10-Ⅱ 敵の敵は味方 Our Hostility is our Fraternity


 魔法少女グレーテルは恨んでいた。世界を滅ぼそうとする厄災を、それに与する眷属を。しかし何よりそれ以上に、脆弱極まりない自身の肉体や精神を恨んでいた。

 異形が赤黒い砲弾となって迫る。

 ――あぁ、またか。

 グレーテルは立ち竦むことしかできない。肉体の弱さ故に、精神の弱さ故に、彼女はまたこうして凶爪に苛まれる。

「――――っ」

 が、目を瞑ったグレーテルを襲う敵はいつまで経っても彼女に届くことはなかった。

「…………?」

 恐る恐る目を開ける。

 グレーテルを八つ裂きにするはずだった異形は、五メートルほど離れた場所で仰臥ぎょうがしていた。

 何者かによって吹き飛ばされたのだ、そう理解するのに時間はかからなかった。だが、誰が?

 異形が呻き声をあげて起き上がり、虚空を、いや、近くのビルの屋上を見据えて唸った。

 釣られてグレーテルも異形の視線を追う。


「……醜悪な。だがそれ故に美しい。骸たるお前は、ようやく俺の支配に値した」


 ビルの屋上で片膝を立てて朗々とそう言ったのは、黒い祭服を見に纏った竜人の男だった。

 顔の造りは普通の人間(ホモ・サピエンスとしての)と同じだが、白い肌、特に頬や手の甲に鱗を持っている。おそらく服の下の幾箇所にも同様の特徴が見られるだろう。にやりと尊大な性格を窺わせる笑みに椋路むくみちよりも鋭い犬歯が並んでいる。耳は長く、首には十字架のネックレスが掛けられている。鱗に覆われ爪の整えられた手には聖書を携えており、彼が聖職に就いているであろうことが窺えた。コスプレということもあるまいが、この場に闖入ちんにゅうしてくる時点でただの人間でもないだろう。

「なんだ、反撃はしてこないのか、獣? 奪い屠り喰らうことしか能のないお前が、ただ一つ赦された行いであろうに」

 異形を睥睨へいげいする謎の男。声は若々しく猛々しい。口元には軽蔑とも歓喜ともつかぬ笑みが浮かんでいる。異形が敵愾心てきがいしんを剥き出しているのにもどこ吹く風、グレーテルやマッチ・セラーのことなど見えていないかのように、彼は芝居がかった口調で語り続ける。

「否。お前は赦されてなどいない。永劫にそそがれることのない咎を背負わねばならない」

 竜人の男はおもむろに立ち上がり、一歩前へ踏み出した。足場などない。男の身体は引力に引っ張られ、固いアスファルトに肉迫する。だが地面に激突する直前、男の身体がふわりと減速し、緩やかな速度と共に地面に降り立つ。魔術を行使したのだ。

「グルァオオオッ」

 異形が男に跳びかかる。

 男は動じない。ただ、ポケットに突っ込んでいた右手を無造作に出して親指と人差し指を立て、それを異形の右眼に突きつけた。

 それだけだった。

 ばちぃん! と何かが弾ける音が響く。

 異形は仰け反り、蹈鞴たたらを踏んだ。よく見れば、異形の右眼が破裂、消失していた。

 異形は一瞬苦悶の表情を見せるが、次の瞬間には例の如く、ぼこぼこと異常な速度で分裂した細胞によって全くの元通りに恢復かいふくする。

 あの異形の再生能力には際限がない。厄災の呪詛によるものに加え、無辜むこの民を食らって得た魔力が半永久的な再生を可能にしているのだろう。

「そしてその咎こそが、お前をお前たらしめる証左に他ならない。殺せ。喰らえ。さすればお前に歓喜が訪れるだろう」

 男は異形に語りかけているようだったが、無論異形は貸す耳を持たない。爪を、牙を、その男の首筋に突き立てることこそが至上命令であるかのように。

 異形の猛攻は紙一重で躱され続けていた。異形の動きを逐一予測していなければ不可能な芸当だろう。

「俺を殺したいのか? 俺を喰らいたいのか? だが今のお前には無理だ」

 掠りもしない男に業を煮やしたのか、異形は唸り声を一つあげると、手近な軽自動車を掴んで男に向けて投擲した。

 が、当然の如くそれも躱される。承知の上なのか、命中の確認よりも先に異形は道路標識に前腕を伸ばしていた。

 破砕する投擲物、異形の咆哮、耳をろうせんばかりの轟音が場を埋め尽くす。

 暫くの間そうやって異形は辺りの物を手当たり次第に投げつけていたが、男が鼻歌を奏で始めたことに憤激したのか、遂に一トントラックをも持ち上げた。

 風を切る音。

 男が一つ前の瓦礫を避けた丁度その先に放たれたトラックは、地面と激突しひしゃげる。

 だが、

「はっ、先を読んだつもりか? 甘い。バンホーテンより甘い」

 トラックは円柱状にかれており、その中から男がハンカチで口元を覆いながら出てきた。

 その男の隙を異形が見逃す道理はない。トラックごと押し潰そうと高く跳躍し――、

「ッらあああああ!」

 宙空の異形の脇腹をマッチ・セラーが炎を纏った飛び蹴りで蹴り飛ばした。

 その裂帛れっぱくの如き大音声だいおんじょうがグレーテルを我に返らせた。立ち惚けている場合ではない。今は異形の狙いがあの男(目的は分からないが)に集中しているこの機に乗じるべきだ。

お兄様ヘンゼルッ!」

 呼びかけに応じてアスファルトから生じた岩人形ゴーレムが蹴り飛ばされた異形に追い打ちをかけようと迫る。対する異形はそれを視認することなく回避、ビルの壁を利用して跳躍し岩人形ゴーレムに飛びかかる。

 その間マッチ・セラーは竜人に、

「どこの誰かは知らないけど、どれだけ強くてもこれはわたし達の領分! 危ないから避難してて!」

 と促すが、

「はっ、禿猿風情が俺に危険を説くか!」

 竜人は聞く耳を持たない。

「いいから! こっちは仕事なの!」

「仕事とは何だ、似たもの同士で睨めっこするのがか!」

「睨めっこじゃない! あんたがあいつに襲われるのが危ないんじゃなくて、あんたがわたし達の巻き添えを食うのが危ないって言ってんの!」

「その言い方だとあれだぞ、お前らがやられる巻き添えを俺が食うことになるぞ」

「あーもううっさい! 黙ってすっこんでろ蜥蜴男リザードマン!」

蜥蜴男リザードマンだと!? お前の目は節穴か禿猿! 俺は! どこから! どう見ても! 由緒と血統と誇りある竜の如き者、竜人だろうが!」

「どっちでもいいっての! だからさっさと――」

 マッチ・セラーと竜人が喧々囂々けんけんごうごうの水掛け論をしている最中、岩人形ゴーレム達の包囲網を潜り抜けた異形が竜人の右腕を丸ごと食い千切っていた。

「あ……」

「ん……?」

 竜人の右腕の断面からじわりと赤い血が滲み出し、やがて奔流となってぼたぼたと滴り落ちる。

「はは、これは一本取られたということか、物理的に」

 少し身体のバランスを左に崩しながら竜人が笑う、そしてうしなわれたはずの右腕はぼこぼこと細胞を増殖させて瞬く間に再生する。当然祭服の袖は戻らない。日の元に晒された腕には、冒瀆的な髑髏の刺青タトゥが彫られていた。戦闘中の動きから分かっていたことだが、この者は体内魔力も尋常ではないらしい。魔法少女に匹敵するか、或いはそれ以上ということもあるだろう。

 竜人の右腕を食い千切った異形はそれを嚥下えんげし、再び竜人に向けて殺意を剥き出した。

「……お前こそすっこんでいた方がいいぞ禿猿。あいつは俺を狙っていて、俺はあいつを鎮める方法を知っている。お前らは蚊帳の外だ」

「なに当事者ぶってんの。あいつはわたし達の――」

 たおすべき敵だ、そう言おうとして、それを竜人が遮った。

「――仲間、とでも言いたいのか?」

「は?」

 マッチ・セラーが面食らう。

 仲間だと? 先刻の「似たもの同士」という発言といい、この男は魔法少女も眷属も元は同じ厄災の呪詛によるということを知っているのだろうか。

「なんだ知らなかったのか」

 嘆息しつつも竜人は迫る異形の爪を躱す。

 異形は岩人形ゴーレムの追撃をものともせず竜人への攻撃のみに専念している。不意討ちを狙おうにも、卓抜した敏捷性から繰り出される連撃に隙はなく、マッチ・セラーら魔法少女が最早眼中にないこと相まって苛立ちを増長させていた。

 竜人は狙いを一身に受けながら、

「聞いているぞ。あの後お前らに拾われ、飼われ、従順な狗に育てられ、破滅の道程を歩ませられているということを」

「……誰の話をしているの」

「頭の回転の遅い奴め」

 溜め息と共に放たれた防護魔術が異形の牙を弾く。


直截ちょくさいに教示してやろう、禿猿」


 異形の牙は防護魔術に亀裂を走らせ、その亀裂が全体に至った。


 ばきん! と魔術の盾が砕け散る。


「こいつはな、柘榴ざくろの “本当” の姿だよ」


 左腕を食い千切られながら、竜人は淡々と告げた。


 竜人の左腕を先程と同じように嚥下した異形は、前触れもなくどうと倒れ伏し、意識を失った椋路柘榴に変わっていた。

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