砦の中に微笑む

「ああ、使える紙が少なくなってきちゃったな……」

 オーレグはここ数日の間に描き溜めたスケッチ画をまとめて、不器用な手つきで綴じた。

 伯母の家へ来てすぐに絵の具や画帳は取り上げられたが、絵を描くことまで禁じられたわけではない、と彼は勝手に(しかしこっそりと)解釈していた。だからマーシャが買い物に出る時に頼んで、広告紙だろうが荷造り用の紙だろうが裏側が使えそうな紙はなるべく多く集めてもらい、それに鉛筆やペンで単色のスケッチを描き続けていたのだ。

 多くは窓から見える庭の景色や部屋の中の静物だが、中に描きあぐねている絵が一枚。

「やっぱり本人が目の前に居ないと駄目だよな」

 オーレグはぐしゃぐしゃになった紙を前にしてため息をついた。何度描き直しても形にならない少女像、ガリーナの横顔がそこにあった。

 

 毎日午後のお茶が終わると、ガリーナは『瞑想』と称して独りで部屋に篭る。伯母のガートルードは他の魔女たちを集めて、何かしら討議をするために地下の広間へ移動する。その間数十分、オーレグの行動をとやかく言う者はいない。『水晶魔女』ではない素顔のガリーナを間近に見られる貴重な時間だ。楡の木に登り、二階の窓に向けて合図すると、ガリーナはいつも安心したように、解放されたように、無邪気な笑顔を向けてきた。

 とはいっても、相変わらず『防壁』の魔法は掛けられたままだ。木の枝と部屋の中とから、窓を挟んで話をするくらいしかできないのだが。他愛ないおしゃべりをしながらも、オーレグはガリーナの笑顔を覚えておこうと努力した。なのに自分の部屋に戻ってから描く少女像は、ちっとも思い通りの表情にならない。

 こうではない、一番描きたい、一番可愛らしい表情はこんなのではない。オーレグはイメージ通りに描けない自分のあまりの未熟さに苛立ち、鉛筆を放り出し、ふてくされながら、明日こそはガリーナ本人の目の前でちゃんと描こうと思うのだった。


 ところが実際に窓の内側で銀色の巻き毛が揺れているのを見ると、オーレグは絵などそっちのけで、わざと突然葉の陰から顔を突き出したり、上の枝から逆さまにぶらさがったりして驚かせることに躍起になった。ガリーナが大声を出しでもすれば、たちまち伯母か従姉に見つかって叱られるだろうに、ばかな事をしていると自分でも思うのだが。

 小さな口元を両手で押さえて笑い声を必死にこらえる仕草を見ると、もっと笑わせたくなる。何度でも木にぶら下がり、時には猿の真似をし――そのくせ、

『君の絵を描かせて』

 この簡単な一言はなかなか言い出せずにいた。


「水晶魔女ってさ。あんなに魔女たちに尊ばれているのに、肖像画とかないんだね」

 ある日、オーレグは遠回しに聞いてみた。

 ガートルードの屋敷には、居間や広間に歴代のジグラーシ魔女の絵が掛けられている。その中に水晶魔女らしき絵はひとつもないのが不思議だった。

「ええ、ないの。水晶魔女は水晶以外のものを残すことを禁じられているから」

 ガリーナは無邪気な表情のままで答える。オーレグは目を見開いた。

「水晶以外、何も? 絵とか、写真とかも? 先代とか、もっと前の魔女も?」

「そう、水晶魔女にかんする記録は残しちゃだめ。あ、でもお話は残っているのよ。うんと小さな頃に聞いたお話。聞きたい?」

 もちろん、とオーレグは楡の枝に座りなおした。うんと長い話ならいいな、と思う。だってその間、ずっとガリーナの顔を見つめていられる。

 窓の内側で控えめな咳払いがひとつ。綻びかけた秋バラよりも小さな口元が、淡々と語りはじめた。



――むかしむかし、ジグラーシのある村を、一人の娘が歩いておりました。

娘は歩くうちに道に迷い、日が暮れる頃、水晶の谷に迷い込みました。

夕闇の中でさえ輝く水晶の美しいこと、娘は心を奪われて、しばし腰を下ろして佇みました。

娘は十三、もうすぐ嫁ぐことになっておりました。

嫁ぎ先はこの辺りを治める領主です。

お爺さんほどの年寄りで、顔も見たことのない相手なのです。

明日は十四の誕生日、領主から迎えが来る日です。

娘はわが身を嘆いて言いました。

どこにも嫁ぎたくない、十四の誕生日なんて来なければいいのに!

この清らかな水晶に囲まれて、もうずっと十三歳のままでいられたら、どんなにいいだろう!

すると娘の前に水晶の精霊が現れて言いました。


その願い、聞き入れよう。

代償として、お前の髪をここに置いていくが良い。

さすればお前は、これから先どこにも嫁がされることなく、十四の誕生日を迎えることもなく、水晶と共に生きるであろう。


目の前には水晶の小刀ナイフが光っていました。

娘は喜び、腰まで伸びていた長い髪を迷うことなく切ると、精霊に捧げました。


翌朝家に帰ると、娘の親は短くなった髪を見咎めて怒りました。

もうすぐ領主の迎えがくるのに、これでは髪が結えやしない!

娘は理由を言おうとしましたが、口の端から出るのは言葉ではなく、きらきらと輝く水晶でした。

もうお父さまともお母さまとも言えません。

瞬く間に娘の周りには剣のような水晶が降り積もりました。

やがて迎えに来た領主の家来が娘を輿に乗せようとしましたが、尖った水晶に阻まれて、思うようになりません。

領主が手勢を連れてきましたが、どんな剣も斧も水晶を砕くことはできず、それどころかどんどん水晶の山は大きくなり、砦のようになりました。

とうとう怒った領主が、自ら斧を振るって水晶を割ろうとしました。

水晶は割れずその代わりに、跳ね返った斧もろとも領主は飛ばされて、そのまま深い谷底に落ちてしまいました。


その後誰も、娘に会うことは叶いません。

娘は今も水晶の言葉を生み出し続け、水晶魔女と呼ばれているということです――



 おしまい、と言ってガリーナはくるりと目を動かした。

「え、それで終わり? 続きはないの?」

「そう、これでおしまい。めでたしめでたし」

 オーレグは楡の葉を揺らして首を振った。

「それはないよ。普通はさ、そのあと勇者がやってきて娘を救い出したりするんじゃないの?」

「救うって、何から?」

 今度はガリーナのほうが不思議そうに目を丸くした。

「娘は望み通りになったの。ずっと清らかな水晶に囲まれて生きていくのよ。その後も末永くね」

「ずっと? 十三歳のままで?」

「そうよ、永遠に十四歳の誕生日は来ないの」

 夢見るように頬杖をつくガリーナの目に曇った色はない。その薄い水色と目を合わせるオーレグの背中に、ひやりとしたものが走った。

「おとぎばなし……だよね?」

「ふふ、そうよ安心して。わたしは言葉の代わりに水晶を吐いたりしないもの」

 微笑む笑顔はいつも通りだ。オーレグは窓枠に手を置いて精一杯顔を近づけた。

「ガーリャはもうすぐ十四って言ったよね? おとぎ話とは違って、誕生日が来るんだよね? その日はマーシャにうんと大きなケーキを焼いてもらってお祝いをしようよ。きっとだよ」


 ガリーナは答えないままで笑っている。せめてこの前のように手を差し出して、約束の握手をしてくれればいいのに。喉元まで出かかった言葉を、オーレグは不安なままで飲み込んだ。

 オーレグの心の内を知ってか知らずか、窓の内側のガリーナは、僅かな光さえ味方につけたかのように愛らしく、そこにいる。

 

 

 





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