第3話 青年の起床

 熟睡していた銀髪の青年の瞳が突如、弾かれたように開いた。

 いつもなら朝を通り越して昼前になって、ようやく起きるのだが、今は会社や学校が始まるぐらいの時間だ。

 ちなみに朝起きないといけない用事があるときは、誰かが起こすのだが、その時はたいてい命がけの戦いとなるため、誰もが起こすことを拒否する。青年を幼少の頃より面倒をみてきた約一名を除いて。


 そんな青年が非常に珍しく自分から起きた。

 窓の外は青空だが、これから大雨、もしくは嵐か槍が降ってくる可能性がある。

 青年が起きたきっかけは、目覚まし時計や携帯電話が鳴ったなどという陳腐な理由ではない。むしろ青年の安眠を妨害するようなことは何もおきていなかった。


 青年はベッドから勢いよく起き上がると、寝癖がついた銀髪もそのままで書斎に飛び込み、世界地図を机の上に広げた。そして、いつも身につけている水晶のネックレスを外すと、地図の上にかざしながら呟いた。


「どこだ?どこにいる?」


 青年が持つ宝石のような翡翠の瞳が地図を凝視する。青年の手からぶら下がってフラフラと揺れていた水晶がピタリと停止して地図から黒い煙が上がった。


「ここか」


 青年は力強く水晶を握りしめると、その場所を瞬時に記憶して手早く着替えを済ませた。

 寝癖はそのままで玄関から飛び出ると、そのまま直結している専用エレベータに乗り込んだ。高層マンションの最上階からゆっくりとエレベータが下がっていく。

 青年が携帯電話にハンズフリーのイヤホンを装着しながら電話をかけると、ワンコールも鳴り終らないうちに相手が出た。


『おはようございま……』


 穏やかに朝の挨拶をしてきた相手の言葉を青年がバッサリと切り捨てる。


「ジェット機を準備してくれ。行き先は日本だ」


 前置きのない無茶な注文にも電話の相手は当然のように丁寧な対応をした。


『わかりました。そこから一番近い空港に準備をしますが、それでよろしいですか?』


「頼む」


 その一言で電話を切ると、青年は次の相手に電話をかけた。


『おう、どうした?こんな時間に珍しいな』


 明るい少年の声とともに賑やかな雑音が聞こえてくる。その雑音に青年は少しだけ眉をひそめた。


「今、どこにいる?」


『台湾。一仕事終えて屋台で夜食を食べている最中』


 エレベータが地下駐車場に到着したため、青年はエレベータから降りながら言った。


「ラファエルの力を感じた」


 少年は口調を変えずに、だが端的に聞いた。


『場所は?』


「日本だ」


 青年は少し歩いてスポーツタイプの大型バイクの前に立つと、ハンドルにかけてあったヘルメットを装着した。


『なら、オレのほうが近いな。足の確保が出来たら連絡するから、その時に詳しい場所を教えてくれ』


「ああ」


 通話を終えると、青年は最後の相手に電話をかけた。今度の相手はなかなか電話に出ないため保留音が続く。


 そのことを予想していた青年は、電話に出ない相手を気にすることなく颯爽と大型バイクにまたがりエンジンをかけた。高速性を追及して造られた大型バイクは、その目的通り重いエンジン音を響かせる。


 青年が低速にギアを入れてエンジンを全開にふかして駐車場を飛び出したところで、やっと電話の相手が出た。


『こんな時間にどうしたのよ?』


 女性が寝ぼけながらも色香が漂う艶っぽい声で話した。だが、その裏には安眠を妨害された怒りが密かに含まれている。


 青年はそのことに気が付きながらも、平然と説明をした。


「ラファエルの力を感じた。今から日本へ行く」


『じゃあ、私はここで待機しているわ』


「何かあったら連絡する」


 会話をしながら青年は渋滞している車の間を高速ですり抜けていく。


『ええ。頑張ってね』


 真剣に応援しているとは思えない軽い口調のまま女性はあっさりと電話を切った。

 そんな女性の態度を青年は気にすることなく、姿勢を低くしてスピードを上げながら目的地に向かった。




 青年が空港の正面玄関にバイクを着けると、逆立った茶髪にサングラスをかけた男性が近づいてきた。


「悪ガキ、お前何キロ出して、何処を走ってきたんだよ?この時間帯なら渋滞のせいでここまで来るのに二時間はかかるのに、なんで連絡があってから一時間で到着するんだ?」


 男性の説教染みた言葉を無視するように青年はヘルメットを外した。銀髪を揺らしながら大型バイクから降りてバイクの鍵を抜く。ちなみにヘルメットのおかげで寝癖は直っていた。


 青年が男性の言葉に答えることなく無言でバイクの鍵を突きつける。


「おい、無視するなよ」


 男性は怒りながらも青年の態度に慣れた様子で鍵を受け取ると、隣に控えていた男に鍵を渡してバイクを移動するように指示を出した。


 その間に青年がスタスタと空港内へと歩いていく。

 男性が大股で青年の後を追いかけていると、青年が振り返らずに訊ねた。


「離陸準備は出来ているか?」


「整備と手続きを含めて、あと一時間かかる」


「そうか」


 青年が込み合っているチェックカウンターを通り過ぎ、その先にある特別通路を歩いていく。途中で型通りの手荷物検査と身体検査を受けて滑走路に出る。そこで専用の車に乗ってジェット機まで移動した。


 青年がジェット機内に入ると、長めのハニーブロンドで左瞳を隠している男性が頭を下げてきた。


「おはようございます」


 その姿を見て青年が声をかける。


「悪かったな、無理を言って」


 その言葉に青年の後ろにいた男性が不満を口にする。


「オレには労いの言葉はなかったのによ」


 ハニーブロンドの男性は文句を言っている茶髪の男性を無視して微笑みながら訊ねた。


「朝食はおすみですか?」


「いや」


「では、すぐに用意いたします」


「相変わらず気が利くな」


 青年が座席に座るとハニーブロンドの男性がテーブルに朝食を並べ始めた。その間に青年の電話が鳴る。


 青年が電話に出ると、こちらが話す前に訊ねてきた。


『で、日本のどこだ?』


 青年が座標を言うと、少年は少し考えて質問をした。


『お前は今、どこだ?』


「今、住んでいる家の近くの空港だ。あと一時間ほどで離陸する」


『そうか。やっぱり、オレのほうが先に着くな。よし、オレが様子を見てくるから派手な行動はするなよ』


「それは君のことだろ」


 青年の言葉に少年が笑う。


『今回はおとなしく行動するさ。じゃあな』


 軽い口調で切られた電話を見ながら青年は呟いた。


「だと、いいが」


 思案顔をしている青年の前でハニーブロンドの男性が優雅に紅茶をアンティークカップに注いだ。

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