8-Ⅱ 毫釐の差は千里の謬り Between a Regret and an Impatience


「……どういうことですか、柘榴ざくろさん」

 稲津いなづはカップを握り潰しそうなほど強ばった様子だった。

「俺の身体が、女だからですか」

「アホ、性別は関係ねェよ。言ったろ、人は兵器と交われねェ」

「でも……!」

「デモもテロもねェよ。アンタがあたしに関わると、危害が及ぶ可能性がある。だから、上那かみな、アンタを守る為に、あたしは訣別を告げる」

 今にもカップを落としそうな稲津を、椋路むくみちは直視することができなかった。正面から目を見据えて、厳然と話すべきだとは分かっている。しかし、彼女の中の片隅に存在する人間性が情に訴えかけるのか、そうすることができなかった。

「それは、柘榴さんにとっての俺が、他の人と全く変わりない民衆の一人だからですか」

「違う」

「俺が柘榴さんの傍にいると迷惑がかかるからですか」

「違う」

「柘榴さんが、俺のことを、嫌いだからですか」

「違う!」

 びくん、と稲津が肩を震わせる。

 思わず怒鳴ってしまい、はっとする。周囲の客も何事かとこちらに顔を向けていた。

「聞け、上那。あたしは、アンタを他人だなんて思っちゃいねェ。男だの女だのにかかずらうつもりもねェ。右脚があるとかないとかも関係ねェ」

 そこでひと呼吸置いて、椋路はしかと稲津の目を見る。

「兵器だの人間だのの話を抜きにすれば、あたしは、上那、アンタが好きだ」

 稲津が目を丸くする。

 椋路は(今度は別の理由で)耐えられなくなって、彼から目を逸らした。

「だからこそ、あたしのせいで死んでほしくねェんだよ」

 がしがしと頭を掻く。

「その、俺――」

 その時、椋路の懐の端末が着信音を発した。稲津は開きかけた口を噤んでいた。

「……ハイハイ、椋路」

『メアリーです』

「知ってるよ。用件は?」

『大阪市北区に眷属が出現しました。現在マッチ・セラーが戦闘中です。近くにいるのでしたら、至急、ロートケプヒェンも向かってください』

 ちらりと稲津の方を見る。

「……分かった」

 椋路は席を立って、パーカーのフードを被った。

「柘榴さん」

「悪りィな。そういうわけだ、行ってくる」

 そう言い残し、椋路は稲津を残してその場を立ち去ろうとしたが、ふと立ち止まる。

 椋路は首の後ろに手を回し、身につけていた弾丸の形のネックレスを外して、稲津に投げ渡す。

餞別せんべつだ、取っとけ。これで永遠に、さよならだ」

 そして今度こそ、踵を返してカフェを出た。彼女が振り返ることは、一度としてなかった。



 棒術にも長けたマッチ・セラーは、折れた道路標識を己が武器として振り回す。

 母蜘蛛の腹部は杙創よくそうを穿たれ、脚はこともなげにへし折られるが、一瞬だけ体液を噴き出すのみで、瞬く間に再生してしまう。彼女が現着するまでにどれほどの餌を食らったのか、蜘蛛の魔力は尽きる気色を一向に見せなかった。

 が、のみならず、彼女の足元や頭上からは仔蜘蛛が殺到し、母蜘蛛に報いるつもりなのか牙を突き立てようと迫る。

「あぁもう! きりがない!」

 マッチ・セラーは標識でアスファルトを擦り炎上させて壁を作り仔蜘蛛を阻む。またその間にも母蜘蛛の刺突をいなし、牽制し、迎撃する。

 潰せど燃やせど蜘蛛の仔は絶えず襲い来る。母蜘蛛は鋭利な脚で以て何度も彼女らを貫かんとする。

 マッチ・セラーは、対人戦において比肩しうる者の少ない猛者であることには違いないが、こういった多対少の戦闘では、その彼女の能力は十全に発揮されない。この場に制圧を得意とする魔法少女がいるのであれば些末な問題に終わるのだが、無いものねだりをしたところで詮ないことであるのは自明だった。


梃子摺てこずってるみたいッスね、セーンパイッ」


 攻めあぐねている戦況の中で、聞き慣れた声がマッチ・セラーの後ろから聞こえる。


 ギュイイイイイ、と唸りをあげる黒いチェーンソー、赤いパーカー、果実のように紅い切れ長の瞳と、不敵に歪められた鮫歯こうしの口元。

 ロートケプヒェンだった。


「柘榴、デートは……」

「フッた」

「は?」

「まァそんなことはいいから、前」


 ロートケプヒェンはマッチ・セラーの背後に接近していた仔蜘蛛を、上段からの振り下ろしで両断した。断面から体液が飛散して肌に付着するのも構わず、ロートケプヒェンはそのまま前方に駆けていく。

 彼女が向かうのはこの騒擾そうじょう首魁しゅかいたる、母蜘蛛だ。群がる仔蜘蛛には一瞥もくれず、ロートケプヒェンは跳躍し、空中で母蜘蛛の刺突をいなしながらチェーンソーを頭胸部に突き立てる。鎖によって駆動する刃が外殻を割り砕き、柔い内部をずたずたに切り裂いた。

 母蜘蛛は、体構造上自らの背中に伸ばすことができない脚を無理矢理に曲げ、根元からぼきぼきと折れるのも構わずロートケプヒェンを迎撃しようとする。

 横薙ぎに振り回された脚をロートケプヒェンは再び跳躍して回避、マッチ・セラーの傍に着地してチェーンソーの刃に付着した体液を振り払う。


「ほらほら、何ぼーっと突っ立ってンスか先輩!」

 マッチ・セラーははっとして、コンパスのように爪先を地面に擦りつけながら回転し、四方を取り囲もうとしていた仔蜘蛛を火の壁で阻んだ。

 刺し穿たれた部位を修復した母蜘蛛は、マッチ・セラーが生成した火の壁を無視して突貫する。

 マッチ・セラーは、紅炎を突き破って迫る刺突を蹴り上げてその勢いのままバク転して距離を置いた。


 この眷属は、最早生物の範疇を逸している。

 頭胸部にロートケプヒェンが乗った時も、自分が火の壁を作った時も、自らの肉体的損傷をいとわずに仕掛けてくる。

 通常の生物ならこうはいかない。何故なら、彼らは生存が第一の目的であり、自傷にも等しい行為はそれから最も遠いからである。

 捕食したものを糧に、ほぼ無尽蔵の魔力を惜しむことなく費す蜘蛛型眷属は、炉心を備えた兵器だ。

 もっとも、その兵器を討つ為に鋳造され存在するのが、魔法少女という兵器なのであるが。


 マッチ・セラーは、頭上の白糸の城から急襲してきた仔蜘蛛の頭を踏み潰すロートケプヒェンに叫んだ。

「このままじゃ埒が明かない! わたしはあいつの魔力の供給源を叩くから、あなたはあいつの相手をしてて!」

「なるほど、将を射んと欲すれば将と馬を射るわけか!」

「そういうこと!」

 ドゥルルル、とロートケプヒェンがチェーンソーのエンジンを駆動させ、同時にマッチ・セラーが火の壁を掻き消す。

 途端に母蜘蛛、仔蜘蛛が彼女らに殺到する。

「オラァッ!」

「せいッ!」

 ロートケプヒェンはすれ違いざまに母蜘蛛の腹部を両断し、マッチ・セラーは炎を纏った回し蹴りで仔蜘蛛複数を迎撃する。

 互いにそれ以上の言葉を交わすことはなく、ロートケプヒェンはその場に留まり、マッチ・セラーは天空の白城を焼失させる為高く跳び上がった。


 敵地の中央に立つロートケプヒェンに危機感はない。一騎当千の魔法少女たる自負、自身の指導役だった先輩マッチ・セラーへの信頼、幾多もの死線を潜り抜けた先にある戦闘への昂揚、それらが彼女の口元を吊り上げさせていた。

「能書きも肩慣らしも必要ねェ。さァ掛かってこい魑魅魍魎ちみもうりょう

 ロートケプヒェンはチェーンソーを母蜘蛛に向ける。

「いざ尋常に、死出の仕合と参ろうかァ!」

 ロートケプヒェンの姿が消え、立っていた場所のアスファルトが弾け飛ぶ。否、一瞬のうちにロートケプヒェンは母蜘蛛の目と鼻の先に肉迫していた。

 母蜘蛛の頭胸部を逆袈裟ぎゃくげさに斬り上げ、背後に着地して糸疣しゅうに刃先を捩じ込み、疾風の如く八本の脚を全て切断する。

 母蜘蛛は反応する暇もなく、身体の支えを失い地面に落下した。そして当然のように頭胸部、脚、糸疣が再生して、徐に立ち上がった。

「ふむ、なるほどねェ」

 ロートケプヒェンは背後から飛びかかる仔蜘蛛を裏拳で殴り飛ばし、腰を低くする。

「じゃあ、これはどうだ!」

 顔面に迫る刺突を頭を横に動かすことで躱し、頭から腹の先まで、一息に斬り開く。一瞬遅れて体液が溢れ出し、地面をぼたぼたと濡らす。

 背後に走り抜けて振り向くと、母蜘蛛は腹部中央の傷口から再生を開始し、そこを起点に頭胸部や腹部が縫合されるようにして再生を完了した。

「オーケーオーケー、大体分かった。じゃあ次!」

 再びチェーンソーを構え母蜘蛛に突撃する。今度は右第一脚、第二脚、そして身体の下を通って反対側に回り込み左第二脚、第一脚を切断する。

 母蜘蛛の身体の下から逃れ成果を確認する。バランスを崩し前のめりに倒れた母蜘蛛の脚は、左右ほぼ同時に再生する。が、やはり前後では左右共に第二脚の方が速い。

 次の一手で王手だ。

 ロートケプヒェンは舌舐めずりをして、チェーンソーを振り翳し駆け出した。

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