第14話 夢
少女は微かに聞こえる話し声で目が覚めた。そこは立派な大木で作られた柱と天井に、四方を松と孔雀が描かれた襖で囲まれた和室だった。
見覚えのある部屋だが何故か視点が低く感じる。少女が違和感の原因を探しながら和室を見渡していると、隣の部屋から微かな声が聞こえてきた。
「すみません。私では守りきれませんでした」
「……父様?」
いつもの穏やかな姿からは想像できない父親の切迫した声を聞いて少女がそっと襖に近づく。
そこに老齢の女性の声が響いた。
「こうなることは分かっていたことです。あの子の母親、伊織が先見の力で予見していた通りになっただけのこと。ですが、大事なのはこれからです。来るべき時がくるまで、あの子を……神の依り代である紫依を守りぬく。それが、この世界の命運を握ることになります」
そこで老齢の女性が一息ついて、柔らかな声音で言った。
「よく先代の長との約束通り、紫依をここまで守り通し、連れて来てくれましたね」
老齢の女性の言葉には労いが込められていたが、父親はきっぱりと返した。
「一度した約束は必ず守ります。そして、私は私が出来る方法で紫依を守り抜きます。そのためにも私は二度とこの地に足を踏み入れません」
父親からの我が子との絶縁宣言に老齢の女性が驚くこともなく静かに訊ねる。
「何故ですか?」
「私がこの地に来れば、紫依が生きていることや、ここにいることが知られてしまう可能性があるからです。伊織が自分の命と引き換えに守り抜いた紫依の命。必ず守り通して下さい」
「かならず。その時が来るまで守り通しましょう」
老齢の女性の決意が込められた言葉を聞いて少女は両手で顔をおおった。遅れて長い黒髪が両手を隠すように流れる。
「これは……記憶……昔の、記憶……」
和室がくにゃりと曲がって消える。
何もない暗闇の中で少女は女の子へと姿を変えていた。
「帰らないと……」
女の子が暗闇の中で立ち上がり歩き出す。道もなければ、足元も見えない。すぐ先に穴が開いているかもしれないが、恐れることなく真っ暗な中を歩いていく。
すると、どこからか声が聞こえてきた。
『強すぎる力のせいで、ずっと一人だった。いつの頃からか、それでも良いと思うようになっていた』
一歩歩くことに女の子の外見が成長していく。
『世界は明るくて時間は流れているのに、光は届かない。闇夜のような暗い世界に一人ぼっち』
少しずつ成長していく女の子は時々、暗闇に足を取られたが、こけることなく歩き続けた。
『そのことに疑問も不安も感じたことはない。けど、それでも心のどこかでは求めていた。何度も諦めながら、それでも手を伸ばして求めていた』
深紅の瞳はまっすぐ前を見つめて、道なき道をひたすら歩く。
『今度こそ役割を果たして』
視線の先に星のような小さな光を見つけて少女が走り出す。
『この力を持っていても、恐れることなく触れられる仲間と。そして、恐れることなく自分に触れてくれる彼と……』
光が大きくなり少女は手を伸ばした。
目を覚ました少女の目に入ったものは、天井に向けて伸ばした自分の手だった。次に手の先にあるクリーム色の天井を見て意識が一気に覚醒した。そして意識を失う前、力が暴走したことを思い出した。
「お婆様!?兄様!?」
飛び起きた少女は室内を見て硬直した。
「……ここは?」
いつも寝ている少女の部屋は六畳ほどの和室に座卓があるだけの簡素な部屋だ。だが、今は八畳ほどの洋室に置かれたベッドの上にいた。
他にある物はアンティーク調の机と椅子や、出窓に飾られた可愛らしいぬいぐるみの数々だった。窓は白いレースのカーテンと淡い桜色のカーテンで飾られている。見事なまでにインテリア雑誌に出てきそうな女の子の部屋だ。
しかし少女にこんな部屋の記憶はない。
「どこでしょうか……」
「ここは君の父親と母親がこの日のために準備していた家だそうだ」
突然、真横から聞こえた声に、少女が反射的にベッドから飛び退いてドアの付近に移動する。瞬時に部屋の間取りを把握して退路を確保し、そのまま警戒態勢をとったのだ。寝起きとは思えない動きの良さである。
そんな動きを目の当たりにしながらも、声をかけた青年はベッドの横にある椅子に座ったまま淡々と言った。
「それだけ動けるなら大丈夫そうだな」
少女が黙って青年を観察する。磨き上げられた日本刀のように輝く銀色の髪。翡翠の瞳は宝石のように澄んでいるが鋭い。足を組んで椅子に座っている姿勢は優雅で、年齢以上の落ち着きがある。
そこで少女は青年の手に読みかけの本があることに気が付いた。分厚い本だが半分以上ページが進んでおり、ここで読んでいたことがうかがえる。
少女は単刀直入に訊ねた。
「あの……いつから、そこに?」
「風真が休んでからだから……二時間ぐらいになるな」
「兄様!兄様は今どこに?近くにおられるのですか?」
「下の階にある部屋で休んでいる」
その言葉に少女がどこか安堵したように力を抜く。
「そうですか……あ、そういえば兄様をご存知なのですか?お知り合いの方ですか?」
「あぁ。同じ大学に通っていた」
「そうなのですね」
少女は素直に納得すると、あっさりと警戒を解いて青年の前に来た。
「そうとは知らず失礼な態度をしてしまい、すみませんでした」
そう言って少女が頭を下げる。青年は開いていた本を閉じて椅子から立ち上がった。
「リビングで話をする。服はそこのクローゼットに入っているそうだ。着替えたら来い」
そう言われて少女は改めて自分の服を見た。意識を失う前に着ていた巫女装束のままである上に、あちこち破けており白い肌が見え隠れしている。
少女が無表情のまま顔を真っ赤にして早口で答えた。
「あ、は、はい!すぐに!今すぐに着替えますので、リビングでお待ち下さい!」
無表情のまま挙動不審になっている少女に青年は少し首を傾げたが、大して気にした様子なく部屋から出て行った。
「早く着替えないと……」
少女はクローゼットに飛びつくと、丁寧な動作で扉を開けた。すると中には、これでもかというほど大量の服が入っており少女は戸惑った。
「えぇと……とりあえず動きやすそうな服を……」
少女はクローゼットの中から動きやすい服を選ぶと、それを着て部屋から出た。
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