水晶魔女 2
翌日の朝食は、母国ジグラーシの伝統食、麦粥だけだった。
祖父の時代に母国の動乱を逃れ、この西の果ての国に移り住んでからも、頑なに続けられている質素な朝食だ。まあ、はっきり言って成長期の男の子には全然足りない。ソロフ師匠のところでは少なくともあと一品くらいはついたのに、と文句を言いたかったが、オーレグは黙ってスプーンを口に運んだ。下手に何か言って伯母の機嫌を損ね、二日続けて食事抜きの罰をくらうのはゴメンだ。
ふと顔を上げると、伯母の隣が空席だった。客人であるはずの少女の姿が無い。
「伯母様、あの子は?」
率直な疑問を口に出したオーレグに、大柄な魔女はじろりと水色の目を向け、重々しく言った。
「ガリーナ嬢は自室で食事をとることになっています。お前は心配しなくてよろしい」
「でも、お茶はご一緒できるわよね?」
アントニーナは期待を込めた表情で目を輝かせている。『ご一緒』だって? とオーレグがいぶかしがるのをよそに、さらに興奮した様子でしゃべり続ける。
「お食事のことは残念だったけど、夕べはずいぶん親しくお話できたのよ。水晶魔女があんなに気さくな方だとは思わなかったわ。『ガーリャ』って愛称で呼んでいいんですって。私のことも友達みたいに、トーニャって! 魔女仲間に鼻が高いわ」
「おしゃべりはそのくらいにして、ちゃんと食事を終えなさい」
厳しい声で話を遮り、大魔女ガートルードは二人の顔を見ながら言い渡した。
「良いですか、水晶魔女は確かに尊ぶべき存在ですが、必要以上に崇めることはなりません。ここで預かった以上、
言い終えると、大魔女はナフキンで口元をぬぐい、さっさと席を立ってしまった。
「ねえ、水晶魔女って?」
食事がおわるのを待ちかねて、オーレグは従姉に聞いてみた。
「生まれながらに尊ばれるべき、選ばれた存在よ。そうねえ」
アントニーナは自分のことのように得意げに眉をそびやかした。
「私たちとは住む世界が違うし、まず普通なら話もできないわね。でも先月ブラスゼムが空爆に遭って、危険だからってここに疎開していらしたのよ。ママはあんなふうに言ってたけど、うちであの方のお世話ができるなんて、名誉なことには違いないわ」
「だから、何でそんなに尊いのさ」
首をかしげてさらに聞きつのると、アントニーナは呆れたように眉をしかめた。
「ばかねえ、水晶魔女だからに決まってるでしょう。わかんないの?」
何たる堂々巡り。オーレグは頭が痛くなってそれ以上聞くのを諦めた。魔女と話をするのは、これだから疲れる。
一般の人間とは違う価値観を持ち、閉じた社会の中で生きるジグラーシ魔女たちは、自分たちの暗黙の了解は当然周りにも了解されるものだと思っているらしい。だからいきおい、彼女たちの話は暗号のようにチンプンカンプンで、それが度々オーレグを苛立たせる。同じように魔法を生業としているように見えて、魔法使い(ウィザード)と魔女(ウィッチ)はかくも違うものか。男のウィッチというのもたまに存在するが、少なくともオーレグには向いてないように思えた。
こうなったら直接ガリーナに聞いてみよう、そう思ったのだが、それは適わなかった。
二階の廊下は、階段を境に居間やオーレグの部屋がある南側と魔女たちの部屋が並ぶ側とに分かれているのだが、オーレグが階段の向こうへ行こうとすると、昨日と同じように見えない障壁にぶち当たってしまった。これには呆れた。親族だというのに、これではまるで自分は除け者ではないか。憤慨したオーレグは、楡の木に登ることもせず、半日部屋に立てこもってスパークを飛ばす魔法の練習に時間を費やした。
お茶の時間がこんなに待ち遠しかったことはない。
午後、マーシャに呼ばれて飛ぶように居間へと向かったオーレグは、けれど、そこに集まった面々を見て軽い失望を覚えた。伯母や従姉だけではない。いつの間に集まったか、田舎の年取った魔女たちがテーブルを囲み、興味津々といった顔で『水晶魔女』を見ている。
古い木製の車椅子に座るガリーナに、昨日のような無邪気な笑顔はなかった。最初に見た時と同じ、光に透けそうに淡く、現実感のない人形のような表情だ。昨日と同様、古風な襟の高いドレスにボンネット帽子を着けている。さらによく見ると手袋まで。これには同席した魔女たちも面食らったようだ。
『ねえママ、私たちも帽子と手袋をつけなければ失礼だったかしら?』
『必要ありませんよ、貴族ではあるまいし』
伯母と従姉が声を殺して慌てているのがオーレグには可笑しかった。霊感を髪に宿し、爪の先で魔法を行使するジグラーシ魔女たちにとって、帽子や手袋は、外出時以外には無用の長物、いや邪魔にさえなる。少なくともこの家の中では、魔女が手袋をつけているところなぞ見たことも無い。失笑をこらえていると、ガリーナが愛らしい声で告げた。
「ごめんなさい。わたし、もうあちこち水晶化が始まっていますの。だからこのままでお茶を頂きますわね」
はっと息を呑む気配と共に、魔女たちの周りの空気が固まるのがわかる。
水晶化って? と思わず口に出そうとしたオーレグの足元で、素っ頓狂な猫の声が響いた。
「これプロジーニィ、いつの間に!」
鍋底の煤を塗りたくったような顔のぶち猫が、テーブルの下に鎮座している。マーシャがその首根っこを摘んで引っ張り出すと、猫はさらに頓狂な声で応じる。一同に笑いが起こった。
失礼しました、と言ってマーシャが部屋を出る頃には、場の空気がいくらか和んだ。
――わざとだ。あの猫、いつもは暖炉の前から動かないのに。
誰が魔法で猫を移動させて、場の空気をかえようとしたのかは予想がつく。オーレグは少し表情を緩めた。
お茶の時間は、極めて上品に、そつない会話と共に――つまりは退屈きわまりない魔女のおしゃべりと共に――過ぎてゆく。肝心のことを聞きそびれたオーレグは不満を込めてガリーナを見るしかない。
水晶魔女だか何だか知らないが、立ち居振る舞いや言葉遣いから察するに、ガリーナがいわゆる『良い育ち』なのだろうということは想像できる。けれど所詮は自分と同じような移民の子孫、まして魔女の狭い世界でやんごとなき身分のお姫様でもあるまいし、何を取り澄ましているのだろう。
明らかに年下の少女に対して、慣れない公用語を使ってまで上品ぶっているアントニーナもおかしい、楡の木から落っこちそうになったお転婆ぶりを微塵も見せず、人形のように大人しくしているガリーナもおかしい。いっそ昨日の二人が見せたあれやこれやを、皆の前でばらしてやろうか。
訳のわからぬ苛立ちの中でオーレグがとうとう口を開こうとした時、ガリーナの手から音を立ててカップが滑り落ちた。
「あ、ごめんなさい……気分が悪くて」
消え入りそうな声で口元を押さえる少女の両脇でガートルードとアントニーナが立ち上がり、そそくさと車椅子を押して居間から出て行った。残された魔女たちに心配そうなさざめきが起こる。
一歩遅れて立ち上がったオーレグは、車椅子から何かがひらりと落ちるのを見とめた。拾い上げてみると、楡の葉が一枚。
怪訝な思いで葉の表や裏をつくづくと見た彼は、やがてあることに気づき、周囲にわからないように笑いを噛み殺さなくてはならなくなった。
――なにが気分が悪くて、だ。あのオテンバ!
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