水晶魔女 3

 窓の掛け金が外れる音がした。

 オーレグは楡の葉陰に身を隠して、伯母のガートルードが少しだけ窓を開き、風を入れようとするのを見た。


――いいえ、ベッドで休まなくても大丈夫。ええ、このままで結構です――


 か細い声が部屋の中から聞こえる。オーレグは部屋の中からは見えない位置でじっと息をこらし、楡の葉越しに耳をそばだてていた。


――お水をありがとう、トーニャ。でもしばらく一人にしてくださる? 水晶を育てるには、静かに瞑想できる時間が必要なの――


 小さいがきっぱりとした水晶魔女の言葉に従ってか、付き添ってきた二人が部屋を去る音がした。

 そっと部屋の様子を伺うと、車椅子に座ったままで目を閉じるガリーナの横顔が見える。木の細枝をちぎって窓ガラスにぶつけてみると、目を閉じたままの人形のような顔が笑いをこらえる表情になった。


「へーえ、水晶魔女って仮病の名人のことだったんだ」

 窓越しに掛けたオーレグの声に、ガリーナは驚くのではなく、笑い出した。

「ぷっ、ふふっ、あははははは」

 ドアの外を気遣ってか控えめな笑い声ではあったが、確かに血の通った、生気のある声だ。弱々しい病人の声ではない。オーレグがほっとして見つめる先でボンネット帽子を放り出し、細い腕で車椅子を操りながら窓辺に近づいてくる。

「わかっちゃった?」

「わかるさ。この葉っぱが教えてくれたんだ」

 オーレグは指に挟んだ楡の葉をかざした。葉脈に紛れて一見しただけでは分からないが、彼の目には不自然な二本の傷が見えている。

「魔女の爪印だ。嘘を見抜かれないための、目くらましの魔法に使うんだよね?」

「すごーい。その印、普通は気付かないものよ。オーリャったら目が良いのね」

「え、そ、そうかな」

 オーレグは戸惑い、なぜ顔が熱くなるのだろう、と思いながら目をしばたたいた。

 目が良いなどと褒められたのは初めてだ。母親譲りの水色の目は、時として他人の無防備な心を読んでしまう。伯母や従姉には、余計なものが見えすぎる、といつも文句を言われているのに。

「あのさ、この葉っぱ、僕が拾ったからよかったけど、他の人が拾ってたらどうするつもりだったの? ガートルード伯母さんが治癒魔法専門だって知ってるだろ。仮病なんてすぐ見抜かれちゃうのに、よっくもまあ大胆に……」

「だって退屈だったんだもの。それに水晶魔女の言葉を疑う魔女なんていないわ」

 平然と答えるガリーナの言葉に、今度はオーレグが吹き出した。

「悪ガキだ! なんだ、水晶魔女ってトーニャの言ってたのと全然違うんだな」

「そう? わたし、少しは悪い子になってる? 嬉しい」

 ガリーナは肩をすくめて顔を輝かせた。皮肉ではなく、悪ガキ呼ばわりされたことを本気で喜んでいるようだ。変な子だ。

 

 けれどオーレグには、この少女の言いたいことが少し分かるような気がした。

 『いい子』を演じることは、生きるために必要不可欠な技術だ。

 大人たちに見捨てられないために。

 無力な自分の居場所を確保しておくために。

 飢えないために。

 時にそんな自分が許せず、吐く息さえ嘘の色をしているのではないかと思って耐えられなくなる。オーレグはそういう時、思いっきり暴れ放題の不良少年になる自分を空想する。現実に行動に出る勇気はないけれど。

 こんな自分の嘘っぱち加減を誰かが見抜いて、あっさり『悪ガキ』と言ってくれたとしたら、それは痛みを伴う褒め言葉だ。

 ガリーナが嬉しいと言った時の表情の奥には、今にも壊れそうな薄い響板が見える。オーレグがずっと心に隠しているのと同じ質の、透明な響板が。


「猫のプロジーニィをテーブルの下に連れてきたのも、きみの仕業だろ」

「え? あれはガートルードでしょう」

 思いがけないガリーナの言葉に、オーレグは枝から落ちそうになった。

「まさか。あのお堅い大魔女が?」

「そうよ、わたしが妙なこと言って雰囲気が硬くなっちゃったから、あの猫ちゃんを使って場を和ませてくれたんでしょう。いい人ね、あなたの伯母様って」


 絶対にそんなはずはない、天と地がひっくり返ったって、あのガートルードがそんなユーモアを心得ているはずがない、と思いながらもオーレグはそれ以上言い返すのをやめた。どうでもいい、そんなことは。それよりも、昨日からずっと心に引っかかっていることを聞かなくては。

「あのさ、聞いていい? 水晶魔女って何のこと?」

「うーんと、そうね」

 ガリーナは小首を傾げ、窓の外の空を見上げながら答えた。

「水晶魔女っていうのは……水晶炉。それとも水晶畑、かしら」

「炉? 畑? なんだそれ」

「水晶を育ててるのよ」

 ガリーナは当たり前のことを問われたように不思議そうな顔をしている。水晶を育てる、とは何かの比喩だろうかと思いながらオーレグは尚も訊いた。

「水晶って育つもんなの? 生き物みたいに」

「もちろんよ。今はまだ小さいけど」

「育てて、どうするの」

「工房に運んで削りだすのよ。先代のルチルからは大きな水晶玉がいくつも採れたんですって」

 まるで謎掛けのような答えに、オーレグは混乱しそうになった。

「ええと、それじゃガーリャもいつか水晶の塊になって、ガリガリ削られて水晶玉になるってこと?」

「ううん、わたし自身は水晶玉にならなくていいの。ただクレーブ卿との契約は早く果たさなくちゃ。原石の輸入が止まっちゃったから、コベインの工場から催促されて大変みたい」

「コベイン? クレーブ卿?」

 オーレグは首を傾げた。

「あの町って、通信機械とかの軍需工場くらいしかないと思うけど。なんで魔女が必要なんだろ」

「だから、必要なのは魔女じゃなくて水晶。わたしはもうすぐ十四だから、純度を高くして、異物が混じらないように気をつけなくちゃね」

 眩暈がしてきた。本人に訊けば分かるだろうと思ったのに、これではトーニャの話以上に意味不明。どだい魔女に論理的な話をしろというのがムリなのだ。オーレグはそれ以上『水晶魔女』に関して訊くのは諦め、枝の上に座り直した。


「ガーリャってさ、一人で疎開して来たの? 家族は?」

「家族? よくわからない。養育係はいたけど」

 ふと、ガリーナの表情に翳がさした。触れてはいけない話題に触れたのだろうかと口をつぐんだオーレグの目の前に、手袋をしたままの細い手が差し出された。

「ね、この家にいる間は、わたしも家族ってことにしてもらっていい?」

「え……うん、いいけど」

 こういう場合、どうすればいいのだろう。

 ガリーナの言う『家族』という言葉は、オーレグと伯母と従姉を指しているのだろうが、果たして自分たちは本当に『家族』といえるだろうか。

 オーレグは目の前の細い手を見て戸惑った。

 握手は男性から求めるものではない。女性が手を差し出そうとするのを見逃さず、さりげなく、タイミングよく手を取らなくては、とさんざん伯母にも師匠にも教えられてきた。けれどオーレグはこういうのが何より苦手だ。かといって無視するわけにはいかない。


 心臓が跳ね上がるのをこらえながら同じように手を差し出し、ぎごちなく掌を合わせる。が、その途端、白い手袋の指は曲がり、オーレグの親指をぎゅっと押さえ込んだ。

「はい、わたしの勝ち!」

 そう言い放ったガリーナの顔は、さっきとは打って変わって悪戯っ子の表情になっている。

「ずるいっ、なんだよいきなり」

「知らないの、これはジグラーシの遊びよ。相手の親指を三秒以上押さえつけたら勝ちなの」

「知ってるよ、だからいきなりはずるい、それに痛いって!」

 オーレグは顔を歪めた。押さえ込まれた指が、石に挟まれたように変色してきた。冗談ではない。木の枝のように細い手の、どこにこんな力があるのか。

 手を放し、勝った勝ったと笑っているガリーナの顔には、さっきの翳りは見えない。

「……やっぱり悪ガキだ」


 

 夕風が早くも吹き始めている。ガリーナがぶるっと身を震わせた。

「窓、閉める?」

 言ってしまってから、オーレグは後悔した。さっきみたいなのはごめんだが、窓なんか閉めたら話もできやしない。もっと話していたい――表情に出したつもりはなかったが、ガリーナはオーレグの気持ちを理解したように明るい笑顔を向けて言った。

「ううん。寒くても風が入るほうが好き」

「あ、わかる。僕も同じだ。よく窓を閉め忘れて風邪ひきそうになるよ」

「息が詰まるのよね、部屋の空気が動いていないと」

「そう。それも同じ」

 窓を挟んで、二人は同時に笑った。

 風に紛れて楡の葉が一枚、オーレグの肩先をかすめて窓の中に舞い込む。

「あ、葉っぱが」

 オーレグは楡の葉を追いかけて手を伸ばした。が、目に見えぬ壁に阻まれて手は弾き返されてしまった。昨日と同じだ。さっきまでの楽しい思いは急に萎み、少年の胸の中に冷たい塊が湧いてきた。

「この『防壁』の魔法ってさ、意地悪だ。ガーリャと楡の葉は自由にこの窓を出入りできるのに」

 見えない壁に手を当てたまま、彼はうつむいた。

「うん、わたしを守るためだってわかってるけど、ちょっと不便、かな」

 ガリーナも視線を落とし、舞い込んできた楡の葉を指先でつまみ上げ、唇に近付けるような仕草をする。

 面白くない思いで、オーレグは少女の細い指に捉えられた楡の葉をじっと見た。


「窓、やっぱり閉めておいたほうがいいよ」

 そう言って急に窓から離れ、木から降りようとするオーレグに、ガリーナは驚いたような目を向けた。

「オーリャ、もっとおしゃべりしたいのに」

「伯母さんに見つかったらうるさいから」

 ぶっきらぼうに言って木から飛び降りたものの、そのままでは立ち去り難く、オーレグはちらと二階の窓を見上げた。ガリーナの顔は見えず、代わりに白い手袋が揺れているのが見える。車椅子から立ち上がれない少女の、精一杯の挨拶なのだろうと思うと少し胸が痛んだが、彼はそのまま踵を返して庭を巡る小道に向かった。

 

 自分が入ることを許されない少女の部屋に、気まぐれな風と共に自由に飛び込めるもの――薄い楡の葉一枚に嫉妬を覚えたと言ったら、ガリーナは笑うだろうか。

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