9-Ⅰ 黒山羊の愛撫 Wilderness; a Rouse and Hatred
しかし
「どういうことだ! どうして大事なうちの愛娘が死ななきゃならんのだ! 魔法少女というものがありながら! 誰の金で飯にありつけると思っている! この穀潰しめ!」
激昴した稲津の父親は、
「だから、まだ死んだとは限らないって言ってんじゃないスか。あたしら御伽社が全力を尽くして捜索に当たるんで、待っててください」
胸倉を掴まれても眉一つ動かさず椋路が言う。表面上は平静を保っているが、彼女の内心は悔恨で満たされていた。或いは、怒り狂う稲津の父親を前にして、かえって冷静になれたのかもしれない。
「それは当たり前だ! 私はうちの
椋路が渋面に歪む。
「そこまでにしていただけませんか」
後ろに控えていた
「稲津上那さんのご家族におかれましては、ご心中はお察し致します。ですが、我々は我々の企業理念を侮辱されて黙っていられるほど温厚ではありません。それ以上仰るなら、我々にも執るべき対処というものがございます」
賽河原の語調はいたって平坦で無機質なものだったが、それがかえって稲津の父親がたじろぐのを招いた。平坦且つ無機質、故に冷徹。合理性の鬼と呼ばれる賽河原がどうして世界平和維持機関である御伽社の一トップを任されているのか、それを知るには彼の声を聞くだけで充分だった。
が、稲津の父親も一度噛みついた手前引き退がれないのか、その賽河原に
「わ、私は民間人だぞ! 守るべき対象に武力を振り翳すのか! それに、あんたらに幾ら払ってやったと思っている! 寄付や補助金で成立している御伽社が、飼い主の手を噛むような真似をして許されると思っているのか!」
「一つ目の質問にお答えしましょう。勿論振り翳しません、守ります。善人なおもて往生を遂ぐ、
――果たして、貴方の言葉に正義は香りますかな?
そう言って、初老のエルフの男は、切れ長の目をいっそう細めた。口元は人を安心させる時のものと同じ笑みを浮かべていたが、そこには春一番のように柔和な暖かさはなく、木枯らしのように閑寂な冷たさが漂っていた。
何も言い返すことができなくなった稲津の両親が帰った後、椋路は恐る恐る賽河原に尋ねた。
「あの、『執るべき対処』って、なんスか」
「あー、あれね。特に考えてなかった」
「ブラフ……!?」
はっはっは、と賽河原は(今度こそ)優しく椋路に笑いかけた。
「いやはや、怖かったよ。でも大事な部下があそこまで言われて黙ってるのは我慢ならなくてね。ただ、我々の為すべきことは変わらない。稲津上那を始めとした行方不明者の捜索、厄災及びその軍勢の撃退または討伐だ」
賽河原はぽんと椋路の肩に手を置いた。
「君の活躍は十二分に拝見してるよ。椋路ちゃん、君は何も間違っちゃいない、
じゃ、他にもやらなきゃいけないことがあるから。と賽河原は部屋を出ていった。
椋路は、賽河原に内心の悔恨を見透かされていたような気がした。
後日、椋路は閉鎖区域内にいた。
通常、行方不明者の捜索は救助班に任じられるが、この時彼女は独断で御伽社を飛び出していた。救助班を信用していないというわけではない。ただ、彼女自身が自分を
しかし稲津を捜索するとはいっても、手掛かりなどなく、得意の “野生の勘” も機能せず(要はただの勘なのだが)、結局椋路は稲津の左脚を発見したカフェテリアに戻ってきていた。
(最後に稲津に会ったのはあたしで、つまり、あたしにもアイツがいなくなったことの責任はある)
稲津の父親に
椋路は稲津の脚を発見したテーブルに近付く。床は未だ血痕が掃除されておらず、それはどす黒く変色していた。
「…………」
もっと早く稲津と別れていれば、彼は行方を眩ませることはなかった。そう、彼と出会ったあの日の時点で関わりを断っていれば、稲津は右脚を
頭をがしがしと掻き
そんな時椋路は、テーブルの上にきらりと光る何かを見つけた。それが何なのかはすぐに分かった。椋路が稲津に渡した、ネックレスだった。
最後の別れに、せめて自分の形見として大事にしてくれればと渡した品が、今は主なき遺失物として放置されていた。
椋路はそれを手に取ろうとして――、
「――それの持ち主がどこにいるか、知りたい?」
重力が何倍にも跳ね上がったような感覚と、大きな舌で背筋を舐め上げられるような怖気と共に、 “それ” は
たった今顕れたのか、或いは椋路が気付くずっと前からそこにいたのかは判然としない。分かるのは、魔法少女たる椋路
油断していたとはいえ背後を取らせたことは
椋路はネックレスを取ろうとした体勢のまま、振り向かずに尋ねた。
「誰だ、アンタ」
背後でくすりと笑ったような気配がし、次の瞬間には、天井から女が生えてきていた。否、どういう理屈かは分からないが、天井に立っていた。
「なぁんだ。やっぱり
そう言って天井に立つ女は口元に手を当ててくすくすと笑う。
どうやら下手に動かず正解だったらしい。
地獄の業火を
目の前にいるのは、忌むべき世界の敵。自分達魔法少女が身命を賭して誅すべき存在。全ての始まりにして終わり。あらゆる愛憎を
「厄、災……!」
「そう。厄災ちゃんだよ」
にこりと笑った厄災の周りを、無数の黒い腕が取り囲む。かと思うと、それらの腕は椋路の頬を愛おしげに撫で、存在を確かめるように身体中を撫で回す。魔法少女の証左たる下腹部の紋様は、よりいっそう丹念に。
「ざくろが何をさがしてるのか、あたし知ってるよ」
厄災は今度はテーブルを挟んで椋路の正面に現れる。前屈みになって椋路を見上げる厄災の瞳は、椋路の汗も心音も、果ては狼狽をも見透かしているようだった。
背筋がぞわぞわと粟立つ。胃の内容物がせり上がってくる。 “これ” とまともにやり合う、それどころか、殺すだと? 無理だ。目の前に立たれなくても分かる。厄災を殺すのは、不可能だ。 “野生の勘” だのと
「かわいそうなあの子。あんたに捨てられなければ、もっとたくさんの愛を受け取ってもっと幸せになれた。けど、あんたはあの子を愛さなかった」
厄災が、椋路が手に取ろうとしていたネックレスを拾い、一通り眺めてからぺろりと舐める。唾液を滴らせたネックレスは、数秒後には真っ黒に錆びて、風化した。
「でも大丈夫。あたしが――、ちゃあんとあの子を
次の瞬間、風を切る音を遅らせて放たれた椋路の拳撃が、厄災の黒い腕に受け止められていた。微動だにしない。椋路に踏み込まれた床がばきりと亀裂を走らせるが、それだけだった。
「……テメェ」
「ふふ、どうしたの、ざくろ? あの子を捨てた時から、あの子はもうあんたのものじゃない。そしてそれをあたしが拾った。もうあの子はあたしのもの。誰にも、渡さない」
椋路の殺意を前にして、依然厄災は
「何の為にアイツを、上那を!」
「へぇ。かみな、っていうんだ、あの子。男の子みたい。けど、ちゃんと名前があるんだね。いいなぁ……」
厄災が虚空に目を移した隙に回し蹴りを放つが、それもあえなく受け止められる。どころか、椋路の脚に腕が絡みつき、やがて全身を
「――ねぇ、かみなに会ってみたい?」
椋路の動きを全く意に介さない厄災は、くるりとその場で回って微笑んだ。
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