11 彼女はそれを憶えている Amnesia → Anamnesis


 椋路むくみち柘榴ざくろは魔法少女である。性磊落らいらくにして竹を割ったような人柄、素行は悪いが成績が悪いというわけでもなく、要領はいい。戦闘のセンスは尋常の魔法少女を遥かに凌駕しており、経験面で劣るはずの先輩魔法少女に追随するレベルの眷属討伐数を記録している。殺人性愛エロトフォノフィリアであるという点を差し置いても、周囲の評して曰く「彼女はなるべくして魔法少女になった」。

 が、魔法少女としてではなく、それ以前、つまり人間としての椋路柘榴を知る者はごく一部である。

 そして椋路柘榴が彼女自身のことを知悉しているのかといえば、そうではない。その忘却が、何者かの作為による記憶隠蔽によるものなのか、心因性のストレスによる防衛機制によるものなのか、それさえも。


「…………」

 椋路はおもむろに瞼を開けた。

 白い天井、白い壁、白い床。極力色彩を排除したかのような部屋だった。

 ここがどこなのかは分からない。が、少なくとも椋路を害する類のものではないだろう。そう悟り、椋路は息を吐いた。

 視線を落とせば、自分は今、これもまた白いベッドに寝かされており、腕には点滴が打たれていた。パックの中は緑色の液体で満たされており、どうやら栄養と魔力が供給されているらしいことが分かった。

(……あたし、どうなったんだっけ)

 瞼を重くする微睡まどろみの残滓ざんしに抗いながらも、朧気な記憶の糸を手繰り寄せる。

 憶えているのは、稲津いなづを捜索していて、厄災に出会っ遭遇して、寝室のような部屋に連れて行かれて、自分が眷属であると知らされて――。

「――ッ!」

 ほとんど反射的に身を起こそうとして、がちん! という音と共にそれを阻まれる。掛け布団の下で、糸のように細い鎖が何重にも巻きつけられていた。

 こんな所で寝ている場合ではない。自分は眷属である以前に、魔法少女だ。眠りこけている暇があるなら、稲津を捜し出して、厄災と眷属を殺さなければならないというのに。

 がちん! がちん! と何度も拘束を引き千切ろうと試みるが、全く解ける気色は見えない。

 その時、部屋の扉が横にスライドして開き、男が現れた。

「や、椋路ちゃん。身体はどう?」

賽河原さいがわら、さん」

 椋路は、常と同じ調子で莞爾かんじと笑みを湛えた賽河原から目を逸らした。

「ごめんねぇ、行動したいのは山々だろうけど、そうもいかない事情ができたから」

 賽河原がベッドの傍のパイプ椅子に腰掛ける。

「事情……ッスか」

 鸚鵡おうむ返しにする椋路に賽河原がうんと頷く。

「君には幾つか訊かなきゃいけないことがある。その返答の如何によって、君の今後は大きく左右されるだろう」

 バスケットに入っていた林檎を取り出して皮を剥きながら、賽河原がちらりと椋路を一瞥する。

「単刀直入にいこう」

 賽河原は綺麗に六等分された林檎の一欠片を口に放り込んだ。

「君は眷属だ。それに間違いはないね?」

 椋路は首を縦に振った。

「よろしい。じゃあ、何故それを我々に明かさなかった?」

「…………」

 正直に知らなかったと言って、信じられるだろうか。椋路にさえ未だ信じられないというのに。グレーテルを襲い、無辜むこの人々を喰らったことを、そう容易く受け入れられはすまい。

「いや別に責めてるわけじゃないんだよ。まだそれを判断する段階じゃないからね」

 賽河原は依然として莞爾の笑みを崩さない。

「答えられない理由があるのなら、それはいい。強制はしない。ただ、いつかは答えてくれることを願ってる」

 よっこいしょ、と言って賽河原が立ち上がる。

「最後に一つ訊いてもいいかな」

 林檎をもう一欠片食べ、

「――君は、魔法少女か?」

 扉の開閉音。

 病室で独り、椋路は――。


 ――真っ白な部屋で、自らを問う。

 自己規定を行う。

 椋路柘榴は魔法少女だ。

 幾千の敵を屠り、幾万の人を救う、正義の代行者。握る拳に迷いはなく、振るう刃に惑いはない。かくあれかしと命じられるままに、自身に、他者に、命じられるままに人類を守る。魔法少女は、願いが形をなしたもの丶丶だ。

 椋路柘榴は眷属だ。

 理性はなく、ただひたすらに肉を裂き骨を断つ暴虐の徒。人倫と道徳にもとり、本能と衝動に、即ち人を殺し喰らうという魂の命令に従う。狂気ではない。野卑ではない。ある種の純粋な、天衣無縫な、己の格率、それに忠実であるというだけのことだ。眷属は、無垢なる邪悪が形をなしたもの丶丶だ。

 それらの重なり合う領域に、椋路柘榴は存在する。二律背反であるはずの魔法少女と眷属をその身の内に同居させてしまっている。両者の狭間で揺れる。此岸と彼岸を行き来するように、移ろうこの身はどうしようもなく不安定だ。

 自分という人間を定義するのは一体何なのだろうか。自己か、他者か、そのぜか。


「――下らないことに頭を悩ませている暇があるなら、お前はもっと周りに気を配るべきだ。違うか?」


 声。

 椋路が打たれたように顔を上げると、いつの間にか傍に見憶えのない男が立っていた。

 黒い祭服に、白い髪と肌。特に目を引くのは、頬や手の甲を覆う鱗と長い耳。

「そう鳩が豆鉄砲を食らったような顔をするな、柘榴。思念解読魔術だよ。この程度が誇り高き竜人にこなせずして何とする」

 もっとも、思考を隠そうとしている奴のものは読み取り辛いがな、と付け加えて、竜人の男はにやりと笑む。

「……無断で人サマの考えてることを覗き見るとか、プライバシーもクソもあったモンじゃねェな」

「はは、そう言ってくれるな。お前のたすけになるかと思ったんだよ」

「助けが欲しけりゃ自分で言うさ。すっこんでな」

「言うようになったじゃないか。お前を助けてやったのはどこの誰だと思っている」

「もしかして、アンタが」

「強ち間違いではない。と言っても腕を二本くれてやっただけだがな」

 腕を、二本。それはつまり、眷属である状態の椋路が彼を襲ったということか。途端に悔悟の念が彼女に吐き気を催させる。胃が蠕動ぜんどうし、内容物をせり上げる。手で口を押さえ、すんでのところで椋路はそれを押し留めた。

 しかし男の腕は二本共に健在であった。

「呆けるな。竜人を何だと思っている。腕の再生くらいできなんだら、とうの昔にこの命失せている」

 椋路の動揺を見透かしたように(実際見透かしたのであろう)、竜人が聖書を携えた腕をぐるぐると回して見せ、嘆息混じりに内心の疑念に答える。

「そもそもだ。俺がどういう人間かなど、わざわざお前に語るまでもなかろう」

「いや語れよ。自己紹介は大事だろ」

 そう返すと、竜人は少し目を丸くした。

「……何だお前、そのあたかも俺を知らないかのような物言いは」

「? 恰もも軽鴨もねェだろ。アンタの顔は初めて見るが、御伽社おとぎしゃの関係者か?」

「…………!」

 男の顔が歪んだ。苦虫を噛み潰したように、渋面を作った。

「どうした、蜥蜴男リザードマン。気分が悪りィなら一緒に寝るか?」

蜥蜴男リザードマンではない、竜人だ。……そうか、お前、憶えていないのか忘れたのかは分からんが、そうか、そういうこと丶丶丶丶丶丶か。確かにあの丶丶訣別を憶えていれば、そこまで飄々としている道理もないか」

 またも思念解読魔術とやらを行使したのか、竜人の顔に得心の色が浮かぶ。次いで、それは先程とは違う、牙を剥き出した獰猛な笑みに変わる。

「アンタ、何を言ってやがる」

「良いだろう。だったら、この俺が手ずから教えてやる。お前のうしなわれた過去を、血と慙愧ざんきに塗れたあの事件を」

 椋路の質問を無視してそう言うや否や、男は椋路の頭に手を伸ばし、爪の整えられたその指が額に触れた。


 奔流。

 渇望。忘我。衝動。悲鳴。血潮。飛沫。号哭。咀嚼。嚥下。充足。渇望。咆哮。怒罵どば。喧騒。拘束。抵抗。気絶。

 嘔吐。


 真白の布団が吐瀉物に塗れる。びちゃびちゃと音を立てて撒き散らされる半液状の肉を、竜人の男は無表情で眺めていた。胃液混じりのそれを口の端から垂らし、椋路は喘ぎながら言った。

「テ、メェ……あたしを、あたしの過去を、知ってんのか」

「知るも何も。俺は当事者だ」

 竜人は淡々と答える。

「お前の為を思って言うがな」

 男はそこでひと呼吸置いて、

ここ丶丶にお前の居場所はない」

 一切の欺瞞を感じさせず、竜人は椋路を見下ろしてそう言い放った。

「お前が起こした事件を思い出せ。俺が見せてやった過去を思い出せ。お前は害獣だ。存在そのものが人類に対する悪逆だ。お前がここにいる限り、ここの連中はお前に怯えることになるだろう。何せお前は人類を守る側ではなく、喰らう側なのだから。愛と平和を守るだのと世迷言に虚栄心を満たすくらいなら、もっと己の願望に正直にあるべきだ」

 椋路の考えていたことは一刀両断にされた。取舵か面舵かで懊悩おうのうしていた彼女は、寸分の躊躇いもなく断言された。

「……であれば、お前の衝動を鎮めてやることができ、またお前の衝動を解き放つことができる俺と共にあるというのは、甚だ合理的だとは思わないか?」

 男は両手を広げて演説するように語った。

「あたしの衝動を……鎮める? 解き放つ? そんなことができんのか? 具体的には一体どうやってだよ?」

「そう次から次へと矢継ぎ早に質問をするな。考えてもみろ。そもそもお前があの姿からその姿になったのはどういうきっかけだ? 俺の腕だ。卑俗な禿猿どもには毒にすらなりうる、高純度の魔力だ。お前はそれを喰らって鎮静化した。理性を取り戻した。ならば、俺さえお前の傍にいてやれば、お前の衝動は制御下に置かれたも同然ではないか」

「……けど、それは」

「そう遠慮するな。お前には俺が必要だ。俺がいなければお前は無辜の民を傷付ける。揺るぎのない事実を受け容れろ。俺はお前をゆるす」

 椋路は俯いた。

 魔法少女として在るのは彼女の信念だ。そしてそれを曲げずに貫き通して今まで生きてきた。だが、状況がそれを許さなくなった。人肉食衝動は突如として椋路の内側で膨れ上がり、歯止めは利かず、何がきっかけで再び人を襲うようになるかは分からない。人を襲うのは、彼女の理念に背く行為だ。それは本意ではないとはいえ、椋路は自身を守るべき人々から遠ざけ、被害を最小限にするよう試みるべきだ。

 確かにこの男の提案は合理的だ。暴走する椋路を鎮静化させたという実績があり、また彼が椋路によって負わされた傷はたちまちに恢復かいふくする。そして何より、彼はそれを承知している。このまま御伽社にい続けるよりは、そちらの方が傷付ける人間は少なく済むのではないか。

「はっきり言おう。俺と共に来い、柘榴」

「あたし、は……」

 俯いたまま掛け布団の下で拳を握る。この拳は人を傷付ける為ではなく、人を守る為にあるはずだ。いや、ある。であれば、椋路は何を選択すればいいのか――。


 翌朝、医療スタッフが椋路の点滴を替えに病室を訪れた時、部屋は既にもぬけの殻だった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

キルゼムオール;アズ・ア・ヒューマン 水ようかん @mzyukn0809

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ