行きて戻る時計

 ガリーナの部屋は、何も変わってなかった。

 由緒ありげな調度の数々、木製の車椅子、色とりどりのリボンまで全て置いたままだ。よほど急いで移動したのだろう、レース天蓋の下のベッドが寒々しかった。

 扇形の時計の針はもうすぐ12を指そうとしている。


「オーリャ、おまえには鏡の役目をしてもらいましたよ」

「鏡?」

「ええ。あまりにも無垢で透明な水晶は、光を飲み込むことも跳ね返すこともできない。鏡となる者がいて初めて輝くのですよ。それにおまえは、ガリーナとよく似ていますからね」

 思いがけない言葉に、オーレグは首を振った。

「まさか、どこが? 確かに目の色や髪の色は似ているけどさ。僕の髪なんてもとは黒色だったって伯母さまも知っているでしょう。小さい頃に熱病になってから色抜けしたんだ」

 肌の色も違うし、とオーレグは唇をかんだ。ガリーナは光に透けそうな白い肌をしていたが、自分は東洋人の父親に似たらしくペイルオレンジだ。


「何を言っているの。水晶魔女に髪なんて無いわ、昔からそういう決まりよ。何のためにいつもボンネットを被っていたと思うの」

 咎めるようなアントニーナの言葉に、オーレグは目を見開いた。

「トーニャこそ何いってんだよ、ガーリャは綺麗な銀髪だったろ? ふわふわの巻き毛で、帽子からこぼれるほど長くて」

「なんのこと? あんた何を見てたのよ」


 言い合ってもらちがあかない、とオーレグは指を弾いた。秒を置かず手の中に一枚の紙が現れる。つい先刻まで自室にこもって懸命に描いていた少女の姿がそこにあった。鉛筆しか使えないのが悔しかったが、濃淡の変化だけで銀髪の輝きを苦心して表現したつもりだ。


 絵を覗き込んだアントニーナは困惑顔をしている。

「私が知ってるガーリャじゃない……あの方はもっと大人よ。こんな幼い顔で、こんな長い巻き毛だったっていうの? あんたにはこんな風に見えてたってこと?」

「この子は鏡だと言ったでしょう」

 ガートルードが静かな声で言った。

「私たちの見ていた水晶魔女が本来の姿だったかどうか、誰が証明できますか。オーリャの目は人の本心を見てしまう。この絵のような姿が見えていたのだとしたら、それこそが水晶魔女の本心そのままの姿だったのかもしれないわ」

「そんな……」

 戸惑いつつ絵に見入っていたアントニーナが、我に返ったように首を振った。


「どっちにしろ、水晶魔女の絵を描くなんて不敬よ。記録は一切残しちゃいけないの」

「知ってるよ。でもこれは……」

「人のことを言えた義理ですかトーニャ。なんです? これは」

 ガートルードが厳しい顔をしてベッド脇の盆を爪で弾いた。乾いた盆の上に湧きだすように、水滴で書いた文字がいくつか浮かび上がる。あっと口元を押さえてアントニーナがうろたえた。

「そ、それは……だって、ガーリャが文字を書いてみたいって仰ったから」

「水晶魔女自らが書いたのね。拭き取れば跡が残らないと思っていたなら、浅慮ですよ」

 ガートルードが再び爪を弾くと、文字は虚空に浮かび上がり、霧のように消えた。


 アントニーナはしばらく唇を噛んでいたが、上目遣いで言い返した。

「でも、水晶魔女の望みはなるべく叶えてさしあげなくては。それが私たちの務めだもの。そうでしょう?」

 負けん気の強い娘の言葉を呆れ顔で聞いたガートルードは、ふーっとため息をついた。

「まったくうちの子たちときたら、揃いもそろって……さあもう時間だわ。おしゃべりの口を閉じて」


 扇形の時計が鳴り始めた。

 一本だけの針がぴったり12を指し、十二回……ではなく、十四回。

 鳴り終えると、発条バネが弾けるような音と共に針が一気に0まで戻り、それきり動かなくなってしまった。


 オーレグは胸騒ぎを覚えて伯母の顔を見上げた。しかしガートルードは人差し指を口元に立て、厳しい表情で言い渡した。

「客人が来ます。水晶魔女の秘密を知るお方ですからね、二人とも目を伏せて最敬礼でお迎えするように。オーリャ、絵をしまいなさい。それからけっして心を読んではなりません」


 次の間のドアに光る線が走り始めた。それはゆっくりと円形の複雑な紋様を描く。やがて光が収まると、音もなくドアが開いた。

 灰色のフードを目深に被り、一人の年老いた魔女が現れた。魔女はオーレグなど目に入らないかのように、軋むようなジグラーシ語で呟いた。

「やれやれ。今回も無事に終わったようであるのう」


 ガートルードは膝を屈め、右手を胸に最敬礼の姿勢でお辞儀をし、やはりジグラーシ語で答えた。

「ええ。そして。初代リュドミーラ様」

「そうであったの」

 灰色の老魔女はずかずかと部屋に入り、壁に手を伸ばして時計を外しにかかった。


「なにすんだ! それはガーリャのものだ!」

 礼儀など忘れて思わず抗議すると、灰色の魔女は初めて気づいたかのようにオーレグを見た。

「このわらべは?」

「初代ワレリー・ガルバイヤンの娘たる賢女オーリガの息子、オーレグ・ガルバイヤン。私の甥ですわ」

 流れるようにガートルードが告げる。ジグラーシ流の名乗りというやつだろう、オーレグは初めて聞いた。


「ふん、雷使いの孫というわけか」

 灰色の魔女はフードの奥で鼻を鳴らし、からかうような調子で問いかけた。

小童こわっぱ、お前はこれが何かわかっているのかえ」

「行きて戻る時計……です」

 答えながらオーレグはガリーナが見せてくれた小さなペンダント時計のことを思い出していた。

「ほほっ名前くらいは知っていたか」


 灰色の魔女はアントニーナにもちらと目を向け、ガートルードに訊ねた。

「どうせ今時のわらべどもは水晶魔女の秘密など深く知らぬのであろ、この婆が語ってやろうか、それとも三世代目ともなればジグラーシ語など解らぬか、んん?」

 なにやら楽しそうな老魔女に目を合わせないまま、ガートルードは答えた。

「有難いことですわ。ご心配なく、我が子たちにはジグラーシ語も使えるよう教えて参りましたから」


 皮肉交じりとも聞こえる答えにフンと鼻を鳴らし、老魔女は時計を見上げながら手短に語った。

「水晶魔女として生まれた者はのう、十三から歳を取ってはならぬ。毎年毎年、この時計と共に十二か月を生きて、水晶を生み出したのちにまた十三の心と身体に戻る。記憶さえ古きものを捨て、新たな十三歳の魔女として一年を生き、また水晶を生み出す。その繰り返しよ」

 オーレグは息を呑んだ。

 いつかガリーナが話してくれたおとぎ話と同じではないか。水晶の砦の中で永遠に十三歳のままで生きる水晶魔女……架空の話ではなかったのか。


「じゃあガーリャ……ガリーナ嬢は、わたしたちのことも忘れてしまう?そして永遠に十四歳になれないのですか?」

 老魔女の話に戸惑っているのはアントニーナも同じようだった。

「嘘だ、先代の水晶魔女は十四の頃にいくつも水晶を生み出したってガーリャは言ってた。ガーリャだってきっと」

 納得できないオーレグを面白がるように、老魔女はくくくと笑った。

「それは先代魔女の話を伝えた者がジグラーシ齢で歳を数えたのであろ。生まれた年を一歳として数えるなら、十四と言えば現代齢の十三と変わらぬ。まだ我らジグラーシ魔法族がこの国に移り住む前の話よのう、懐かしのう」


 アントニーナは空っぽの車椅子を見ながら頭を振った。

「そんな……忘れてしまうなんて。わたしを友人と呼んでくださったのに」

「ほほっ、今のガリーナはもうわえ。これ小娘、手をお貸し」

 小娘と呼ばれてムッとした顔をしながらも、アントニーナは時計を壁から外すのに手を貸した。


「裏側のこれを知っていたかえ?」

 魔女が示した時計の裏側には金色の線がびっしりと何本も引かれていた。一番下には装飾文字で100という数字も見える。

「初めの十三歳から一年に一本ずつこの線は刻まれる。そうして百年の年が刻まれたら、水晶魔女もやっと代替わりよ。水晶の因果から離れ、ただの人間となり時は進み始める。その後どれだけ生きるかは知らぬがの。ガリーナは今回で最後の水晶を生み出して、これでお役御免というわけじゃ」


 次の間のドアが再び光り始めた。さっきの紋様が浮かび、いきなり大勢の魔女がなだれ込んで来た。

「水晶が消えた! どういうことじゃ!」

「ジェインの報告では大粒の結晶があったはずじゃぞ!」

 皆一様に灰色のフードを被り、古木のような膚をしている。ガートルードは膝を屈め、冷静に挨拶した。


「これはこれは『転移の魔女』のかたがた。どうしました、まだお仕事の途中では?」

「その仕事ができぬと言うとるのじゃ。水晶はどこへ行った、お前がネコババしたのではあるまいな」

「滅相もないこと。水晶の所在はこの家から送り出す時にリュドミラ様が確かめたはず。権威ある初代様のお仕事をお疑い? それこそおおごとですけれど」

 表情ひとつ変えない冷たい声に、灰色の魔女たちがざわついた。ガートルードは眉をあげ、窓の外の闇を見ながら続けた。

「おお、それとも本当に消えてしまったのかもしれませんわ。なにしろ契約相手のクレーブがこの世から消えてしまったのですから。相手のいない契約なら、最初からなかったことになりますわねえ」


 冷静な声でしれっと大変なことを言うガートルードに、灰色の魔女たちはてんでに非難の声をあげる。が、リュドミラと呼ばれた老魔女はしばらく沈黙したのち、高笑いした。

「そういうことか、ガートルード。さすがは四十過ぎの若さで大魔女の位を得ただけのことはあるな……もう良いわ、我らがいま成すべきは次なる水晶魔女を探すことじゃ。今年十三になるジグラーシ魔女の中に『次なる者』はおるはずじゃ。皆の者、行くぞ」

 そしてフードを深く被りなおし、灰色の魔女たち引き連れて、次の間へと消えていった。


「痛み入ります、初代様」

 うやうやしく膝を屈めて魔女たちを見送ったガートルードは、紋様が消えたのを確かめると、ドアに両手を向けた。

 オーレグたちが見守る前で微振動が起こり、次の間はドアごと消えてただの壁になってしまった。


「永遠に探し続けるがいいわ。次の水晶魔女など、もう生まれるものですか」

 言い終わるとガートルードは気が抜けたように大きな息をつき、窓辺の椅子を引き寄せてどっかり座った。

 オーレグが初めて見る、大魔女ガートルードの消耗した姿だった。

 


 

 














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