契約

 楡の葉が全て黄金色に変わるころ、伯母の家に珍しく来客があった。

 ガリーナが疎開してくる前からの重要な取引相手らしいが、例によって魔女たちが身内だけの暗黙の了解で準備を進めるせいで、オーレグにはどんな人物なのか見当もつかない。ただ、事前に「客人の心をけっして読んではならない」と釘を刺されただけだ。

 もとより好きで人の心を読むのではなし、相手の心が勝手に目に飛び込んでくるのにしょがないだろう、とオーレグはむくれた。それならいっそ自分は部屋に閉じこもっていたほうがいいのでは、とも思ったが、ガートルード伯母は家族全員で迎えることが礼儀、として譲らなかった。


 その日やってきた客人は、魔法使いではなかった。山高帽ボーラーハットを被り、秘書らしき黒スーツの女性を従えた、いかにも実業家といった風情の男だ。オーレグはひと目で相手に嫌悪感を覚えた。

 客人のほうもあまり良い感情は持たなかったようだ。挨拶を終えるなり露骨に眉をひそめて、

「なんと。魔女の家に少年が居るとは」

 明らかに咎めるような口ぶりだ。怪訝な顔をしているオーレグに代わって、ガートルードは冷ややかに答えた。

「私の甥ですわ。魔女にも家族というものがありますのよ」

「あ、いや失礼。しかし水晶魔女を預かる家に男の子とはまずいな……この子もウィッチかね?」

「違います。僕はソロフ師の弟子で、魔法使い見習いです」

 ムッとするオーレグの肩を伯母の手が押さえた。

「この子には幼い頃から男女の別は厳しく教えておりますのでご心配なきよう。それともいっそ、尼僧院並みに男子禁制にしたほうがよろしいかしら。そうすれば当然貴方にもお引取り願わねばなりませんけど、クレーブさん」

 ひと息にそう言って、大柄な魔女は客人の頭上から氷のような目を向けた。

 威圧感という言葉はこの伯母のためにあるのだろう。オーレグは今更ながらに、この大魔女に逆らってはいけない、と肝を冷やした。

「ははは、いやいやいや」

 クレーブと呼ばれた客は明らかに追従ついしょうとわかる笑いを浮かべて顔を引きつらせている。


 黒スーツの女性がフン、と鼻を鳴らして進み出た。

「時間がありませんわ、クレーブ卿」

 そういうとハイヒールの音を響かせ、ガリーナの前に立って見下ろす。

「ガリーナ嬢、水晶の育ち具合はいかが? 早速検査をさせていただきたいのだけど」

 女性の声を聞くと、それまで人形のように無表情だった少女の顔が急に曇り、ガートルードの袖を引っ張って陰に隠れるような仕草を見せた。

「……検査はいや」

 オーレグは驚いてその様子を見た。まるで幼子が何かに怯えているようではないか。ガリーナのこんな表情を見るのは初めてだ。

「困りますなガリーナ嬢、毎回そう駄々をこねられては。水晶の育成状況を逐一報告するのも契約のうちですぞ。結晶化が思うように進んでいないのなら、それ相応の対策をせねば」

「水晶魔女の前で『結晶化』は忌み言葉ですわ。『水晶化』とおっしゃって」

 ガートルードは冷たく返しながらも、少女の手をほどいて車椅子を前に押し出した。

「さあ、ガリーナ。大丈夫ですよ」

「でも……」

 まだ拒否の姿勢を崩さない少女に、黒スーツの女性が急に声を荒げた。

「手間をかけさせるんじゃないよ。あんたも魔女のはしくれなら、契約が絶対だってことは覚悟の上だろ。それともあたしの役目をこの男に代わってもらおうか、ええ?」

 慎ましい外見に似合わず凄むような言葉に、部屋の空気がにわかに刺々しくなった。オーレグが思わず拳を固める隣で、アントニーナもまた、嫌悪感むき出しの表情で唇を歪めている。


「おほん、口を慎みたまえジェイン」

 クレーブは場を収めるように咳払いをし、うつむくガリーナにわざとらしい猫なで声で取り繕った。

「ご心配なくガリーナ嬢。ジェイン女史は冗談が過ぎるようだ。穢れなき水晶魔女に私のような男が手を触れるなど、あり得ませんよ。だが仕事は仕事だ。我々は運命共同体なのだということもお忘れなきよう」

 オーレグは舌打ちしたい気分だった。心など読まなくてもわかる。この客人もまた、穏やかな口調とは裏腹に、明らかにガリーナを脅しにかかっているではないか。

「……わかっています。ごめんなさいジェイン、参りましょう」

 青ざめたまま、ガリーナは顔を上げた。ジェインと呼ばれた黒スーツが車椅子を押し、オーレグの横をすり抜けて部屋を出る。その刹那、オーレグは氷に触れたような感覚に襲われた。

――この女、魔女だ。なぜ最初から気づかなかったんだろう――

 同じことを感じ取ったのか、それまで黙っていたアントニーナが一歩進み出て、思いがけない言葉を放った。

「わたしも立ち会わせていただけないかしら、その検査とやらに」

 ジェインが立ち止まり、肩越しに睨み返す。

「何のために」

「友人として、水晶魔女の不安を和らげたいからですわ。よろしいでしょう? ガーリャ」

 ジェインから奪い取るように車椅子に手を掛けたアントニーナの顔からは、不信感がありありと見て取れる。だが、ガリーナは首を振った。

「ご心配ありがとう、トーニャ。でもわたしならひとりで大丈夫。検査が終わるまでここで待っていてくださる?」

 なぜ、と言おうとしたアントニーナの手を、ジェインが押し返した。

「わかってやんなさいよ、お嬢ちゃん。あんたならどう、みっともない格好で全身の骨や内臓まで透視されてる姿を、人目に晒せる?」

 絶句したアントニーナに、ジェインは冷たい笑みを投げた。

「結局その程度なのよ、ジグラーシ魔女は。友人なんて言ったって何もわかっちゃいない。まあ所詮この子は人身御供だものね」

「ジェイン」

 クレーブが顔の前で人差し指を振り、眉をしかめてみせた。余計なことを言うな、という意味か。軋みながら再び動き出した車椅子は、魔女の硬い靴音と共に廊下に消えた。



 黒い長いテーブルを挟んで、クレーブは得々とビジネスの話をしている。伯母のガートルードは相槌を打つでもなく、冷え冷えとした水色の目で相手を見返しながらジグラーシ流の紅茶を黙って口に運んでいる。

『なにが女史よ、あんな女がこの国で認められた魔女だなんて。さっきの下品な発音聞いた?』

 オーレグにだけ聞こえるようにつぶやきながら、アントニーナはジャムには手を付けず、紅茶を無意味にかき回している。隣でそれを見ながら、オーレグはただ自分の無知と無力を呪っていた。


 クレーブと伯母の会話の内容から、『水晶魔女』の何たるかはおぼろげに解ってきた。

 水晶を育てる、というのは比喩でも何でもない。ガリーナの身体は、末端の組織から徐々に水晶に置き換わっているらしい。やがて遠からず、自ら水晶を生み出すまでになるだろう。

 魔女が予知や探索などの魔法を行使する際の、重要な仲介者して扱われてきた不思議なる鉱物、水晶。そしてこの世に生まれた時に水晶の精霊と契り、水晶を育てるためにだけ生き、純粋水晶を生み続けることでジグラーシ魔女を支えてきた代々の水晶魔女。

 ガリーナが特別な存在として尊ばれているのは、特別な荷を負わされているからに他ならない。100%混じり気のない純粋水晶は、水晶魔女からしか生み出されないのだ。


『ママもママよ。大切な水晶魔女を、なんだって世俗の人間の前に出すわけ? 商人と契約なんてどういうこと?』

 アントニーナが不満を吐き出すのも知らず、クレーブは一方的にまくし立てている。

「……とにかく、天然水晶の輸入が止まってからというもの、通信機械の開発は危機的状況と言えますな、ご婦人方には興味のない話でしょうが。敵国では既に人工水晶の育成実験に成功した者もいると聞き及びます。遅れを取ってなりませんぞ。ご存じないでしょうが、わが国の技術力は後発ながらも他国に決して引けをとらない。なんとしてもここは、より純度の高い水晶を確保し、より高性能な水晶振動子をですな……おっと、しゃべりすぎたようだ。魔女さんにはご理解いただけない話でしたな、はっはっは」

「ええ。私どもはそういった方面に疎いもので」

 ガートルードは、にべもなく答えて鬱陶しい話をやっと終わりにした。

「検査が終わるまでにはまだ時間がありますわね。アントニーナ、クレーブさんにお庭を案内して差し上げて」

 はいママ、と短く答えて、アントニーナは素直に立ち上がった。大魔女のガートルードが娘を愛称で呼ばない時は、機嫌の悪い時だ。口答えなどしないほうが得策だろう。


 オーレグはこの期に乗じて、こっそりと楡の木に向かった。

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