8◆止まれ!

 俺んち……このロボットは、端から見れば、東京上空を目的無く飛び回ってる、不気味な物体にしか見えないはずだ。

 しかも、操縦してるのは、乗組員……ロボットの中に閉じ込められてる俺たちじゃない、隣んちの壮太だ。小学生が無邪気に、空飛ぶロボットで遊んでいるだけなのだ。

 テレビから流れてくる音声によれば、自衛隊からこのロボに対し、『直ちに東京上空から離れるように』『安全な場所への着陸を』という勧告が、繰り返し行われているようだ。だが、肝心の俺たちは、応答のしようもない。応答できたとしても、壮太を止めることが出来なければ、意味が無い。

 リモコン見つけてさっさと動作停止させないと――下手したら、撃墜される。撃墜されるに違いないんだ。


 ホントは、俺が思ってるよりもずっとずっとヤバイ状態なんじゃないのか。

 考え出したら、手の平がじっとりとしめりだし、額から汗がダラダラとこぼれ落ちてくる。

 閉め切った雨戸のせいで、室内はかなりの高温になっていた。

 隣で母ちゃんも、ローテーブル挟んで床に座り込み、袖で汗を拭いながら、リモコンのボタンを押しまくってる。一応、状況は把握してくれているらしい。


 しかし、亜空間だか何だか知らないが、空調は何とかならないのかよ。このままだと、撃ち落とされる前に、熱射病で倒れちまう。


「エアコン……、エアコン、コンセント外れっぱなしなんだ。トリビー、お前、せめて繋いできてくんないか。見てるだけならさ」


 テーブルの上、リモコンと戯れているトリビーは、俺の言葉に、めんどくさそうに答えた。


「え~、なんでぇ~。自分でやれば良いじゃん」


 ……お前のせいでどんな目に遭ってるかわかってんのか。

 わなわなと震える唇を見ても、無視。どうやら、俺の言葉では動かないらしい。


「そうね、窓も開けられないし。この際、仕方ないと思うわ。トリビーちゃん、お願いできるかしら」


「わかりましたっ、お母様! そのかわり、あとで美味しいご飯よろしくお願いしまっす!」


「いいわよぉ~。ちゃんと元の場所に戻れたら、腕によりをかけてあげるわよ」


 あっそ、母ちゃんの言うことは聞くのね。飯に釣られて用事を足すとは、なんて現金な宇宙人だ。

 緑のぬいぐるみは、ふわわ~っと浮いて、脚立がないと届かないコンセントに、エアコンのプラグをぎゅっと差し込んだ。

 父ちゃんがエアコン禁止令を出して以来、久しぶりの稼働だ。 

 リモコンを手にした母ちゃんがエアコン本体に向けて電源ボタンを押すと、ピピッギューッと、低い音がした。エアコンが動き出しただけで、妙に感動的だ。今までの暑さに耐えた日々が走馬燈のように駆け巡っちゃったじゃないか。

 ところが、温度設定しようと、リモコンの『冷房』ボタンを押したとき――



 ギュワァァァァァン



 あれ、また変な音が。なんか、強そうな音だな。


「お、これは! ステルススイッチ!! お母様、やりますねぇ~」


 冷たい風が吹き出るのと一緒に、変な言葉が聞こえてきたが、気のせいか。


「ステルスって? ステンレスじゃなくて?」


 似てるけどだいぶ違うよ、母ちゃん……。


「今ので、ステルスモードが発動したみたい。よかったねぇ、タカシ君。マスコミや自衛隊のヘリから、このロボットが見えなくなったよ。おめでとー!! ぱちぱちぱちぱち」


 よ、よかったのか。

 不幸中の幸いなのか?

 てか、妙にタイミングよくないか……?

 クルクルッと必要ないのに体操選手みたいに技決めながら降りてくる緑野郎。テーブルの上に着地するやいなや、俺はヤツの身体をわし掴みにした。


「おい、お前、まさか……わざとじゃないよな」


「わ、わざとって何さ」


「しらばっくれんなよ。ホントは、どのリモコンにどの機能が~とか、そういう問題じゃなくて、リモコンを俺が集めてきて、手当たり次第押しているのを楽しんでるだけ、なんじゃないのか。お前がタイミングよく、妙な力でロボットに変形させたり、飛ばしたり、変な装置作動させたりしてるだけなんじゃないのかよ。ええ? どうなんだァ?」


 胸ぐら掴んで、しゃくり上げて、デカイ声出して威嚇する。が、ヤツにとっては何の抑止力にもならない。また、えへらえへらと笑ってやがる。


「そんなわけないでしょ~? ちゃんといろんなリモコンに、いろんな機能登録しておいたんだから。夜中にコソコソ動き回ったり、みんながいないうちに部屋に忍び込んだり、大変だったんだよ?」


「忍び込むなっ!」


 人間なら不法侵入で訴えたいところだが、緑の宇宙人では確かにどうしようもない。

 お、おのれ~~、この怒り、どうしてくれよう。

 緑の宇宙人に構っててどうにかなるならそうしたいところだが、今はこの家が元に戻るよう、頑張るしかない。俺はまた、リモコンチェックにいそしみ始めた。


 まんべんなく涼しい風がエアコンから吹き出してきて、スッと汗が引いた。それだけで身体が軽くなった気がする。

 これで、少しはリモコンのボタン押しもはかどるってもんだ。

 俺は、懐かしいスーパーファミコンのコントローラーを手に取った。元々、父ちゃんのモノだったが、俺がこっそり使っていた。そのまま黙認してくれて、小学生の頃は、偶に一緒に遊んだっけ。今はレトロゲー扱いだけど、昔、父ちゃんが学生だった頃は、これが最先端だったんだぞって、珍しく息を上げて話してくれたのを思い出す。

 俺がインドア派なのは、間違いなく父ちゃんの影響だ。スポーツも苦手だし、芸術面もさっぱり、取り柄なんて特になくて――だから、部活にも入らず、ぷらぷらしてるんだけど、父ちゃんはそれでも何も言わない。無理して何かすることが、必ずしも良いことじゃないんだぞって、あれは、自分に言い聞かせてるようにも思えたんだよな。

 しみじみ思い出に浸って、


「こういう、コードを本体に差すタイプのコントローラーも、もしかして、対象?」


 トリビーに聞くと、


「う~ん。忘れちゃったぁ。てへ」


 また『てへ』で誤魔化した。やっぱり、コレも確認した方が良いな。

 俺は何気なしに、『START』ボタンを押した。


 ――フッと照明が消える。

 そして、我が家にあるはずのない回旋灯が、壁からニョキニョキと顔を出し、室内を赤く染め始めた。


「な、なんだ?!」


 俺と母ちゃんは顔を上げて、周囲を見回す。

 赤い点滅は、俺たち母子の恐怖心をかき立てるには、十分過ぎた。

 警報までガンガン鳴って、軽いパニック状態もいいところだ。

 テレビ画面は、さっきからずっと東京上空を映し出している。ヘリの姿はまだあった。まさか、攻撃情報でも感知したのか。それとも、このロボそのものに何かが起きようとしているのか。


「トリビーちゃん、ねぇ、どうしたの、大丈夫なの?」


 すがるような目でトリビーの両手を握りしめる母ちゃん。


「おい、何の警報だよ、コレ。俺たちは、この家は一体、どうなるんだ」


 強い口調で怒鳴りつけたが、トリビーは母ちゃんと手を取り合い、見つめ合うばかりで反応なし。


『ワープ装置作動、十秒前……。十、九、八……』


 機械的な女性の声が、どこからともなく響いてきてこだまする。スピーカーまで、いつの間に設置してたんだよ。

 細かくガタガタ振動していた家も、急に動きを止める。

 とてつもなく嫌な予感。


「わ、ワープって、一体どこにワープする気なんだ」


 いや、それより、ワープ自体、出来るのか?

 トリビーが宇宙人だから何でもアリってことか? 

 まだ疑ってるのかと聞かれたら、多分そうだと答えてしまう――あの緑のぬいぐるみ、トリビーが、本当に地球よりずっと科学の進んだ星から来た宇宙人だなんて。確かに、フェルト地のぬいぐるみが喋ったり食ったり飛んだり跳ねたりするわきゃない。

 でも、だからって、いきなり何の前触れもなくワープって、一体全体どういうことだよ?!


『……三……二……一……ワープ、開始します』


 周囲からスッと音が消えた。

 家の外から終始聞こえていた、空気のこすれるような音も、警報も、母ちゃんの声も、俺の声も――見えない穴に吸い込まれるような、変な感覚。身体が浮く、エレベーターの下りで感じるような、それよりもっと強烈な、強制的な力が働いて、――俺の目の前が、暗転した。



 ――……どこに連れてかれたんだ……――

 ――……身体が軽い……もしかして、俺、死んでしまったのか……――


 ――……もっと、やりたいこと、あったのになぁ……――


 ――……なんで、こんな目に……――



 ――てか、あの宇宙人、トリビーが来なかったら、こんな目に遭うはず無かった。

 ヤツが元凶なんだよ、そんなの、とっくの昔にわかってる。

 でもさ、善良な市民に、宇宙人を撃退する手段があるはずもなく……気がつけば、やられたい放題。

 俺、何か悪いこと、した?

 何かしたから、報復でこうなった、とか? 

 思い当たることは――あるわけない。俺は普通の、何の変哲も無い、てか、目立った特徴すら無いただの中学生で、この夏休みを平和に過ごしたいと強く願っていた、それだけだ。

 別に、犯罪に手を染めたわけでも、誰かに恨まれるような恐ろしいことをしたわけでもない。

 なのに……おかしい、おかしすぎる。おかしすぎるだろ! 


「死んでないし、浮いてるし!!」


 目をカッと見開いた。

 そうだ、俺は生きてる。生きてるじゃないか。

 しかも、浮いているのは俺だけじゃない。テーブルも、椅子も、電化製品も、台所用品、ゴミまで、何から何まで浮きまくってる!

 よ……よりによって、母ちゃんのスカートの中身が俺の方を向いてるんだが、全然嬉しくないから、むしろ見たくないから。


「無重力だよぅ。ほら、タカシ君、泳いで泳いで」


 ああ、緑星人が、楽しそうに宙を平泳ぎしていく。

 そりゃ、俺だって平泳ぎぐらい出来るけどね、この場でしたいとは思わないよ。

 ん? 無重力? ……もしかして、ここは、


「宇宙、空間……?」


「当ったり~。今、重力発生装置切ってるから、無重力堪能してよ。ほら、宇宙飛行士になるの、大変なんでしょ、この星じゃ」


 スイスイ~っと、本当に楽しそうに、しかも、うまい具合にモノ避けながら泳がれても。


「てか、え? ちょいと待て。本当に宇宙にいるのか? そんな馬鹿な話……」

 

 そこまで言うと、トリビーは、あの刺繍糸の口をニヤッと横に広げて、高く右手を掲げた。ホンニャラホンニャラ、わけのわからん言語で話しながら。

 ピカッと、ヘルメットの上の黄色の球体が光り、掃き出し窓の雨戸がすう~っと上方向に開いていく。

 ちょっと前まで、隣の橋田家の屋根が見えていた窓――そこに、あったのは。



「マ……、マジか……」



 一面の星空と、真っ黒な空間に浮かぶ、巨大な青い球体だった。

 地球儀、青いビー玉、宝石……本当に、キレイな、とてつもなくキレイな星。


「本当に、宇宙に来ちゃったのねぇ」


 窓際で、母ちゃんが感慨深げにため息をついている。

 どこまで脳天気なんだ。いや、やっぱり、洗脳されているのかも知れない。それとも、おかしいのは俺なのか。この状況を楽しみたくないと必死に抵抗している、俺の方がおかしいのか。


「宇宙……かも、知れないけど」


「宇宙だよ」


 俺の気持ちなど知らずに、トリビーが間髪入れず口を挟んでくる。


「宇宙、なん、だろう、けど!」


 思わず、怒鳴り声を上げた。

 トリビーと母ちゃんは、びくっと肩をすくめて、俺の様子をじっと見ている。まるで、俺がこの場でこんな反応するのがおかしいって、言わんばかりに、不機嫌そうな顔をして。


「だから、だから何だってんだよ! 俺は、普通の日常に戻りたいんだ! こんな所に意味なく連れてこられて、喜ぶわけ無いだろ?! 何なの、一体、何の目的で、俺のことを変なことに巻き込んでくんだよ。俺の、俺んちの何をどうしたいのさ?! 早く……早く帰してくれよ。元通りに戻せよ!!」


 我慢の……限界だった。

 俺は緑のぬいぐるみの両手を思いっきり左右に引っ張って、ありったけの怒りをぶつけた。

 相変わらず手応えがない、フェルト製の腕。どんなに力を入れたって、俺の気持ちなんか伝わりようがないって、思い知らされるような、ふわふわとした血の気のない皮膚。

 どうしたら、わかってもらえるのか。どうすれば、俺は平穏な暮らしを取り戻せるのか。

 高ぶった感情と一緒に、涙がこみあげて、その水滴が、小さな星屑のように散っていく。無重力のせいか、思ったほど力が入らなくて、トリビーのことを殴ることも、投げ飛ばすことも出来ない。

 刺繍糸の目と口は、流石に俺の心を読み取ったのか、締まりの無い顔から、何だか寂しげな、シュンとした表情に変わり、……うなだれた。

 俺も一緒にうなだれて、背中丸めて、トリビーの手を離し、小さな子供みたいに、泣いてしまう。


「なあ、戻してくれよ……。帰りたいんだよ……」


 消え入りそうな声で、言うのが精一杯で。


「もっと、タカシ君と、遊びたかったのにな。残念。ゴメンね、君を悲しませようとしたわけじゃないんだよ。……そこだけ、わかってもらいたいんだけど……無理、だよね」


 トリビーの声も、ものすごく小さくて、元気がなかった。


「戻すよ、元通りに。本当に、ゴメン」


 こんな時、『トリビーちゃんは悪くないのよ』と言いそうな母ちゃんが、珍しく黙って、少し距離をとって見守っていた。やっぱり、どこか沈んだような顔で、だけど、コレでよかったのかもと、安心したような顔で。


「元に戻すのに、ちょっと時間かかるけど、いい?」


「いいよ。ただし、父ちゃんが帰ってくる時間までには何とかしろよ。また、家がないって隣んちに世話になんなきゃいけなくなるだろ」


「え、ちょっと、それ、間に合うかな」


「間に合わせろ。間に合わせないと怒る。父ちゃんの白髪が増える」


「増えるとダメなの。なんで?」


「なんでも」


「なんでもかぁ~。う~~~~ん。がんばってみる」


「がんばれよ。言われなくても」


 雨戸が半端に開いた掃き出しの窓から、地球と、月が見えた。

 壮大な宇宙の中に浮かび上がる、ボヤッとかすんだ地平線が、不思議と怒りを静めていく。

 家がロボになったり、飛んだり、消えたり、ワープしたり、やられたい放題だったけど、そんなこと、どうでも良いって思えるくらい、心が洗われていった。


「まぁ、よかったんじゃない。色々ありすぎたけど。こんなにキレイな地球を、ゆっくりと宇宙から眺めるなんて贅沢なこと、そうそう体験できないわよ」


 俺とトリビーのちょっと上で浮いていた母ちゃんが、ボソッと言った。


「うん。確かに」


 俺たち二人と一体は、しばらくの間、宇宙に浮いたロボットの中から、ずっと地球を見下ろしていた。

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