吹っ切れてイケメンになるタイプの男子

「きみ」という二人称で呼びかける相手の少女と、「彼」という三人称で語られる語り手自身。この構図を可能としたのが、彼自身、人ならざる存在となったからなのだった。
他人の残り寿命を「霊視」出来る特殊能力を持て余していた「きみ」は、ついに身近にその霊視対象と出会ってしまう。僕がこの作品をどうしてもSF的に読んでしまう理由の一つに、この「霊視」にルールめいたものがあるからだ。この仕掛けは、「彼」の死にたくないという本音、すなわち未練を的確に言い当てるのに利用されている(「きみ」がその法則を飲み込むのはもう少し後だが)。
そして己の未練について、語り手が「彼」という三人称を用いて正確かつ客観的に描写している事実から、「彼」を語る「ぼく」が既に死を受け入れていることが推察される。日本的(あるいは僕が知る限り仏教的)に表現すると、清々しいまでに成仏しているのだ。つまりこれは、神視点ならぬ仏視点小説である。
一方、見方を変えれば、「きみ」は霊視能力を用いて、迫り来る死に直面して右往左往する「彼」の魂を浄化したと言えるのかも知れない。だが結局最後に用いられた手段が「わからないままに優しく抱いて髪を撫でた」辺り、大事なのは霊視能力とかいうギミックではなかった。僕はここの、ギミックはあくまできっかけ作りで、最後は人間力(女子力ではないだろう)でぶん殴って浄化してしまう場面がとても好きだ。
成仏視点の「ぼく」が「きみ」に向ける眼差しが、物語の最初から最後まで一貫して上位存在的な愛に修飾されているのが素敵でキュンとしました。

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