7-Ⅱ 内省 The Reason why She Fights


「あたしがこないだ助けた少年、稲津いなづ上那かみなと駆け落ちしようと思ってる、って言ったら……?」


 椋路むくみちがそう言うと、賽河原さいがわらは暫く面食らったように目を丸くして、

「はっはっは、僕に挨拶もなしに駆け落ちだって? これはとんだ親不孝者に育ったものだ」

 と笑った。

「お父さん、あなたの娘は不良になってしまいました、ってか! あっはっは!」

 獣のようにすがめた目を緩め、椋路も笑う。


 一頻り笑い合ってから、賽河原はすっと表情を戻して、元の柔和な笑顔を浮かべた。

「ただまぁ、こないだは立場上ああ言ったけどね、個人的には、君達のこと応援してるんだよ」

「へ?」

 椋路は大口を開けて笑った状態で固まった。

「合理性と道徳は、究極的には相反するものだ。魔法少女は兵器か人か、それは各々の解釈に委ねるけど、僕自身は、欠くべからざる仲間、同志だと思ってる。その仲間が幸せを掴もうとしているのに、どうして邪魔ができようか」

 いや、だから立場上仕方なくそうしてるんだけどね、と賽河原は言う。


「椋路ちゃん、僕達の、いや、御伽社おとぎしゃの目的は何だと思う?」

「えっと、厄災の排除、ッスか」

 突然の質問に戸惑いながらも自分なりの答えを返す。

 賽河原は少し眉尻を下げた。

「うーん、当たらずとも遠からず。御伽社の理念は、人類の恒久的平和の実現だよ」

 臆面もなくきっぱりとそう言ってのけた賽河原に、椋路は思わず唖然とした。

 彼の言葉を理想論と唾棄するのは簡単だ。が、反対に、その平和を実現させるのは相当の困難を極める。それが分からない賽河原ではないだろうに、何の躊躇いもなく言い切ったのは、彼なりの算段があってのことなのだろうか。

 椋路が言えたことではないが、彼も彼で、どこに出しても恥ずかしくないロマンチストなのかもしれなかった。


「じゃあもう一つ質問。椋路ちゃん、君が戦う理由は、何?」

「あたし、は……」

 椋路は返答に窮した。

 稲津に出会う前であれば、ひとえに自分の為だと即答できただろう。いや、そういう生き方しか知らなかったと言うべきかもしれない。椋路柘榴ざくろは、魔法少女として生きることを当然のことと受け容れていた。

 しかし今はそうではない。違ってしまった。自分以外の存在の為に戦うこと、生きること、それらの選択肢を知覚してしまった。

「それで、いいんじゃないかな」

 賽河原は頷いた。

「存分に、時間をかけて、悩むといい。僕からすれば君はまだまだ若い。君がどうするかは君にしか決められないんだよ」

「……でも、アレじゃないッスか、もしほんとに駆け落ちしたとして、スキャンダルとかなりませんか」

 すると賽河原は今度はニヒルに笑った。

「ふっ、椋路ちゃん、それはいいんだよ」

 いいとはどういうことであろうか。スキャンダルがか? 椋路のみならず御伽社にとっても益とならないというのに?

 椋路が首を傾げていると、賽河原がジュースに突き刺さったストローを幾重にも折りながら言った。

「僕はね、昔っから、偉い人間は完全でなければならないって神話が大っ嫌いでね。一国の首相がちょっと言葉を間違えればやれ失言だ辞職だ、大学の教授が学生にちょっと踏み込んだことを訊けばやれアカハラだセクハラだ、教師が生徒をちょっと小突けばやれ体罰だ暴行だ、下賤の連中ほど権威の足を引っ張りたがる」

 何か思うところがあるのか、彼は折り曲げたストローを見ながらにして見えていないようだった。


 道頓堀での戦闘を想定した演習を行っている最中のグレーテルは、エンターテインメント性を求めた結果なのか、グリコの看板をゴーレムヘンゼルとして使役している。勿論耐久性に乏しく、すぐに敢えなく破壊されてしまったが。しかし子供達には大ウケらしかった。


「完璧な人間や組織なんて存在しない。我々はその不完全性故にこうして生を受けている。無謬性むびゅうせいだのなんだのは神様の領分だよ」

 賽河原はストローを折り畳んで広げてを繰り返す。

「だから我々御伽社も完全でなくとも良い。少しくらいの瑕疵かしはご愛嬌さ。なすべきことをなしさえすれば、誰も些事を掘り返して揚げ足を取って鬼の首を取ったように咎める必要はない」

「……賽河原さん」

「そういうわけで、椋路ちゃん、駆け落ちするなら、ちゃんと言ってからにしてね。こっちも退職の手続きとか色々あるし。なんなら二人の愛の巣もこちらで用意してもいい。だから――」

「賽河原さん、その面白れェ顔抜かれてますよ」

「――えっ?」


 椋路が指摘した通り、眉間に皺を寄せてストローを弄る初老の男が、何故か中継カメラにアップで撮られ、バックスクリーンに大きく表示されていた。しかも、その鬼気迫る表情に子供達が怯えることのないよう、クッキーを貪る小熊の口と耳がCGで付け足されている。

 どうやらいつの間にか病葉の演習が終わり、グラウンド整備と次の演習の準備の時間になっているらしかった。


「はは、これは恥ずかしいところをお見せしてしまった」

 照れたように笑い、賽河原はベンチを立つ。そして立ち去る間際、思い出したように振り返って、

「椋路ちゃん、さっきの話、本当に実行するならいつでも言ってね」

 と言い残していった。


 ベンチに独りになった椋路は、脚を組んで背もたれに腕を乗せ、グレーテルがまた観客に愛想を振り撒いているのを眺める。具体的には、彼女の露出された下腹部に刻まれた、魔法少女の証左たる紋様を。刺青タトゥのように象られた子宮に、チョコレートやロリポップなどの菓子が飾りつけられたその意匠を。

 そして自分のそれに目を落とす。同じく象られた子宮に、その上半分にフードを被せたような意匠。赤頭巾ロートケプヒェンの名に違わぬデザインだ。

 魔法少女のコードネームは、本社の隘路迷路あいろめいろ社長が自ら既存の御伽噺に準えて与えられる。なんでも、社名もそうだが、今の厄災との戦争を「めでたしめでたし」の御伽噺として終わらせる為に、そうしているらしい。この社には(椋路自身も含めて)ロマンチストしかいないのだろうか。

 椋路が初めてその隘路迷路社長に会った時、どう見ても大学生にしか思えず、御伽社は胡散臭い人事コンサルタントの会社なのかと訝しんでしまったほどだ(それは強ち間違いでもなかったが)。そしてまた、今の世界において、見た目年齢がその人を判断するにはあまりに心許ないことは周知の事実である。


 閑話休題。

 椋路は、自分が魔法少女として生き、魔法少女として死ぬことに迷いはない。しかし、魔法少女としてどう生きるか、人として生きるのか、兵器として生きるのか、彼女はその狭間で揺れ惑っていた。

 何が自分にとっての幸福なのだろう? これまでと同じように奔放に戦うことか? それとも稲津と共にいることか? ……これは賽河原の言うように、時間のかかる問いであろうことは確かだった。


 自分はどうしたいのか、どうすべきだと思っているのか、それを考えていると、病葉だけでなく帚木の出番も終わっており、次のプログラムに移ろうとしているところだった。

 椋路はとっくに空になったカップをベンチに置き、控室に戻っていった。

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