第4話 隠れ里
紅葉に彩られた山々が連なる中、それは明らかに異質で目立つ存在だった。
四方を山に囲まれた盆地の中心に正方形に作られた塀があり、その中には百人以上が住めるであろう広大な屋敷と庭園があった。塀の角には高くそびえる物見やぐらがあり、出入り口となる門は南側にある塀の真ん中に一つあるだけだ。
塀の中は門を中心線として左右対称に平屋建ての日本家屋が数件建っており、東西の塀の近くには小さな川や池などの日本庭園がある。
そして、門から一番奥となる北側には周囲の建物より数段高い位置に、朱色の柱と白壁で造られた社があった。その背後には莫大な水量を誇る白滝が木々の合間から微かに見える。
周囲は山に囲まれており舗装された道路どころか、まともな道さえも見当たらない。人工的な気配が一切ない、むしろ大自然のど真ん中に突如現れたこの光景は、初めてこの場所を訪れた人に驚愕と疑念をもたらす。
だが、その考えも全ては〝龍神家の隠れ里〟というだけで一掃される。なんでもありの一族が住む里なのだから、これぐらい何でもないこととして済まされるのだ。
そんな一族が住む里を山頂から見下ろしている一人の青年がいた。
黒髪に茶髪が混じった特徴的な色をした髪は腰まで伸びているが、鬱陶しい感じはなく首元で一つにまとめている。黒い瞳は穏やかな眼差しをしているが、表情はどこか固い。服は襟付きのシャツにスラックスというラフな装いであり、この山々を登ってきたというには軽装すぎる。
そんな山とは不似合な姿の青年が、隠れ里を囲っている山の峰を見回しながら首を傾げた。
「……いつもより結界が弱いような気がする。紫依(しい)の力の影響か?それとも土地神様に何かあったのか?急いだほうが、いいかもしれないな」
青年は迷いなく右手をまっすぐ突き出すと、そこに見えない壁があるかのように手のひらを付けた。
「我が名は風真(ふうま)。龍神家の直系にて長(おさ)の孫なり」
風真と名乗った青年の右手を中心に景色が波打つ。その中に平然と風真が飛び込むと、背後の景色が一度だけ歪んで元通りになった。
「さてと、走るか」
呟くと同時に風真が走り出す。道とは言えない獣道を慣れた様子で飛ぶように突き進んでいった。
風真の頬に一筋の汗が流れた頃、眼前に高い塀と堅牢な門が姿を現した。樹齢千年以上の木を使って作られた門は、その重厚感からして近づく者を拒絶している。そんなネズミどころか虫一匹の侵入も拒む門が軽い音とともに内側から開いた。
思わぬ光景に風真が慌てて足を止めて近くの木の陰に隠れる。
そこに心地よい澄んだ声が響いた。
「お待ちしておりました、兄様」
その声に風真が慌てて木の陰から相手の確認をする。そこには着物を着た少女が一人で立っており、その姿に風真は慌てて飛び出した。
「紫依(しい)!こんなところに出てきてはいけない。もし本家以外の人間に姿を見られたら……」
風真の様子に門を開けた少女が無表情のまま小首を傾げる。まっすぐ伸びた濡れ羽色の髪が少女の腰で揺れ、同時に大きな深紅の瞳が無言のまま不思議そうに見つめてくる。
その様子に風真は大きく息を吐いて、穏やかな笑顔で頷いた。
「そうだね。紫依が他の人に見られるような動きをするわけがないか。お婆様……いや、長と、すぐに話せるかな?今晩のことで相談したいことがあるんだ」
「あ、あの、そのことですが、実は……」
言いにくそうに少女が深紅の瞳を伏せる。それだけで風真は少女が言いたいことを理解したようで、少女の頭に手を伸ばした。
「見て分かったよ。結界が破れかけたんだね」
そう言って安心させるように頭を撫でようとしたが、少女はさり気ない動きでその手を避けた。
今までにない少女の行動に風真は驚いて少女の顔を凝視する。だが、少女はそんな風真の感情に気づいておらず、小さくうつむいて説明をした。
「はい……今回は土地神様のおかげで抑えることができましたが、次はないと……」
「そうか……」
風真は安心させるように微笑みかけながら優しく声をかけた。
「大丈夫、心配することないよ。今晩は満月だから強い結界が張れる。そうすれば簡単に結界は破れない。紫依はいつも通りに生活できるよ」
「……そう……ですね。ありがとうございます」
少女は顔をあげて礼を言ったが、表情が乏しい。そもそも感情を表すことが少ないため、美しい外見と相まって人形のようでもある。
生きているはずなのに無機物のような雰囲気が漂う少女に風真は右手を差し出した。
「じゃあ、行こうか」
少女は差し出された手を見た後、顔を上げて兄の顔を見た。
少し彫りが深いが温和な顔立ちは見ていて自然と安らぐ。穏やかな黒い瞳は幼い頃から変わらず優しく自分を見守ってくれていた。
少女はどこか嬉しそうに頷きながら兄の手を握った。
「はい」
風真は妹が自分の手をとってくれたこと、そして変わらない温もりに安堵した。
少女は自分では気づいていないが、他人に触れられることを無意識に回避する。それが自衛のためなのか、強すぎる自身の力で相手を傷つけないためなのか、それは分からない。
だが、こうして触れてくれる間は他人ではない。心を許し、認めている証拠だ。
それでも、先ほど頭を撫でようとして避けられた事実は風真の心に響いた。少女はもちろん無意識なのだが。いや、無意識だからこそ辛いものもある。
風真が感傷に浸っていると、少女が少し緊張した声で囁いた。
「……兄様、誰かが結界を超えたようです」
突然、出現した思わぬ邪魔者に風真は内心で眉をひそめながらも、顔は穏やかに微笑んだまま周囲の山を見回した。そして軽く頷くと何でもないことのように少女に言った。
「そうだね。でも力は感じないから、遭難者の可能性が高い。処理班に任せておけば大丈夫だよ。それより、紫依。ちゃんと食べているかい?背は伸びているようだけど、もっと筋肉をつけないと」
風真の言葉に少女は繋いでいない手を顔の前まで上げて腕を見た。
「そうですか?ちゃんと食べていますし、体力作りもしていますから、筋肉もついていると思います。そういう兄様こそ、おかわりはありませんか?父様はお元気ですか?」
「僕はかわりないし、父様も元気だよ。そういえば、この前……」
近況を話しながら仲睦まじい兄妹が門をくぐって屋敷の中へと入っていく。その背後では重厚な門が静かにゆっくりと閉まっていた。
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