第5話 遭難者

 日が沈み、満月が星とともに顔を出している。山は暗く明かりが無いゆえに、満月の光が木々を照らして影を作っていた。


 朱色の柱と白壁で造られた社の正面に、木組みだけで作られた屋根さえもない簡素な舞台があった。

 その舞台の上で巫女装束を着た少女が全身で満月の光を浴びていた。素足である足元には幾何学模様の描かれた魔法陣のようなものがある。


 少女から少し離れたところに立っている風真が腕を組んで母屋の方を見ていた。風真は昼間の姿とは違って神官用白衣を着ている。


 風真は月と星の位置を確認しながら呟いた。


「お婆様、遅いな」


「なにかあったのでしょうか?」


 二人が首をかしげていると、四十代ぐらいの女性が小走りでやってきた。そして二人の前で一礼をすると


「失礼します」


 と、一言断りを入れてから風真に耳打ちをした。


 女性の言葉を聞き終わった風真は、微かに眉を寄せただけで温和な表情のまま少女に声をかけた。


「紫依、ちょっと待っていて。すぐに戻ってくるから」


「……はい」


 風真が少女を残して速足で女性とともに離れの屋敷へ向かう。少女の姿が見えなくなったところで風真は黒茶色の長髪を背中に振り払いながら言った。


「まったく。いつもは異国の血が混じっている、とか言って文句を言うくせに」


 風真の溜息まじりの言葉に、女性が気まずそうにうつむく。


「このようなことは想定外でして」


「はい、はい」


 風真は離れの屋敷に入ると縁側を音もなく歩き、障子から明かりが漏れている部屋の前で静かに膝をついた。


「お呼びですか?」


 風真の声に部屋の中から返事がある。


「入りなさい」


「失礼します」


 風真が障子を開けて部屋の中に入ると、和装をした数人の男たちが登山服を着た少年を囲むように座っていた。全員の表情は硬く、張りつめた空気が流れている。


 その様子に風真は予想通りと思いながら障子を閉めて畳の上に正座した。そして自分を呼んだ人物がいる上座に視線を移したとたん黒色の瞳を丸くした。

 決してこのような離れにいるような、それどころかこんな所に姿を出すべきではない人物がいたのだ。


 一瞬、心臓が飛び出しそうになるほど驚いた風真だったが、表情を作ることの重要性を父親から嫌というほど学んでいるため、すぐにいつもの穏やかな笑顔を顔に張り付けた。


 そんな風真に上座で座っている老齢の女性が声をかける。


「日本語がまったく通じなくて困っていました。通訳をしていただけませんか?」


 女性は白髪で顔にはシワがあり、線も細くて小さく見えた。だが、小柄な体には似合わず声にはハリがあり、背筋を伸ばして綺麗な姿勢で正座をしている。


 風真は当然のように答えながら部屋にいる男たちを見た。


「紫依も英語ぐらい話せますよ。みなさんも少しぐらい勉強したらどうですか?」


 明らかに嫌味を含んだ発言をした風真を男たちが無言で睨む。


 風真と男たちの間に見えない火花が飛び散る中、老齢の女性は慣れたように制した。


「それぐらいにしなさい。風真、この方がどうやってここに来たのか、目的は何か聞いて下さい」


「はい。それは聞きますが……」


 言いよどむ風真に女性が首を傾げる。


「どうしましたか?」


「お婆様……いえ、長が自ら出向いてまで聞かなくてもよいのでは?あとは私と処理班にお任せ下さい」


 そう言いながら風真は部屋にいる男たちに視線を向けた。先ほどは驚きのあまり、よく把握していなかったが、ここに集まっている男たちは実力が伴った幹部たちだ。相手が何者であろうが力で遅れはとらないだろう。


 日本語が通じない遭難者一人に警戒しすぎだと風真は考えたが、長は軽く首を横に振った。


「今宵は満月。何があるか、わかりません。特に今は警戒しすぎるぐらいで丁度よい時期です。さあ、この方の名前と、ここに来た目的を聞いて下さい」


 穏やかな声音だが、威厳と風格に満ちた雰囲気は従わざるを得ない何かがある。


 風真は自然と頭を下げて頷いた。


「はい」


 頭を上げると風真は体を少年の方へ向けた。

 満月の雫を垂らしたかのような淡い金髪に、大きなムーンライトブルーの瞳。太陽を知らないかのような白い肌に、桜の花びらのような淡い唇。


 風真は様々な国で美少女(・・・)と呼ばれる人を見てきたが、その中に入っても遜色がないほどの可愛らしい顔立ちだと思った。

 だが本人は、それを否定するかのように男物の服で身を固め、座り方も男らしくしている。

 外見から年齢は高校生ぐらいに見えるが、それにしては態度がふてぶてしい。無言の一触即発とした雰囲気の大人たちに囲まれて緊張しそうな場面だが、少年は胡坐をかいて不満そうな表情でそっぽを向いている。


 風真は少年の態度は気にしないことにして、とりあえず英語で話しかけた。


『君の名前は?どうしてここに来たんだい?』


 風真の英語での質問を聞いた少年は、それまでのふて腐れた表情が一変して満面の笑みとなった。そして、一足飛びで風真に飛びついてきた。


『やった!やっと英語が話せる人がいた!』


 感極まっている少年に抱きつかれる前に風真が体をずらす。それだけで少年は顔面から畳にダイブをした。


 だが、少年は見た目以上にタフだったらしく、すぐに顔を上げて嬉しそうに風真に詰め寄った。


『聞いてくれよ!この、オレの悲惨な運命を!オレは、ずっと、ずっと、ずっーと憧れていた日本に、仲間と一緒にやっと来たんだ!本場の回転寿司にラーメンは美味しかった!秋葉原は噂通り楽しくて、清水寺や金閣寺は最高に綺麗だった!』


 興奮して聞いてもいないことを話し続ける少年に、風真は分かりやすく大げさにため息を吐いて訴えを中断させた。


『東京と京都を観光していたのに、何故ここに来たんだい?』


『あ、そうそう。ここからがオレの悲劇の始まりだよ!仲間たちと紅葉を見ようと趣味の登山をしていたら、はぐれてよ!しかも、携帯電話の電波も圏外だ!そのまま山の中を彷徨って、やっとこの家を見つけたんだ!助かった!と、思って近づいたら、言葉は通じないし強制的に連行されて、この扱いだ!オレが何かしたか?なんで、こんな目にあわないといけないんだ!?』


 少年の積りに積もった不満を一気にぶつけられた風真は、うつむいて右手で額を押さえた。確かに少年の状況には同情する。むしろ遭難中に家を見つけられたのだから幸運といえるのだが、場所が悪かった。


 ここは特殊な力を持った一族の隠れ里だ。しかも高度な力を持った人間が多く、術や呪いはもちろん、先見と言われる予知能力や占いを得意とする者が多数いた。そのため古代より時の権力者が政(まつりごと)や戦の相談に来ることもあり、それは現代でも続いている。

 とはいえ、ここは近代文明からは隔絶され、電話どころか道もない。ここの存在を知っている人間も少ないが、ここまで来る道を知っている人間はもっと少ない。


 そんな場所に外国人(英語の発音から英国人と推測される)が迷い込んだ。しかも幸か不幸か日本語が通じない。ここであったことの記憶を術で消して、処理班が一番近くの村にこの少年を放置すれば、村人が警察に連れて行って対処するだろう。


 そんな乱暴な結論を風真は一秒で出すと、術をかけるために必要なことをもう一度訊ねた。


『君の名前を教えてほしい』


『人に名前を聞くときは自分から名乗るものでしょ?』


 少年からの予想外の返事に風真は少し考えた。術をかけるためには相手の名前が必要だ。だが今の自分は名前をあまり人に知られたくない状況でもある。


 風真は名前の一部を省略して名乗った。


『龍神 風真だ』


 少年が首を傾げる。


『日本人?ハーフだと思ったんだけどな。本当にそれ本名?本名も言えないような怪しい人に自分の名前は言えないよ』


 妙に鋭い正論と指摘を受けて風真は諦めたようにもう一度言い直した。


『風真・シェアード・龍神だ』


 その答えに少年は満足そうに頷きながら言った。


『オレはオーブ・クレンリッジ。よろしく、風真』


 オーブが人懐っこい笑顔で風真に握手を求めるように手を出す。風真はその手を握るべきか思案した。

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