4 病葉若葉の危難 Vulnerability


 御伽社大阪支社、病葉わくらばの自室。

 病葉が天蓋付きベッドでぬいぐるみを抱えてごろごろしながらスマホを弄っていると、机の上に置かれた通信端末が着信音を発した。

「……なによ、折角のオフだってのに」

 のそのそとベッドから降りて、端末を手に取る。

「こちら病葉。どうしたのよメアリー」

『緊急事態です。大阪市中央区にて、未確認生物の出現を確認。直ちに急行してください』

「私今日オフなんだけど。未確認生物だかなんだか知らないけど、そこなら椋路むくみちがいるんじゃないの?」

『彼女は眷属との戦闘で安否不明です。救出部隊を向かわせましたが、道中で未確認生物の襲撃に遭遇し膠着こうちゃく状態が続いているとのこと。貴女には現場に急行していただき、未確認生物の撃退もしくは討伐に当たっていただきます』

『――宜しく頼むよ、病葉ちゃん』

「支社長」

 メアリーとの通信に、軽薄そうな男の声が割り込んでくる。

『ごめんね、今日オフなのに。休日出勤ってことで手当はちゃんとつけるから』

 声の主は、御伽社おとぎしゃ大阪支社支社長、賽河原さいがわら實將さねまさ。主に西日本を中心として魔法少女業務の運営を担う統括者だ。

「当たり前でしょう。この貸しは大きいですからね」

『うん、ありがとう。恩に着るよ』

 そう言い残して彼からの通信が切れる。

「まったく……」

『では早急に出動準備を』

「分かってるわよ」


 賽河原は温厚で無害そうな雰囲気を持つ初老の男だが、その実、合理性に基づいた状況判断に長けており、その手腕で以て支社長に任じられ多くの優秀な魔法少女を輩出した実績を持っている。

 元々は私立傭兵として世界中を飛び回っていたとか、米国の諜報機関に勤めていたとか、はたまたゲートボール元世界チャンピオンだとか、根も葉もない噂が流布されているが、彼自身を除いて真相を知る者は社内にはいない。

 ただ一つ確かなのは、彼は齢五百を超える亜人、エルフ族だということだ。肌はいつまでも若々しく、瞳には怜悧れいりな光が宿る。何よりも特筆すべきは、ヒトよりも長い耳である。なんでもその耳でヒトの可聴域外の音をも聞き分けているらしいが、これまた真偽は定かではない。


 ハンズフリーで具体的な座標、対象の外的特徴などを聞き出しつつ、病葉はクローゼットから戦闘装束を取り出す。

 着ていたミニドレスをベッドの上に放り投げて下着姿になると、衣装を身につけ髪をまとめて、姿見で自分の姿を確認する。

「よしっ」

 病葉は、白を基調とし、へそから下腹部にかけて菱形に切り抜かれて素肌が露出されたワンピースに、スパッツを着用していた。

 その場でくるりと回って何もおかしい所がないことを確認して、病葉は端末に告げる。

「準備オーケー。コードネーム、グレーテル、出ます」


 病葉若葉、魔法少女グレーテルは、端的に言えば自己愛の塊である。

 が、これは彼女が利己的であるということを意味しない。むしろ、利他的であるとさえ言えるだろう。何故なら、自己を愛するが故に、他者からも愛されて当然と考えているからだ。ここで言う愛とは、無条件なものではなく、自己顕示、自己表現への応答、承認を指す。その他者からの愛を獲得する為なら、自己犠牲すらもいとわない、それが病葉の本質だ。内外を問わず、常に自らが美しく在り愛されるよう志す、それが病葉の格率だ。

 であれば、病葉が魔法少女として戦う理由も自ずと判明する。これより数時間前の椋路との会話で彼女自身が言及していた通り、病葉は兵器である自身が人を救う為に死ぬことを美しいと考えている。病葉は、自らが美しく生き、また美しく死ぬ為に、魔法少女として戦うのだ。


 指示された場所に到着したグレーテルは、我が目を疑った。

 元の風景など影も形もない、かつての繁華を窺わせる瓦礫の山に、ではない。

 その中央に鎮座する、眷属やその他の生物とは似ても似つかぬ、狼のような姿をした、赤黒く巨大な異形にである。メアリーからおおよその外見については聞いていたが、実際に目にしての素直な所感は、甚だおぞましいというものだった。

「狼」ではなく「狼のような」と形容したのは、その生物が、一般的な四足歩行ではなく、発達した前腕を補助的に使用する二足歩行であったからだ。現在の統合された世界では、全身を体毛に覆われた直立二足歩行の獣、所謂いわゆる「獣人」は当たり前に存在しているが、グレーテルが目にしている"それ"は、その特徴に当て嵌まらなかった。

 獣人が人と獣の間を取る生き物なら、目の前の異形は、獣人と獣の間を取ったような、奇怪で奇妙な出で立ちをしていた。獣人のように理知的でありながら、獣のように獰猛。直感が「こいつは危険だ」と告げていた。


 狼の異形はグレーテルがその存在に気付くのと同時にゆっくり振り返り、ざっくりと裂けた口から呼気を漏らした。

「――ッ!」

 すぐさまグレーテルはその場から飛び退く。その四半秒後、彼女が立っていた地面に異形の鋭利な爪がめり込んだ。

 グレーテルは着地するとすぐに瓦礫の山に手をつける。

お兄様ヘンゼルッ!」

 すると瓦礫の山は独りでに宙へ浮き、身の丈五メートルはあろうかという岩人形ゴーレムに姿を変えた。

 グレーテルがヘンゼルと呼んだ岩人形は、鈍重な動きで狼の異形に歩み寄り、瓦礫でできた拳を大きく振りかぶった。

 勢いよく振り下ろされたそれは、異形に命中することは叶わず、みしっ、と何もない地面に亀裂を走らせた。

 異形はその隙にヘンゼルの背後に回り込み飛びかかる。触れただけで指がばらばらになってしまうようなナイフの如き牙を剥き出して、アスファルトをも容易く刺し貫く爪を食い込ませて、ヘンゼルの背中にしがみついた。彼は身体を大きく揺らして腕を振り回し、しがみつく異形を振り払わんとする。異形は低い唸り声をあげてその腕から逃れ、一旦距離を置く。

「ゥルルルルル……!」


 魔法少女グレーテルは人形使いだ。

 手に触れたものを人形として組み上げ、意のままに操ることができる。有から同等の有を生み出す彼女の魔法は、東京にいるという無から有を生み出す氷の魔法少女のそれに劣るよう思われるが、ある程度自律駆動する人形にしかできない仕事というのもある。その辺りは適材適所というやつだ。多少の制限はあるものの、素材さえあれば基本的に何度でも無尽蔵に造ることができるので、長期戦こそ彼女の本領であると言えよう。


 しかし今対峙しているこの異形(メアリーの言うところの未確認生物)は短期戦で決着をつけるタイプだろうと、グレーテルは冷静に分析する。

 自らが操るこの岩人形は、パワーや耐久性こそ並大抵の眷属に劣らないものの、スピード、敏捷性びんしょうせいにおいては一般人すらも下回るレベルだ。防御に関しては文字通り歯牙にもかけないだろうが、こちらの攻撃もまたあえなくかわされ、いずれ逃げられてしまうのが関の山だろう。そうなる前に、何か手を打たねばなるまい。


 そうこう考えている間にも、ヘンゼルと異形の攻防は続く。彼が一撃も加えられないのに対して、異形は着実にヘンゼルの身体を削り、穿ち、その趨勢を傾けつつあった。


 この異形が尋常の獣と同じ知能を持つのなら、現在戦闘している岩人形が破壊され次第、次の岩人形を造り出せば延々と戦い続けるだろうが、おそらく、そうはならない。

 異形は、ヘンゼルの頭部、頸部、或いは他の関節部分を執拗に攻撃し続けており、このことから、戦闘、特に人型とのそれに関するノウハウは一定程度会得していることが窺える。野生の勘などと言ってしまえばそれまでだが、戦場では楽観論に身を浸す人間から死ぬ。グレーテルは、悲観論に基づいて、異形の知能を最大限に見積もり、撃退かもしくは討伐に向けた作戦を立てる必要があった。


 ヘンゼル一人ではいたちごっこだ。そう判断し、グレーテルは奮闘するヘンゼルを見守りながら再び地面に掌を置いた。そして大きく息を吸い、叫ぶ。

「――お兄様ヘンゼル!」

 瞬く間に目の前の瓦礫が組み上がり、もう一体の岩人形が形成される。

 二人目のヘンゼルは一人目よりも細身で、手脚は長い。総合的な体積は一人目に劣るが、その分、敏捷性を増している。

 ヘンゼル弐は戦闘を繰り広げる異形と壱に駆けていき、後ろから異形を羽交い締めにした。

「!? ギャルルァオオオッ!」

 異形は身体を拘束されたことに気付くと即座に身体を捻り、ヘンゼル弐の腕から脱出する。次いで待ち構えていたヘンゼル壱の拳撃もあえなく躱されまたも空を切る。

「ああもうすばしこい!」

 グレーテルは歯噛みした。

 弐よりも更に軽量化した岩人形を形成することもできるが、それでは膂力りょりょくが犠牲になり異形に有効打を与えられない。かといってグレーテル自身が打って出るのは論外だ。彼女はひと通りの対人戦はこなせるが、自身の何倍もの体躯を持つ敵を相手取るのはゴーレムの領分と割り切っている。その代わりに、魔力増幅の鍛錬やゴーレム作成の時間短縮などに腐心してきた。

 ――何でもいい、何か状況を打開するようないい手は……。

 このままではやがてヘンゼル達も破壊され、グレーテルが的となる。その度にヘンゼルを作成していれば、いずれグレーテルの魔力が切れる。それではジリ貧だ。

 ――そうだ、ロートケプヒェン。あいつさえ見つかれば、なんとかなるかもしれない。

 グレーテルは辺りを見回す。が、それらしい影は見つからず、瓦礫ばかりが目に入る。


「グルルァオオオォッ!」

 めきょ、という歪な音と異形の唸り声を聞いてはっとする。

 気付けば異形は、ヘンゼル壱の頭を踏み潰し、力なく腕を垂れ下がらせたヘンゼル弐の首を咥え、次はお前がこうなる番だとでも言うように、真っ直ぐにグレーテルを見据えていた。

「やば……」

 針のような紅い瞳に射竦いすくめられ、グレーテルの背筋をぞわりと悪寒が走る。

 今からヘンゼルを再生成して間に合うだろうか? 駄目だ。五秒、いや三秒あれば構築できるが、その間に自分自身がお陀仏になってしまう。逃げるなど以ての外だ。自分は魔法少女なのだから。

 異形は動かなくなった岩人形を後方に投げ捨て、体勢を低くする。そして今にも飛びかからんと、その脚に力が込められる。

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