「何すんのよ、タコ!」


 罵倒されようが、うっかり注がれたばかりの父ちゃんのオレンジジュースをひっくり返し、


「孝史――ッ!」


 と、号泣されようが、母ちゃんのエプロンに手がかすめて、バランスを崩した母ちゃんが、父ちゃんの身体に突っ伏しようが、お構いなしにトリビーを追う、追う、追う。


「トリビー! まて、こんにゃろ!」


 ヤツめ、俺の手が届かないとでも思ってか!

 ふわりと天井付近まで上昇しやがったヤツを、俺はダイニングテーブルに足をかけ、ひょいっとジャンプ、華麗に掴め……なかった。着地失敗、足を踏み外して、背中から床に転げ、それでも諦めずに、リビングまで必死に追いかける。

 あっちもこっちも、上も下も関係なしに移動する宇宙人相手に、地球の引力に逆らえない俺はなすすべもない。


「ちっくしょー!」


 こっちは必死なのに、絵理は大笑い。


「スゴイスゴイ!! おじさん、アレ、ホントにおもちゃ? ラジコン式? 操作上手いねぇ、誰動かしてんの? まさか、自動じゃないよね?」


 ば……バカヤロウ、遊んでんじゃねぇよ!


「うぉりゃぁぁぁぁぁ!!!!」


 手づかみなどしている場合じゃない。動きを止めりゃ、何でもアリだとばかりに、俺は新聞を縦に丸めて筒を作り、バッサバッサと縦横無尽にくうを斬った。スカッスカッと、虚しい音が響き渡る。それでも俺は、必死だった。


「負けるかぁぁぁ!! うをぉぉぉぉ!!!!」


 すっかり夜のとばりが降りた静かな住宅街に、恥ずかしいほどデカイ叫び声がこだましているとも知らず、俺はリミッター外して動きまくっていた。そして、全身汗だくになった。

 暑い……暑い……、え、エアコン……。

 が、それどころじゃねぇぇぇぇ!!!!


「タカシ君~。いい加減あきらめなよ。いくら頑張っても、かすりもしないじゃん」


「う……うるへー……。勝つ……絶対勝ってやる……」


 途中から、俺はすっかり目的を忘れていた。

 トリビーを仕留めることだけに夢中になり、何のためにそうしようとしていたのか、肝心なことが抜けていたのだ。

 一階はメチャクチャになっていた。俺があちこち走り回ったり、新聞紙で叩きまくったりしたために、棚からモノは落ちるし、ゴミ箱はひっくり返るし。母ちゃんはやっとこさ体勢直して、


「やってくれたわねぇ」


 と大きくため息吐き、父ちゃんは曲がった眼鏡片手に、


「うう、フレームが」


 と半ベソ状態。

 肩で息するどころか、全身がぐったぐったで、これ以上動けそうにもなくなった俺は、バタンと、床の上で大の字になった。

 で、肝心のもう一人のことを、俺はすっかり忘れていたのだ。


「いやぁ、スゴイねぇ。おもちゃなの? 宇宙人? どっちでもいいや、とにかくスゴーイ!!」


 拍手の音で、目が覚めた。

 あ……あれ、俺は今、何をしていたんだ。

 確か、トリビーの存在を絵理に隠そうと……。

 ん?

 あれ?


「エリちゃんみたいな可愛い子に褒められると嬉しいです~。キャーッ」


 俺の真上を、緑のぬいぐるみが飛んでいる。俺は上半身起こして、ヤツの動きを追った。

 気色悪いダミ声で、絵理の胸にフラフラと頭から突っ込んでいく。

 バスンと音がして、絵理のBカップだかそれ以上だか知らんが、とにかく大きく膨らんだ胸に、トリビーの顔が埋もれた。胸に、顔が。胸に、胸に、胸に……


「可愛い~。ねぇ、ホントはどっち? まさか、宇宙人? 孝史の家消しちゃったのは、キミなの?」


「ハイ~。そうです。ボクです。ああ~、エリちゃんの胸は温かくて柔らかぁ~い。幸せぇ~」


 う、うううううううう、羨まし……じゃなくて、嘘だろ、この展開?! 

 ああ、ぐりぐりと更に顔を押しつけやがって、この緑野郎め!!

 両手で絵理に抱き上げられ、顔までスリスリと……、おまっ、何やって、ああ~、ほっぺにちゅーまでされてるじゃねぇか!


「孝史の所じゃなくてさ、ウチにおいでよ。ね~、面白そうだし。いいでしょ?」


「ど、どうしようかな。ちゅ……ちゅーいっぱいしてくれるなら、いいよ?」


 おいおい、どんな条件だよ。


「エエッ! ちゅーでいいの? するする、いっぱいする~~!!」


 ツインテールがぴょんぴょん揺れている。絵理の胸も一緒に揺れている。ぼよんぼよんと上下している。


「どうしよう、宇宙人だよ宇宙人! みんなに自慢しよ~っと!」


 じ、自慢など出来るような宇宙人ではないぞ、絵理……。


 散らかり放題のリビングダイニングをキレイにするのは、結局の所、俺の仕事で。

 棚の中に、本やら小物やら戻しつつ、床のジュースを拭いていると、父ちゃんが疲れた顔で手伝ってくれた。


「ウチでは手に負えない宇宙人を、絵理ちゃんが連れてってくれたんだ。感謝した方がいい」


 たまたま隣に住んでいる、超迷惑一家に、面倒ごとを押しつけることが出来ただけで、父ちゃんはちょっと嬉しいらしい。やっぱり、俺たちがいなかった数日間、よっぽど辛かったんだなぁ。


「久しぶりに、我が家でゆっくり眠れるじゃないか。それだけで、十分だよ」


 曲がったままの眼鏡をかけた父ちゃんは、そういって、小さく微笑んでいた。

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