14へ行こう、二度とは来ないあの特別な季節を生きよう

和田島イサキ

ぼくより、きみへ

 きみは幽霊なんかちっとも怖くなかった。

 きみがまだ小学六年の女の子だった頃のことだ。病で亡くなった母方のおじいちゃんの、そのお葬式できみは思った。

 こんな豪華なお別れ会なら、生きてるうちにやったほうが絶対いいのに、って。

 いわゆる、生前葬ってやつ。まあそう単純なものでもないっぽい、というのは、もちろんきみもそれなりに察していたけど。でも、じゃあ、話自体は変わっちゃうけど同じ理屈で、「幽霊」の場合はどうだろう?

 死んでからやっと化けて出る人たち。言っちゃ悪いけどこっちは完全な手遅れ、未練なんてのは生きてるうちに片付けなきゃだめだ。不慮の事故ならしょうがない面もあるけど、だからって化けて出て関係ない人に迷惑かけたり、なんなら勝手にあの世に道連れにしたところで、その未練って本当に解消できるの? って話。

 つまり、馬鹿なのだ。幽霊ってやつは。

 きみは幽霊なんて一度も見たことなかったけれど、もし見えていたとしてもきっと結論は同じ。怖くない。だって、馬鹿だ。この時代、たとえ幽霊でももっと合理的でなきゃと、きみは幼いながらにそう思っていた。必要なのは、「化けて出る」には前借り制があるべきなのだと、その持論があるいは祟ったのかもしれない。

 幽霊が見えることを「霊感がある」というなら、きみに霊感が備わったのがこの頃のこと。

 普通の霊は見えない。でもきみには、お葬式の前から、うっすらそれが見えていたのだ。おじいちゃんの霊。といってもわかりやすくおじいちゃんの姿はしていなくて、だからお葬式になってやっと「ああ、あれって」と気づいたのだけれど、でも見えていたという事実は変わらない。

 生前霊。と、きみがそう思っていたもの。ぬぼーっとした塊みたいなものが見えるだけで、もちろん対話なんてできなくて、その代わりに違うものが読み取れた。くっきり浮かんでいるわけじゃないけど、でもえる。直感的に、「あと七日」って。それが日に日に六、五とカウントダウンされて、それできみはようやく気づく。

 ——ああこれ、ただその人の寿命が見えちゃってるだけだ、って。

 きみは自信を無くした。だって、合理的発明だったはずの生前霊システムは、でもその実いいことなんて何ひとつなかった。死期の近い人がわかって、それがいつ死ぬかもなんとなく視えて、でも何もできない。何かしなきゃと思ったことはあっても、でも行動に移せたことは一度もなかった。

 当たり前だと思う。だって全然知らないどこかの誰かに、突然「あなたあと少しで死にますよー」なんて、そんなの悪趣味な嫌がらせ以外の何者でもない。おじいちゃん以降、〝視えた〟のはただそこらですれ違っただけの赤の他人ばかりで、だからそのあと本当に死んだのかも知らない。ニュースや新聞を調べればわかったかもしれないけれど、でもそうしなかった。きみには不思議と確信があった。調べるまでもない、絶対死んでる、って。

 見ても仕方のない、余計なものが見えてしまう。だから見ないふりして過ごしてきた賢いきみに、でも転機が訪れたのが十二歳の春。

 中学に進んで、新しい出会いがあって、つまり同じクラスに〝それ〟はいた。

 生前霊。そのときのきみの驚きようといったら、まったく表現のしようもない。同じクラスの男子。いまはまだ知らない人でも、これから同じ教室で同じ季節を過ごし、徐々に〝知らないどこかの誰か〟ではなくなっていくだろう立場の少年。それだけじゃない。それまできみの見てきた生前霊たちとは、明らかに違うところが彼にはあった。

 ひとつは、霊の存在感。ぬぼーっとして、ただのもやみたいだった今までのそれとは異なり、はっきりその少年自身の姿をしていたこと。そしてもうひとつは、彼に残された寿命の長さだ。

 残り二年。十四の春、ちょうど中二と中三の境ごろ。長い。だってそれまでは長くても二週間が限度だ。こんなの初めてで、それがどういう意味を持つかもわからなくて、なによりきみ自身だってまだまだ成長の途上、だから当然の帰結だったと思う。

 純粋な好奇心から、彼に興味を持ったこと。

 今までの霊たちと何が違うのか。それを探ろうときみは彼に近づいて——なんて言い方じゃちょっと印象が良くない気もするけど、でも仕方ない。事実だ。他に表現のしようがないくらいには霊目当てだった、というのは、他でもないきみ自身の認めるところでもある。

 きみにとって幸運だったのは、彼の心が広かったこと。そしてそれ以上に、途轍もない鈍感であったことだろう。

 初めてできた女子の友達に、戸惑いながらもしかしうっすら嬉しげというか、どこか満更でもなさげな顔で笑う彼。その反応に、きみはなんとも言えない感情を抱いた。いろいろと分別のついてしまった大人の言葉でいうなら、たぶん「ちょろい」というのが一番近いのだろうけれど、でも決して悪い感情でなかったというのは、きみの栄誉のためにもちゃんと明言しておきたく思う。どちらかといえば好感情の方が大きい。こういうのは、後々から、大人の言葉で書き換えちゃいけないものなのだ。

 なんの共通点もなかったきみと彼だけれど、それでもあっさり仲良くなれたのは、まあきみ自身の美徳と言っていいと思う。

 彼は背が低く、線も細く、いかにも頼りない子供だった。出会ったばかりの頃はそうだ。もちろん、彼だけに限った話じゃない。十二歳、中学に入りたての男子はみんなそう。二次性徴を迎える直前、これからの成長に備えてブカブカの学生服を着た彼らは、その瞬間だけは大人とも子供とも違う季節を生きているのだときみは思った。ここまで明瞭に言語化は出来なかったろうけど、でもきみは確かにひとつ、男子というものについて詳しくなった。

 謎は解けなかった。きみの好奇心はなかなか満たされなかったけれど、でもそんなことはまあいいやってきみは思った。思えるようになった。前ほどには合理性にもこだわらなくなって、この世には理屈や損得では割り切れないものもあって、むしろそっちこそ人生の〝本当〟なんじゃないかって、そんな極端から極端へと振れようとしていた頃のこと。

 中一の冬。彼のタイムリミットが残り一年に迫ったあたり。

 少なくとも、もうただの「友達」では収まらない。その上の「親友」くらいには仲良くなった彼が、きみにならと打ち明けた秘密を、きみはさっぱり理解できなかった。

「実はぼく、そのうち自殺しようと思ってる」

 嘘だと思った。そのきみの直感は、あくまで結果としてという話なら、半分くらい合っていたことになる。

 嘘だった。「しようと思う」という部分だけなら本当のことでも、「できるかどうか」をまったく考えてないって意味では、そんなの考えてないのと一緒と言えた。あるいは、これも結果論になるけど、きみが例の〝謎〟のヒントを得たのがこの瞬間だったのかもしれない。もともといやにはっきりした姿で見えていた霊が、このときいつにも増して強い存在感を放って、それは本当に「化けて出る」の前借りなのだと、そうきみが結論づけたのはこの少し後のこと。

 強い未練。それがあるから化けて出る。

 意地汚くも、なりふり構わず、ただこの世にしがみつこうとする。

 つまり、死にたくない——彼がその本音をそのまま言えなかったのは、なんのことはない。

 ただの見栄だ。なりは小さくとも、声が変声期でガサガサでも、いやだからこそというべきか、それは彼が生まれて初めて知った感情、好きな女の子の前で格好つけたいって気持ちだ。

 不器用な恋だった。だいたい、このとき彼はまだ、「きみのことが好き」ってこと自体を自覚できていない。よくわかんないままとりあえず見栄だけ張った、そんな彼にきみは「やっとわかった」と嬉しそうに微笑んで、そして「本当はなんだ、死ぬの」と真正面からぶつけた。そのまんまの正解を。

 その先はきみも知る通りだ。彼は泣いた。不意打ちの、あまりにも剥き出しのその言葉に、周囲の誰もが気を遣って避けてきた終点に、触れて泣く機会を初めて与えてくれたのがきみだ。

 生まれつきの病なら仕方ない。余命なんか最初から大体わかっていて、でもそれはそういうものだからと思って生きてきたけど、よく考えたらどうしても問いが残る。「なんでぼくだけ」って。よく考えちゃうとそうなるからなるたけ考えないようにしてきて、周りも不用意に触れないようにしてくれて、そこまで丁寧に舗装された人生をゆっくり進んだ先にある突然の幕切れに、そりゃ「なんでだよ」って思わない方がおかしい。

 せめて自分でと思った。抗いたかった。優しくしてくれる周囲の人たちを裏切ってでもだ。みんなの愛や優しさを疑ったことはなくとも、でも結局それってぼくが死ぬからでしょっていうのはどうしてもあって、ならもう力ずくで捻じ曲げるしかなかった。構造を。因縁と結果の不可逆性を。

 自分のものにしたかった。レールを外れて、予定と違うゴールに飛び込むことで、それまでの道筋を全部、ぼくだけのものに。笑ってしまう。子供だ。周囲の迷惑を考えろという以前に、まずそれを実行に移す度胸もないのに。

 ——なんて、だいたいそんな内容を、ここまで整然と話せたわけじゃないけど。

 それでも大声をあげて泣くことができた、それだけでも十分救われたと思う。

 きみに会えてよかったと、彼もそこだけはちゃんと言葉にして伝えた。涙でぐしゃぐしゃの声だったし、きみは震える彼の頭を撫でるのに必死だったけれど、それでもちゃんと伝わったはずだ。

 思えば、きみの戸惑いもすごかった。友達以上の男の子に、どっちかといえば物静かで無口な性格だと思っていた彼に、突然すがり付かれて大泣きされたのだ。どうしていいかわからない、というきみの感想は、正直なところもっともだと思う。わからないままに優しく抱いて髪を撫でたんだから、むしろこれ以上ないくらいの大正解っていうか逆に怖い女だって思う。

 おかげで、自殺は取りやめになった。

 もともとそんな度胸はなかったとはいえ、でも少しでも、一分一秒でも長く、きみのそばにいるために。そのあと、ひとり残されるだろうきみのことは考えなかった。その必要はないという方に、彼は彼の残された人生全部張ることにした。心の傷になることも、人生を縛る呪いになることもなく、きみはそれなりに悲しんでそれなりに乗り越えて、もっとずっと幸せな人生を送るはずだと、きみへの信用半分甘え半分にそう思おうって決めた。


 それもこれも全部、きみが他でもないきみだったから。


 最後の一年、きっと彼は幸せに生きたはずだ。生まれてきてよかったと、そう思えるほどの出会いだったはずだと、きみはそう胸を張っていい。彼はきみのことが好きだった。最後に告白までしたのは、もちろんきみもよく知っている通りだ。きみの知らない事実として、そのときの真っ赤なきみの顔は、世界一可愛かったと彼は胸を張って言うだろう。

 本当なら、こんな体でなければもっと一緒にいられた、なんて、そんな情けないことはもう言わない。ふたりで過ごした最後の一年、体は目に見えてやつれていたから、あまり写真も残さなかった。彼には見返す機会がないし、きみには徐々に色褪せていく思い出くらいでちょうどいい。死者に縛られてはいけない。そこで「じゃあ生者ならいいの」と言うきみは本当に妙なやつだったけれど、間違いなく最高の女だった。もったいない。もういない人間が、いつまでも未練でその足を引っ張るのは。

 ただ、ひとつだけ。

 実は最後の最後まで、彼が信じていなかったことがある。

 きみが、幽霊を見ることができる、という話。ただの幽霊なら信じたかしれない、でもそれが生前の霊、それもいわゆる生き霊とは違うだなんて言うから、そもそもどういうものかがまずピンとこない。ただ、彼が確信を持っていたのは、そんな霊は存在しないってことではなく——。

 その霊に、きみ自身が半信半疑なんじゃないか、ってことだ。

 生前の霊。寿命の見えちゃった人が死ぬこと自体に疑いはなくとも、でも、その因果までは。

 もしかしたら逆で、自分が寿命を見てしまったこと、それが引き金となって彼らが亡くなるのだとしたら? その可能性に、まずないとは思うけど否定もできない恐ろしい考えに、きみが一度も思い当たらなかったはずがない。

 だから、ひとつ。本当にひとつだけ、彼は自分ですらまったく信じていなかったことを、自分の命と引き換えに強く願った。なんせ、死ぬのだ。ことが霊絡みならおそらくのこと、〝これから実際に死ぬ人間〟ほど強いカードはない。


 ——神様、どうか彼女の少し視えすぎる目を、ぼくと一緒に。


 それは気の迷い、おじいちゃんの死に傷ついた幼い心が見せた幻で、長ずればいずれ見えなくなるもの。思春期という特別で澄み切った季節の、そのちょっとした副作用みたいなものだ。それがふたりを引き合わせた、って意味では、まあ感謝くらいはしてもいいかもだけど。

 でも、おしまいだ。人はいつまでも十四に留まることはできない。まだこの先の人生を生きてゆくきみに、その目はきっと必要のないものだから。

 彼は願う。もしきみの目に、本当に霊が見えなくなる日が来たのなら。そのときはせいぜい悔しがってほしい。その目はもらった。神様に祈って、ぼくがあっちへ持っていったのだ。交換だ。代わりに残したぼくの目で、きみはぼくと見るはずだったたくさんの景色を、一緒に見るはずだったこの世の綺麗なものすべてを、たっぷりその記憶の中に収めてほしい。いつかきみ自身が幸せになる姿も、またその途上に待ち受けているかもしれない苦難や挑戦のときも、ぼくの目で受け止めてくれたらこれ以上の喜びはない。本音を言えばきみのこと、この世界の誰にも渡したくないけど、でもそれと同じくらいきみがぼくのことを忘れて、幸せになればいいって思ってもいるのだ。

 きみにぼくの目をあげよう。いつか色褪せる思い出と、見るべきあまの景色を残そう。

 愛を渡そう。この十四の小さな心と体、全部燃やし尽くして出した目一杯の愛を。

 他は残さない。何も、何ひとつ。未練になるようなものは全部綺麗さっぱりなくして、ただきみの幸せのために生まれて死ねたと、そう思えることがいまは何より嬉しい。怖さは消えない。きみの言う通り「死ぬのだ」ってやっぱり思う。それでも、人生の最後を大切な人と過ごせたことは、きっとぼくにとってなによりの幸せだった。


 ぼくより、きみへ。

 本当に、どうもありがとう。ぼくは生まれて来てしあわせでした。


 きっと、化けて出ることはない。その必要もないし、大体幽霊なんか信じない。

 仮に化けて出たところで、きっときみがそれを見ることはないのだ。


 ぼくは知ってる。

 きみは幽霊なんかちっとも怖くなかった。

 これまでも。

 そしてきっと、これからも、ずっと。




〈14へ行こう、二度とは来ないあの特別な季節を生きよう 了〉

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