第9話 元凶

 大量の水しぶきと轟音が響く。白滝の周囲は岩の壁が天高くそびえたち、周囲を囲んでいた。


 そんな場所で少女が一人、何かを追いかけるように走り回っていた。

 水に濡れて滑りやすい岩の上でも、深い滝つぼの上でも、どんな場所でも関係なく飛ぶように駆け抜けていく。

 時々、少女の目の前で、何もないところからゴム風船が膨らむようにマネキンが出現した。だが少女は足を止めることなく突っ込み、マネキンからの攻撃を避けると、すれ違いざまに相手の一部に触れて呟いた。


「風よ、舞え」


 その一言でマネキンの動きが止まり、少女が過ぎ去った後で内側から破裂した。しかし少女は気にする様子なく、ひたすら何かを追いかけている。


 永遠に続くかのように見えた鬼ごっこだが、急に少女が足を止めた。そして、目の前の何もない空間に声をかけた。


「ここまでです。そこからは動けませんよ」


 少女の言葉に対して、何もないはずの空間の中で何かが瞬きをするように光っている。そこに草をかき分ける音と呼び声が響いた。


「紫依!?」


 風真と長のそばにいた男が息を切らして少女に近づいてくる。少女は驚いた様子なく二人に声をかけた。


「どうされたのですか?」


「どうされた……って、それはこっちのセリフだよ。客間で待っていろ、って言っただろ?どうして出てきたんだ?」


 怪我がないか心配そうに見ている風真に対して、少女が当然のように答える。


「これを壊さないと、あの人形はいつまでも出てくるようなのですが、みなさんお忙しそうでしたので」


「だからって、部屋から出ていいとは……て、これ?」


 少女が言葉で指したものが分からない風真は首を傾げた。少女が軽く頷きながら目の前を指さす。


「はい。これです」


 少女が指さした数メートル先。目を凝らしてよくよく見ることで、ようやく姿が見えた。それは縫い針ほど細く、長さは十センチにも満たない金色の棒だった。


「なんだ、これは?」


「よくわかりませんが、この針のような棒からあの人形が出てきていました」


「つまり、この棒が結界内に侵入して、あちこちにのっぺらぼう人形を出現させていたのかい?」


「そのようです」


「こんな棒にそんなことが出来るようには見えないが……そもそも、そんな話は聞いたことがないな」


 長い歴史を持つ龍神家の文献にも、このような物体の記述はない。風真が悩んでいると長のそばにいた男が声を出した。


「とにかく長に報告をして指示を仰ぎましょう」


「そうだな。あと紫依を屋敷に連れて帰る護衛も数人頼んでくれ」


「わかりました」


 男が頷きながら右手を耳に当てる。風真は視線を少女に移して言った。


「ここは僕たちに任せて。紫依は屋敷に帰るんだ。もう勝手に出てきてはいけないよ」


「わかりました」


 素直に返事をする少女に風真が困ったように微笑む。


「本当にわかっているのかなぁ」


 ぼやく風真に少女が首を傾げたが、何かに気づいて深紅の瞳をきつくした。


「兄様」


 緊迫した声に風真も少女と同じ方向を見る。すると、先ほどまで空中で制止していた棒が横に回転をしていた。


「何か起きるのか?」


「この結界は簡単には破られないはずです」


「わかっている。この周辺に何重も結界を張ったんだね」


「はい」


 少女は棒をむやみに追いかけていたわけではなかった。棒を捕らえるために何重もの結界を密かに張りながら、結界の中心へと追い込んでいたのだ。


 頷きあう二人に男が慌てて話す。


「屋敷を襲ってきた人形に結界は効きませんでした。この結界も本当に効いているか、どうか……」


 最後の方は言いにくそうに言葉を濁した男に対して、少女が無表情のまま説明をする。


「あの人形には物理攻撃が有効でした。ですので、この棒の周囲にも物理攻撃を遮断する結界を張りました」


「……まさか」


 男が驚きの表情のまま顔を動かして周囲を見回すと、普通の人には見えない結界が棒を中心に何重も張られていた。しかも対象は棒だけに限定しているので、自分たちは何も感じることなく通り抜けてきたのだ。


 そもそも山中の男たちがマネキンを捕縛するために使用した札や結界は、自身の力を相手の魂に直接攻撃するものであった。本来、魂とは無防備なものであり、肉体を押さえるより魂を押さえるほうが、少ない力で効率よく効果を発揮できる。


 その力を使って相手の肉体を押さえようとするなら、魂を押さえる時の倍以上の力が必要となる。そもそも力は先天的なものであり、修行である程度増幅させ、操作できるようにはなるが上限は生まれた時から決まっている。


 そのため物理的に相手を押さえられるだけの力を持って生まれる人間は少ない。そのうえ力が強くなればなるほど、細かな操作は難しくなり、簡単な術で精いっぱいになることが多い。結界を張るということは決して簡単な術ではない。むしろ高度な術だ。

 今回、この少女が何重もの結界を張ったことは、巨大な力、いわば像にシルクの糸で繊細なレースを編ませたようなものである。


 男が改めて少女のすごさを認識していると、風真が声をかけてきた。


「長と連絡はとれたのかい?場合によっては指示を待たずに、この棒を壊すよ」


「あ、は、少しお待ち下さい」


 男が慌てて右手を耳に当てる。一方で少女は静かに回転する棒を見つめていた。棒が少しずつ高度を下げて地面から生えている草を刈っていく。


 右足を半歩下げて身構える少女の肩に風真が手をのせた。


「紫依は下がっていて」


「ですが……」


「いいから。相手が何者か判らない以上、いつでも逃げられるようにしておくことは必要だよ。いいね?」


「……はい」


 風真の指示に少女が数歩下がる。そこに澄んだ青年の声が響いた。


『そうは、いきませんよ』


 回転している棒から聞こえた声に、その場にいる全員が注目する。地面に触れるか触れないかの位置で回転している棒の上に全身白色の青年が現れた。

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