エスケープ 1

 ガリーナの部屋の窓は、きっちりと閉ざされていた。時折、分厚いカーテンの向こうに淡い光が灯り、また消える。あのジェインという魔女が『透視』をしているのだろう。

 透視魔法を使う魔女は、決して珍しくは無い。ただ、骨や内臓の具合まで細かく見通すとなると、治癒魔法に長けた伯母のガートルードでさえ無理と聞いている。そんな高度な術の使い手がいるとは。初対面で相手に魔女と気づかせなかった用心深さといい、この国の魔女界はどうなっているのか。オーレグは自分がどれだけ狭い世界しか見ていなかったかを思い知らされた気がした。

 光の明滅は、終わったかと思えばまた時間を置いて繰り返される。なかなか開かない窓を見つめて、じりじりしながら待つしかない。


 どのくらい待ったのだろう。

 やっとカーテンが開き、ガリーナの細い手が窓を押し上げようとするのが見て、オーレグは思わず手を貸した。

「オーリャ」

 ガリーナが驚いて目を見開いたのは数秒のこと、そのまま視線を落として黙ってしまった。ジェインの姿はもう無かった。部屋の中もガリーナ自身も、ボンネット帽子を外している他はいつもと何も変わりない様子だが、沈み込むような空気が流れ出てくる。

「結晶に欠陥があるって言われたの」

 独り言のように、ガリーナはつぶやいた。

「わたしの水晶はとても育ちが遅くて、おまけに余計なものが混じってるんですって。結晶が小さなうちに一度分解してやり直さないと、使い物にならないって叱られちゃった。右足なんてこれで三度目よ」

 オーレグは眉を寄せ、ガリーナの動かない足のことを考えた。ドレスの下で厚ぼったい靴下やブーツに護られている彼女の足は、一体どうなっているのだろう。

「よくわかんないけど……結晶を分解とか、やり直すとか。それって痛くないの」

「ふふ大丈夫、神経なんて通ってないわ。膝から下はとうに人間の足じゃなくなってるもの」

 ガリーナは顔を上げて笑いながら答えた。口元を捻じ曲げた妙な笑顔だ。だがオーレグと目が合った途端、その表情はみるみる崩れて両眼から涙が溢れ出した。

「きらい……だいっ嫌い、ジェインなんて!」

 窓の傍の小さな手に、いくつもの雫が降る。

――あの魔女、何を――

 オーレグは歯を噛み締めた。ジェインの言う検査とはつまり、全身を透視してどこまで水晶が育ったかを調べることだろう。透視魔法自体は相手を傷つけるものではないはずだが、もしもあの魔女がガリーナに何らかの苦痛を与えたのだとしたら、許さない。


 オーレグが拳を固めているのを見て、ガリーナは首を振った。

「ううん、ジェインは優秀な魔女よ。でも……あの手は冷たくてぞっとするの! それにわたしのことをいつも、汚ない石ころでも調べるみたいな眼で見て……ブラスゼムに居た時からそう。あの眼が怖くてたまらない。一生懸命水晶を育ててるのに『これも欠陥、あれも欠陥』って言われると消えてしまいたくなる……」

 ガリーナは両手で顔を覆って泣きじゃくりはじめた。オーレグは思わず手を伸ばそうとして、忌々しい見えない壁に弾かれてしまった。

「ごめんなさい。わたし、おかしなこと言ってる。水晶魔女にふさわしい言葉じゃないわ……こんなだから結晶に余計な物が混じるのよね。水晶魔女は泣いたり怒ったりしてはいけないのに。先代のルチルならもっと大人で、十四の頃には純度の高い水晶をいくつも生み出していたのに」

「馬鹿いうな!」

 オーレグはたまりかねて窓枠を叩いた。

「先代のことなんて知るか、そんな意地悪を言われて笑っていられるほうが変だ。後でジェインに会ったら言ってやる、『お前のほうがよっぽどブサイクな欠陥魔女だ』って!」

 一生懸命憤るオーレグに、ガリーナは涙を拭いながら笑顔を見せた。いや、泣いているのかも知れないが、表情は『笑う』形になっている。こんな時くらい泣き顔を見せても誰も責めないのに、これが『水晶魔女』に染み付いた習い性なのだろうか。

 この子は人身御供と言ったジェインの言葉が、今更のように痛みを持って蘇ってくる。

 人の体内で鉱物を作るなど、それだけでもおぞましいことなのに、さらに今大人たちは水晶魔女の力をビジネスとやらに利用しようとしている。ガリーナはどんな思いで自分の立場を受け入れているのだろう。


「……外に出たい」

 ガリーナがぽつりとつぶやいた。そういえば、とオーレグは改めて部屋を見た。この家はなぜ、居間も寝室も全て二階なのだろう。せめて一階の部屋だったら、車椅子を押して散歩に連れ出すのに。昨年まで気に入っていた北向きの部屋は、こうして見ると暗くて陰気だ。可愛らしい壁紙やらお姫様みたいな装飾を凝らしたところで、そらぞらしいばかりだ。格子の無い牢のようにさえ見える。


「飛べよ、ガーリャ」

 オーレグは窓の中を見つめて言った。

「最初に会った時みたいにさ。この木の枝まで飛ぶんだ。そんな鬱陶しい部屋、今すぐ出ちゃえ」

 まだ涙が残ったまま、驚いたような水色の瞳が見つめ返した。

「できるかしら」

「できるさ。ガーリャは優秀な悪ガキだろ」

 悪ガキ、という言葉にガリーナはやっと本当の笑顔を見せた。

「やってみる。オーリャ、手伝って」

 オーレグは左手で楡の木につかまり、しっかりと座りなおしてから右手を伸ばした。窓の内側ではガリーナが目を閉じ、何事かつぶやいている。やがて銀色の巻き毛がさわさわと逆立ち、細い肩の周りが光の帯に包まれた。

――飛べ!

 オーレグが心の内で叫ぶのと同時に、窓辺の光がふっと消えた。次の刹那、木の葉が音を立てて散り、腕の中に重量を感じる。彼はそれを落とさないように夢中で引き寄せた。

「飛べた!」

「やったあ」

 二人同時に叫んで笑いながら背中を叩き合った。

 

 風が、人の話し声を運んできた。おそらく庭を案内するアントニーナとクレーブだろう。水晶魔女を連れ出したのがばれたらただじゃ済まないな、とオーレグは思ったが、あのいけ好かないクレーブの鼻を明かしてやりたい気持ちのほうが勝った。いつまでもこうしてはいられない。

「ガーリャ、もっと遠くまで飛べる?」

「わ……かんない。やったことないから」

「じゃ、僕につかまって一緒に念じて。これでも飛行術は得意なんだ」

 促されるまま、ガリーナは素直に腕を回してきた。一瞬、少女らしい柔らかさを予想してオーレグは緊張したが、幸か不幸かそういった感触は無く、ドレス越しにもゴリッとした肋骨の存在を脇腹に感じる。まるで石の人形に抱きつかれたようだと、彼は苦笑した。

「どこまで飛ぶの?」

「知るもんか。飛べるところまで」


 楡の木を揺らして、銀色の風が巻き起こった。

 魔法使いの飛行術の一種を、『瞬間移動』と表現することがあるが、厳密には『瞬間』などではない。距離にもよるが、多少の時間はかかる。時間や空間が一枚の布だとしたら、その布を一気に折りたたみ、ほんの僅かな針穴を開けて通り抜けるようなものだ。当然、危険も多く、失敗すればこの世から姿を消したまま、ということにもなりかねない。

 だがオーレグには自信があった。師匠のところから何度も抜け出した経験が、役に立つはずだ。すさまじい風と光の渦の中、ガリーナを決して離さぬように力を込めながら、なぜもっと早くこうしなかったのだろうと、怖さよりも誇らしさが胸に湧いてきた。いつか本で読んだ、塔の中の囚われの姫を救い出した英雄譚が頭をかすめる。十三歳の少年魔法使いは、息の続く限り飛び続けた。

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