8-Ⅲ 毫釐の差は千里の謬り Between a Regret and an Impatience


 マッチ・セラーは立ちはだかる仔蜘蛛を燃やし尽くし蹴り飛ばし踏み潰し、片端から捕まった人々を解放していく。生きている者も死んでいる者も関係なく、その身体のどこかにみ傷があった。

 無限に思える魔力の元は捕食した人間だ。ならばそれを奪ってしまえば魔力の供給は絶たれる。

 一人なら市民の救助どころではなかったが、ロートケプヒェンがいるなら話は別だった。

「とはいえ、こっちに敵がいないわけではないか」

 仔蜘蛛が群がっている所を優先的に、次から次へと市民を解放していく。どうやら仔蜘蛛が多ければ多いほど、捕まった人が多いか、残っている部位が多い傾向にあるらしい。それも道理だろう。それでもマッチ・セラーは、大方食い尽くされて、腕一本しか残っていない者や、内臓を食い散らかされ皮だけになった者も回収していった。ある程度トリアージに則って救助しているが、だからといって屍者を救わなくていい理由にはならない。屍者の為だけではなく、遺族の為にも、彼女ら魔法少女は身体の一部や、装飾品だけでも “連れて” 帰る。

 勿論仔蜘蛛を排除することも忘れない。というより、市民を解放するに当たって戦闘は不可避だった。

「横糸は捕獲用、縦糸は移動用、だっけ」

 巣の粘ついた横糸を避け、頑丈な縦糸のみを選んで駆け回る。

 鎧袖一触がいしゅういっしょく。マッチ・セラーにとって、仔蜘蛛が束になって掛かってこようがさしたる脅威とはなりえなかった。これと同時に母蜘蛛も相手にせねばならなければ骨が折れたが、そちらはロートケプヒェンが担ってくれている。彼女ならば、多少の体格差などでは後れを取らないだろう。だからマッチ・セラーは、周囲に集まってくる仔蜘蛛も十把一絡じっぱひとからげに仕留めることに集中していればよかった。

 そうして敵兵力の五割を削り同時に市民も概ね解放し終え、マッチ・セラーは叫んだ。

「ロートケプヒェンッ! やっちまえ!」



 マッチ・セラーの合図を受け、ロートケプヒェンは喜色満面、くびきから解き放たれた猛獣のように地を蹴った。

「待ッッッてましたァ!」

 迷うことなく母蜘蛛の腹部に跳び乗り、チェーンソーを振り翳す。

 ギュイイイイイ! と柔らかい皮を切り裂き、チェーンソーの刃先が心臓、正確にはコアへと到達する。

 そこでようやく自らの危機を察知したのか、母蜘蛛が脚の折れるのも構わず刺突をロートケプヒェンに繰り出すが、もう遅い。

 ばきん、と高い音を立てて、母蜘蛛のコアが破壊される。

 一瞬遅れて母蜘蛛の身体がびくんと震え、どうと崩れ落ちた。


 離れた場所に着地したロートケプヒェンは、自らに駆け寄るマッチ・セラーとハイタッチを交わした。

「お疲れ様。でもなんで、一発でコアの位置を特定できたの?」

「あー、野生の勘、と言いたいところなんスけど、今回ばかりはちゃんと考えてましたよ。色んな所を攻撃して、その再生速度を見てました。コアから近く、また重要な器官ほど再生が速い。そこから逆算して、コアの大体の場所を割り出した、そういうわけッス」

 ほう、と思わずマッチ・セラーが感嘆の息を吐く。

 聞いてみれば簡単なことのように思えるが、その実、それを成し遂げられるのは世界広しといえどロートケプヒェンだけだろう。敵の攻撃を掻い潜り必要な箇所に攻撃できる俊敏性、正確性、また再生の速度をつぶさに観測する洞察力、どれも欠けてはならない能力だ。どれかに秀でた魔法少女は存在するだろうが、全てを兼ね備えた尤物ゆうぶつなどそうはいまい。

「初めてやったンスけど、案外できるもんスね」

「いや、あなただからこそ、だよ」

「そッスか? いやァ照れるなァ。途中で何回か軽くイッた甲斐がありましたよ」

「……前言撤回」

 そうだ、こいつはそういう奴だった、とマッチ・セラーは溜め息をつく。

 コアを破壊された母蜘蛛は超常の再生能力を奪われ、自重でぐずぐずと崩れていく。脚の末端から灰に変わり、風に吹かれて消えていく。しかしそれでも、無機質な複眼から彼女ら魔法少女への殺意が失せることはなく、もう動かない身体を無理矢理に動かそうとする姿は、勇猛を越えて滑稽ですらあった。

「ロートケプヒェン、とどめを」

 その母蜘蛛が憎くないと言ったら嘘になる。数多の人々を傷付け殺し、輝かしい未来を奪った罪過はそそがれることはない。

 しかし御伽社おとぎしゃ及び魔法少女の目的は平和の獲得であり、敵を甚振いたぶることではない。敵であれど、殺し殺される間柄ではあれど、不必要な苦痛は除かれて然るべきだ。

 ロートケプヒェンは、尚もぎちぎちと鳴く母蜘蛛に歩み寄り、腹部から露出され真っ二つになったコアに足を掛ける。

「あばよ。平和の為に、死んでくれ」

 ばきん! と、蜘蛛型眷属のコアが踏み砕かれ、一瞬にして身体が灰に変わった。



「…………」

 稲津いなづ上那かみなは、客も店員も避難して伽藍堂がらんどうになったカフェで、独り俯いていた。数分前に避難指示が出され慌ただしく逃げる人々をその網膜に映して、尚も微動だにしなかった。立てかけていた松葉杖が傍を走り抜けた人に倒されても、稲津は一瞥すらもくれなかった。

 まさしくこの世に独り残されたような心地だった。遠くから爆発音や衝撃がカフェを揺らす。それらは完全なる静寂よりもいっそう彼の孤独感を掻き立てた。何ものかの存在が稲津の存在を浮き彫りにし、どうしようもなく自分は独りなのだと思い知らされる。

「俺、は……」

 椋路に渡されたネックレスを握る。

 彼女の存在が、隻脚せっきゃくとなった稲津にとっての、生きる希望たりえた。仄暗ほのくら泥濘でいねいの中でうずくまっていた稲津に差し込んだ、一縷いちるの光だった。それをうしなってしまった今、彼は生きるということが何なのか分からなくなってしまった。

 このネックレスこそ、椋路むくみち柘榴ざくろという人間が存在していたという証左だ。しかし今となっては、椋路柘榴がいた事実すらも稲津にとっては危うかった。全て自分に都合のいい妄想ではないのか? このネックレスは元々自分の物で、それを彼女から譲られたものだと勝手に解釈しているだけなのではないのか? いや、そもそも、稲津上那は存在しているのか――?


「こんな所にいると、危ないよ?」


 突然の声にはっとして顔を上げると、誰もいないはずの向かいの席に(椋路が座っていた “と思われる” 席だ)、子供とも大人ともつかぬ歳頃の女性が座っていた。子供と言うにはその身体や身に纏う黒い紗はいやに煽情的で、大人と言うには顔立ちや表情が幼すぎた。

「君は……?」

 動揺を隠せないまま誰何する。眺めていたネックレスは、見られてはいけない気がして後ろ手に隠した。

「知らない方がいいと思うよ。ねぇ、どうしてここにいるの?」

「俺は……」

 そうだ、自分は何故ここにいるのだろう。椋路の帰りを待っているのか? さよならを告げられたのに? 本当にまた会えると思っているのか?

 ぐにゃりと視界が揺らぐ。目元から溢れ出した涙が、頬を濡らしていた。

「泣いてるの? 悲しいの? かわいそう。でも、あたしだったら、あんたを受け容れられる。最後まで、最期まで――あいしてあげられる」

 女はそう囁いて嫣然えんぜんと微笑み、そっと稲津の涙を拭った。

「だから、おいで。あたしには、あんたが必要なの」

 稲津は、女の手を取った。傷だらけの手だったが、気にならなかった。手だけではなく、顔には真一文字の傷が走っており、その他正視に耐えない傷痕が至る所に散見されたが、それも些末と感じられた。

 ただ、誰かを必要とし、誰かに必要とされるなら、もう何でもよかった。

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