6-Ⅱ 自己言及のパラドクス She Asserts Herself Not to Be a Human, But...


 数日後、椋路むくみちが社内の喫煙ルームで煙草を吸っていると、帚木ははきぎがやって来てこう言った。

柘榴ざくろ。受付にお客さんが来てるらしいよ」

 帚木は懐から煙草を取り出し、火を点ける。

「え、あたしにッスか。アマゾンかな」

「何頼んだの」

「へへー、訊いちゃいます、それ?」

 椋路はにやりと笑みを浮かべた。

「やっぱいい。その下品な笑い方はきっと碌でもないのに決まってる」

「下品とは失礼な。野卑と言ってほしい」

「余計悪くなってない?」

「まァ、何も頼んじゃいないんスけどね」

「頼んでないんかい」

 ふぅー、と煙を吐き出し、椋路は短くなった煙草の火を揉み消す。そして喫煙ルームを出ようとした時、彼女を帚木が呼び止める。

「柘榴」

「はい?」

「メアリーに聞いたよ。昔のことを思い出して取り乱してたらしいね」

 振り向くと、帚木の顔に揶揄からかいの色は見られない。揶揄っているのなら椋路も同じように冗談で返せたが、こうも真剣な面持ちで見つめられると、いつもすらすらと出てくる冗句が喉元で引っかかって出てこなくなる。だから椋路は帚木が苦手だった。

「メアリーめ、後で拳骨だな」

「あなたの過去に何があったか詳しいことは知らないし、これからも首を突っ込むつもりはない。……けど、もし抱えきれなくなったら、その荷物をわたしや他の信頼できる人に分けることも考えなよ」

 敵わねェなァ、と口には出さず内心で零す。やはり帚木は苦手だ。

「へいへい、考えときますよ」

 椋路は手をひらひらと振って喫煙ルームを出た。


 メアリーを通して受付ロビーに行くと、ソファに座る少年の元に案内された。

 少年には右脚の膝から先がなく、傍らには松葉杖が立てかけてある。そしてその顔に、椋路は見憶えがあった。

「あたしに用があるってのは、アンタか?」

 声を掛けると、少年は顔を上げた。

「はい! えっと、先日助けていただいた、稲津いなづ上那かみなといいます!」

 今にも立ち上がって握手を求めそうな勢いの少年、稲津を手で制し、椋路はガラステーブルを挟んだ向かいのソファに腰掛けた。

 つられて稲津もソファに座り(と言うよりはバランスを崩して尻餅をつき)、視線をあちらこちらに彷徨わせながらこちらの様子を窺っていた。

 髪は痛々しいほどの金色で、顔つきは男性というよりは女性に近く、線の細さも相まって中性的であると言えた。黒を基調としたパンクファッションにシルバーアクセサリーを各所に身につけており、椋路には彼が男性らしさを意識した装いをしているように映った。

「んで、稲津くんとやら。ただお礼を言いに来たってふうじゃなさそうだけど」

 椋路が渋々会話を切り出すと、稲津は視線を椋路に真っ直ぐと向け、はきはきと話し始めた。

「はい! えっと、回りくどいのはあれなので、快刀乱麻……じゃない、刀……えーっと……」

「単刀直入か?」

 既にこの時点で回りくどさを感じているが、彼のプライドを傷付けぬようそこは黙っておく。

「それです! 回りくどいのはあれなので、タントーチョクニューに言おうと思います!」

 ――早よ言えや。

「椋路柘榴さん、俺は、あなたに一目惚れしました! あ、でも付き合ってくださいといきなり頼むほど烏滸おこがましくはありません! 友達からの付き合いからというか、えっと、まず俺とデートに行ってくれませんか!」

「…………はァ?」


 それから一時間が経過し、椋路と稲津は日本で最も有名な水族館、海遊館の前にいた。広場では大道芸人がパフォーマンスをしており、人集りができている。二人は入場券売り場に並んで大人二人分のチケットを購入し、入場ゲートの係員に渡して半券を受け取った。

 ここに来るまで二人の間に会話らしい会話はなかった。椋路は松葉杖の稲津に歩行のペースを合わせはするものの、「なんであたしはここに来たんだ」「なんであたしが気を遣って会話を振らにゃならんのだ」という思い交々こもごもから指の爪を眺めたり髪の毛先を弄ったりしており、稲津は緊張しているのか歩き方がぎこちなく、会話を始める余裕もなさそうだった。

「……あー、稲津くんよ」

「ひゃいっ!」

 色とりどりの熱帯魚をぼーっと眺めていた稲津が、肩をびくりと震わせて椋路に向き直った。

「いや、そんな緊張しなくてもいいよ」

 その言葉が逆効果だとは椋路は露も思わない。

「ちょっと気になったんだけど、あたしのどこがそんなに気に入ったんだ」

 率直な疑問をぶつけると、稲津は考える素振りも見せず即答した。

「椋路柘榴さんは俺を助けてくれました。その姿が凄くカッコよくて、スゲェなって思って、あなたのことしか考えられなくなりました。だからです」

 きらきらと純粋な感情を向けられ、椋路は少したじろいだ。

 今までの彼女にあったのは、魔法少女としての責務、戦闘への蕩尽、殺意と敵意の遣り取り、そういう類のものだ。だから椋路は、混じりけのない純然たる好意に、全く耐性がなかった。

「そっかァ~! カッコよかったかァ~、イケイケだったかァ~! しゃあねェ、今日は丸一日どこでも付き合ってやるよ!」

 つまり有り体に言えば、椋路柘榴はチョロかった。


 その後二人は水槽内を自由に泳ぎ回る海豚やライトに照らされて妖しく輝く海月などを見て回り、甚平鮫が泳ぐ大水槽の前のベンチで休憩することにした。

 椋路も稲津も暫く清掃スタッフの仕事を眺めていた。

「……稲津くん」

「なんですか、椋路柘榴さん」

「柘榴でいいよ、もしくは柘榴様」

「じゃあ、柘榴様」

「アホ、そっちは冗談だ」

「柘榴さん。俺も、上那って呼んでください」

「上那」

「はい。……へへ」

「んだよ」

「いえ、その、こうして柘榴さんと話ができるのが、夢みたいで」

 えへへへ、と稲津は緩んだ頬を手で押さえている。

「夢ェ? そりゃそうだ、何せあたし達は良い子の皆に夢と希望を振り撒く魔法少女だからな」

「えぇ、あなたは俺の希望です。右脚を失っても、こうして生きていられる。生きようと思える」

「…………」

 椋路は何事かを茶化そうとして、やめた。

「あの日、柘榴さんが俺の為に戦っていた後、病院に運ばれた俺は、落ちてきた瓦礫で潰れた右脚を切除しました。血管も筋繊維もずたずたで、元の通りに歩くのはほぼ不可能だろうって、そう言われました」

 稲津は、膝から先を失い包帯の巻かれた右脚を撫でる。

「この脚、今もまだ痛むんです。幻肢痛って言うらしいですね、あの時の感覚が時々蘇って、耐えられなくなるんです」

 椋路は視線を水槽に向けたまま、ただ稲津の話に耳を傾けていた。

「今まで当たり前にあったものが、もうない。それを実感すると、死にたくなります。けど、そうはしませんでした。柘榴さんに助けてもらったからです。柘榴さんは俺の生きる理由なんです。そしてできるなら、あなたと傍にい続けたい」

 あたしと似てるな、と椋路はなんとなく思った。

「……アンタは可愛い奴だよ、上那。まるで初めて見たものを親と認識する雛鳥みてェじゃねェか」

「可愛いなんて言わないでください、俺は男――」

「あたしは魔法少女だ。この身は既に人でなく、兵器だ。兵器は戦う為にあり、それが壊れるのはいつかは全く分からん、そういう職業だ」

 こちらに向き直る稲津を無視して、依然椋路は水槽を見続ける。水槽内では甚平鮫が悠然と遊泳していて、その真下を小判鮫が必死に追随していた。甚平鮫は小判鮫を意に介さない。

「だから上那、人であるアンタは、あたしの傍にいられない。アンタは人として、生き続けろ」

 人と兵器の間には峨々ががとした壁がある。共に歩むことはできない。ましてや、彼は脚を片方失っている。ただ……。

「柘榴さん、それでも俺は――っ」

「さてと、辛気臭せェ話は終わりだ」

 椋路はおもむろに立ち上がり、手を差し伸べた。

「あたしはアンタを気に入ったし、恋仲になるってのもやぶさかではねェが、無理な話だ、諦めろ。でもまァ、今日一日は、その『ごっこ』に付き合ってやるよ」

 稲津は何か言いたげだったが寸前でそれを呑み込み、椋路の手を取った。

 ――ただ、こうして手を取り合うことはできるかも、なんてな。


 翌朝、椋路が目覚めると、そこは見知らぬ部屋だった。

「ん……どこだここ……。頭痛てェ……水……」

 朧気な記憶を辿る。海遊館を出た後、デートにはおよそ似つかわしくない居酒屋に行って……それからどうしたんだったか。

 とりあえず身体を起こして、椋路は更なる異常に気付いた。

「あたし服着てねェし……。なんでだ……?」

 寝ている間に脱いでしまったのかと布団の中をまさぐる。

 むに。

「…………むに……?」

 布団を捲ると、椋路の傍には少年、稲津が眠っていて……稲津? 少年? ではこの柔らかい感触は何だ?

 がばっ! と布団を更に捲ると、彼の下半身には、本来男性にあるべきモノが、なかった。

「ふあぁ……あ、柘榴さん、おはようございます……」

 椋路が絶句していると、稲津が目を覚ました。

「おま、おまままま」

「柘榴さん、昨日の夜、身体は女でも心が男の俺を受け容れてくれたの、凄く嬉しかったです」

 身体が女で心が男トランスジェンダー!?

 ――あたし椋路柘榴、生涯で最も大きな過ちを犯してしまったようです。

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