語られない物語~異界の天使たちによる異聞禄~
禅
第1話 そんな日常
高層ビルが立ち並ぶ大通りを様々な人々が歩いていく。ショーウインドーには流行の服や商品が並び、明るく街頭を飾っている。だが、人々はそんな華やかなものには関心がなく、ただ黙々と足を動かし、どこからか現れてどこかへと去っていく。
雑然とした街中で、ビルの壁面に設置されている画面では新商品を派手な演出で人気俳優が宣伝している映像が流れていた。明るくテンポが良い曲だが、誰一人として足を止めて画面を見る人はいない。そこに突然、画面が切り替わった。
爽やかな青い壁の前に椅子に座った女性アナウンサーがおり、淡々と臨時ニュースを読み上げていく。その内容は最近発生した連続誘拐、殺人事件の続報だった。
これには数人が足を止めて画面を見たが、すぐに興味なさそうに前を向いて歩き出した。
「最近は物騒になったな。昔はこんな事件なんてなかったのに」
誰かがポツリと呟いたが、それだけだった。呟きは枯れ葉のように舞い落ちて、人々の足音によって崩れていった。
明るく飾られたビル街のすぐ裏。さほど広くない裏路地に、その少年は立っていた。いや服装で少年だと判るだけで、顔立ちは少女にしか見えないほど美しく可愛らしい。
風になびくサラサラの淡い金髪に、長いまつげで縁どられた大きなムーンライトブルーの瞳。淡いピンク色の唇に、太陽を知らないかのような白い肌。まるで宗教画から抜け出てきたかのような姿だった。
「……そうか。この国にもいないか」
淡い金髪を揺らしながら少年は少し残念そうに言うと、ビルの隙間から見える青空に向かって手を軽く振った。
「あとはオレが片付けておくから、気にするな。もう、こんな奴らに捕まるんじゃないぞ」
少年が持つ大きな瞳の先には、空に浮かんだ半透明の少女の姿があった。ゆったりとした服と羽衣をまとった姿は天女を連想させる。
背後が透けて見える少女は、心配そうな顔で口を動かした。声は出ていないが少年は意味を理解したようで、安心させるように、にっこりと笑顔を向けた。
「オレは大丈夫だって。ほら、お迎えがきたぞ」
少年が指さした方には、少女と同じゆったりとした服に羽衣をまとった女性たちが慌てた様子で飛んできていた。その女性たちの姿に少女が安堵する。
「ほれ、さっさと行きな」
女性たちは少女を囲むと急ぐように上空へと引っ張った。少女は後ろ髪をひかれるように何度も振り返り、頭を下げながら女性たちと青空へと溶けていった。
「まったく。オレなんか気にせずに、さっさと帰ればいいのに」
軽く肩をすくめながら少年が振り返ると、足元には地べたに這いつくばっている男たちがいた。なんとか顔を上げようとするが見えない何かによって押さえつけられている。そんな男たちを囲むように六本の銀のナイフが地面に突き刺さっていた。
バチバチと小さな雷が弾けるような音を出すナイフを恨めしそうに睨みながら、男の一人が叫んだ。
「我々にこんなことをしてタダですむと思うなよ!仲間がもうじき来る!そうすれば、お前など……」
威勢がよかった男の声が途切れる。同時に何かが潰れた音と液体が飛び散る音が響いた。可愛らしい顔とは反対に、躊躇いのない行動とその光景に他の男たちが思わず息をのむ。
そんな男たちに少年が呆れたように言った。
「なんか勘違いしていないか?オレはあんたらの組織を潰しにきたの。タダですむとか、そういう問題じゃないんだよ。あんたら全員を殲滅することが今回のオレの仕事。今まで、あんたらの血を流さず動きを止めただけだったのも、とどめも刺さなかったのも、あの若い土地神がいたからってだけだ。血と死は不浄だからな。土地神になりたてなのに、そんなものは見せられないだろ?けど、もう自分の土地に帰ったからな」
そこで言葉を切ると少年は薄く笑った。
「やっと仕事ができる」
その日、裏社会の中でも闇に近いと言われていた組織が一つ消滅した。
とあるマンションの一室。椅子を囲むように複数のパソコンが並んでおり、画面には世界情勢のニュースや、常に細かく動き続けているグラフや流れ続けるプログラム言語など、様々な情報が映し出されていた。
整然と並んだパソコンに対して、室内は女性物の服がハンガーラックの上やベッドの端に無造作に投げられている。しかし、それ以外に化粧品やカバン、宝飾品などはなく、部屋を飾っている物もない。
そんな質素な部屋の主は、薄暗い中で椅子に座ったまま動くことなく、静かに画面を睨んでいた。
その容貌は少女という年齢は超えているが、肌艶は若々しくきめ細かい。切れ長の漆黒の瞳は光さえも飲み込むほどに黒いが、瞳自体が力強く輝いている。化粧はしていないのだが、それでも怪しい妖艶な色香が漂う美しい女性だった。
黙って椅子に座っていた女性は少しだけ眉をひそめると、苦々しそうに呟いた。
「かなり、こっちの世界に手を出してきているわね。こうなると、あとは時間稼ぎぐらいしかできなくなる……早く、早くあと一人を見つけないと……」
女性は細く長い人差し指を伸ばすと、パソコン画面の一つを綺麗な爪で弾いた。
「まったく。まともな情報もないのに七十億人の中から、たった一人を見つけ出せって、結構ひどい話よね」
そこで女性は小さく欠伸をした。ショートカットの黒髪を揺らしながら気怠そうに椅子から立ち上がる。
「まあ、焦っても、しょうがないわね。寝よ」
その一言で今までの緊迫した雰囲気はなくなり、造形の女神のように整った顔立ちから怠惰が漂う。眠そうに閉じかけた黒い瞳が女性の妖艶さに拍車をかける。
女性は部屋のすみにあるベッドまで歩くと携帯電話を枕元に投げた。そして、崩れ落ちるように自身もベッドに飛び込んだ。
「おやすみ」
ギシギシとスプリングが軋む音と共に、眠りに誘うような女性の魅惑的な声が室内に響いて消えた。
殺風景なほど小ざっぱりとした寝室に微かな寝息が響く。ベッドでは刀の刃のように鋭く輝く銀髪が薄いかけ布団から顔を出していた。顔の半分を枕にうずめているが、顔立ちは整っており瞳が閉じていても美形であることは疑いようがないほどだ。
その銀髪の青年は夢も見ないほどの深い眠りの中にいた。その深さは火事や地震がおきても目を覚まさないほどである。そんな青年を起こすには命がけで挑まなければならず、それは母親譲りの悪遺伝でもあった。
それだけ寝起きが悪い青年が、この数時間後に飛び起きることとなる。
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