ままならない自意識

レビューというか感想です。
以下の破線より先に、本編に関する重大なネタバレおよび考察を含みます。
ただ、本編を読んで損をすることはないことは保証しますし、仮に「損した!」と仰るならこのレビューもまた読んで損することは請け合いなので、ここで見聞きしたことは忘れてください。

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まず、半端なく自意識が高く自己評価の低い少女が、ままならない自分に腹を立てている。高いのが意識ではなく自意識ってのが生々しい。マフラーに頬を埋める動作一つをとっても「きっと可愛らしい仕草ではない」とか言いながら、幼馴染みだが特に気のない少年を値踏みして「その私のお願いを、彼には断ることができない」とか。少年に対して何で好きになっちゃったんだろうと気遣う一方で(これも気遣いと言うよりは持て余しているに近いだろうが)、意気地がない・卑怯・私が私じゃないみたいなど、必死に自分に弁解しながら中途半端に袖にする。難しい年頃なのだろうと言ってしまえばそれまでだが、これでは余りに少年が哀れである。
だが、それがまたいい。恐らくこれが、この少女のキャパシティなのだろう。

次に登場するのは、駆け込み寺ならぬ教会のお姉さん。覚束ない記憶を辿りに何の計画性もなくやってきた。だが、程なくして少女の本当の目的というか真相に近い心理が明かされる。「吐き出した、そんな感じが確かに、した。」。ここで少女が得たものは、暖かいマグと一緒に、崩壊しそうな自意識を繋ぎ止めてくれる存在だった。少女はそんなお姉さんをずるい・卑怯だと表現した。ここで少女が自身に向けた「卑怯」と、お姉さんに向けた「卑怯」が、全く種類の違うものであったのがとても興味深い。
あくまで自然体で、答のないものに答を出さない。逃れ得ないものから目を背け続けた少女の「卑怯」を救ったのが、ことさら構えずに包容してしまう類の「卑怯」だったというコントラスト。

そして最後に、少女は「秘密」に手をかけようとする。手元にない日記とカメラが暗示するのは、それを切り取ることの出来る「絶対に先送りにしてはならない」今が、その瞬間にしか存在しないと言うことだろう。

なぜ少女はそのAtticを見なければならなかったのか? そしてそこで何を見ることになるのか?

そこに想像の余地を残した、素晴らしい余韻で締められていると思います。

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